*自然農法/自然栽培(御垂示録5号  昭和26年12月8日②)

《お伺い》水稲一年目で、副穂そえほが出て、三年目になると殆んど出なくなります。土地の肥毒が取れるに従って、益々良くなる程、副穂が出ると思っておりましたが、効果は反対で。

《御垂示》今迄、副穂では実らなかったんですか。

《お伺い》多い方で三十粒で御座います。一旦出なくなり、それから先は分かりません。

《御垂示》先のは、有肥の副穂で、今度は無肥になる。未だ出ないけれども、いずれは出るだろうと言うんですね。それは出るでしょう。本当になるんだからね。つまり。今迄中毒にかかっているからぼんやりする。それが本当になるから、出るでしょう。今度出ると、三十粒やそこらじゃない。ずっと多くなる。本当に肥毒がなくなってから出るのは本当のものだからね。何しろ、肥毒がなくなれば、非常に沢山できるんだからね。野菜でも、こんなに沢山できる様になるかと思う位にできます――土の活力と言うのはね。肥毒の抜けた土で、何度も作っていくと、年々作物を良くする様な力が出ていく。それは五年以上でなければならないが、そうなれば今の倍位は何でもない。だから、連作でなければいけない。連作だと、そう言うのは段々良く育って来る。土の力を出すと言う事はそう言う事なんです。一つ物を作ると言うのは、段々土地の力が出て来る。力が旺盛になって来る。

《お伺い》最近出て、段々出なくなりますのは。

《御垂示》それは、今迄の中毒が段々取れて来る。酒飲んで威張っている奴が、禁酒するとぼんやりになるでしょう。飲まないで元気になるのは、これは本当だ。

《お伺い》有肥では全然出ません。

ああそうですか。するとちょっと違うな。それは、肥料のかけ方に因るな。ちょうど、こう言う理屈になる。肺病になるが、浄霊すると一時良くなるでしょう。それからしばらく立っと、良くなって喜んでいると、再浄化が起る。その理屈です。肥毒でひどい目に遭わせて穫るから、一時良くなるが芯から良くなるのではないから、肥毒の害だけは現われる。そう解釈するのが本当ですね。

《お伺い》初めての年は、肥毒の為に苗の伸びが遅く、八月過ぎから急に伸びるので、分蘖ぶんけつが間に合わないので、出ると言う事を言っておりますが。

《御垂示》それも理屈だね。それは良い。今の枝と言うのは分蘖ですよ。結局分蘖ですよ。下から分蘖するのを、肥毒がある為に出なかったのが、下は育っちゃって間に合わないので、上に出る。ありそうな事ですね。

《お伺い》北陸の方で、二年目三年目になって漸く有肥と同じになり――福井、富山、石川で御座いますが、地域的に邪神と言いますか。

《御垂示》そこは肥料をうんとぶっかけた処です。肥料が多い為に肥毒が抜けるのに暇がかかったんですね。それで今年普通と同じになれば、来年は増産になると言う訳ですね。

《お伺い》自然栽培の御垂示は良く解りますが、経済的に困難となっており、またこのままで行くと減っていくんじゃないかと言う考えがいたし。

《御垂示》しかしそれは当たり前で、私が言った通りです。最初は減る場合がある。と、それは段々続けて行って、肥毒がなくなるに連れて増産になる。と言うのは、私が言ってある通りです。経済上にあるなら、いっぺんにやらないで、仮に一町あるとすれば、そのうちの二割なら二割――最初はね。二段だけやる。それから、その次は三段やる。次に四段やる。すると、一方の有肥の方は今迄通りやる。無肥料の方が一旦減っても、段々増えていく。そう言う様に、漸進的にやると良い。土地によって、肥料を多く使う処と少なくする処が、非常にあるから、そう言う処は肥毒を余計受けている。だから、肥毒が減るのに暇がかかると言うんだ。酒飲みでも、うんと大酒飲みもあるし中位もある。大酒飲みはうんと暇がかかる。

《お伺い》一般からは、事実は事実だと、自然栽培を全然受けつけられません。

《御垂示》それはしょうがないじゃないか。薬毒のひどいのと同じで、薬毒のひどい人を、直きに健康にしょうとしてもできないからね。その理屈の解らない人は、解る迄おっぽらかすよりしょうがない。解った人は良いが――肥毒が抜けるのを待つよりない。それも厭ならすよりないね。

《お伺い》自然農法一年目で、切り藁を苗代に入れて、非常に成績が良く、平均八俵が十二俵にれましたが、苗代に土を入れると良いと言う事を聞きまして。

《御垂示》それだけ穫れりや――それ程欲張らなくても良い。肥毒が強過ぎて穫れないのは、客土をしなければならないが、それ程穫れりや良いでしょう。

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