《お伺い》救いと裁きの関係につき御教示を御願い申し上げます。
《御垂示》之は密接な関係があります。裁きがあり善悪があるから、救われるのと救われないのが決るのです。普段だって神様は裁いて居られるが、普段の裁きと最後の審判とは意味が違うのです。最後の審判においては人類全体が裁かれるのです。然し誰でも裁かれないうちに悔い改める事が救われる事なのです。――そこで一番困るのは、人間が人間を裁く事です。之が一番間違っている。あの人はいい人だとか何とか言って人を裁くのは、その裁く人自身が裁かれているのです。人を裁く前に先ず自分を裁く事です、反省する事です。他の人をいい人だとか悪い人だとか言うことは大変な間違いです。又救いという事にしても、人間が人間を救う事は出来ない。救いをなさるのは神様であり、人間は唯その道具にすぎないのです。然しその道具に使われる事が有難いのです。
御教え *救いと裁き(御光話録 昭和23年10月18日)
