岡田茂吉 無肥料栽培 (自観叢書二 昭和二十四年七月一日) | 岡田茂吉を学ぶ

無肥料栽培 (自観叢書二 昭和二十四年七月一日)

  私は今無肥料栽培に就き解説するに当って先づ根本理論から説いてみるが、抑々土とは何ぞやと言ふことである。言ふ迄もなく人間生命を保持すべき最重要なる五穀野菜を生育すべく、造物主が造られたものに違ひない。従而土そのものゝ本質は神秘幽玄なるものであって、現在までの唯物科学によるも到底窺知(キチ)し得ない事は論を須(マ)たない処である。然るに今日迄の農業は不知不識邪道に堕ちたる結果土の力を蔑視し、一切の作物をより良く生育するには糞尿又は化学肥料等の人為的肥料に依らねばならぬと思ひ、今日に至ったのである。

 然るに以上の如き結果は、土壌の本質は漸次退化変質し、土壌本来の生育力は衰耗するに拘はらず、それに気が付かない為、農作不良の原因は肥料不足に因ると錯覚し益々肥料を施すから土壌の力は愈よ退化し、今日の如く日本の国土は痩(ソウ)地化し、農耕者の口を揃えて嘆ずる処である。私は人為的肥料が如何に恐るべきかを列記してみよう。

(一) 現在最も悩んでゐる事は害虫の発生であらう。然るに害虫発生の原因を究めずして、害虫駆除のみに専念してゐる、といふのはその原因を発見し得ないが為、やむを得ず次善の方法としてそうするのであらうが、実は害虫なるものは肥料から発生するのであって、近来害虫の種類が殖えたといふのも全く肥料の種類が殖えたからである、又殺虫剤を使用して害虫を駆除し得ても、薬剤が土に浸透して土壌を悪質化し、それが害虫発生の原因になることは未だ知らないのである。

(二)肥料を吸収すると作物は非常に弱るのである。それは風水害に遇えば折れ易くなり、又花落ちがするから結実が少く、背が伸びすぎ葉が大きくなる為、実が葉蔭になって米麦豆類は皮が厚く、実が痩せるのである。

(三)  硫安(リュウアン)や糞尿中のアンモニヤ、其他の化学肥料のその殆んどが毒劇薬であるからそれを作物が吸収する以上、仮令(タトエ)微少であっても常住胃を通じて人体内に入る以上、健康に害なしとは言はれない。特に日本人の八○%以上は寄生虫特に蛔虫を保有してゐる事実であるが、原因は勿論糞尿中の蛔虫卵が人体内に入り成長するのであるが、糞尿肥料を二、三年中止すれば蛔虫病は全滅するといふ事を、最近の医学は報告してゐる。此点に於ても無肥料栽培は偉大なる成果がある。

(四)  近来、肥料の価格は益々騰貴(トウキ)し、肥料代を払えば供出米の売上高と一ぱい一ぱいといふ事は農家の詐(イツワ)らざる計算で、それが為めやむを得ず闇売りをしない訳にはゆかないといふ事である。

(五)  肥料購入肥料施行消毒薬の撒布等に要する手数と労力は非常なものである。

(六)  無肥料栽培の作物は頗る美味なること、発育がよく有肥料のものより巨大で、数量も多いのである。

 以上によってみても肥毒の恐るべきかを知ると共に、無肥料栽培の如何に有利であるかは充分認識し得たであろう。之を総計算するとすれば、農業経済はこれまでの二倍の利益を挙げ得ることは難事ではないのである。実に日本に於ける農耕の一大革命であるといっても過言ではあるまい。以下私の経験によって得たる成果や方法及び幾多実際家の報告を発表してみよう。

  私は斯う思ふのである。それは日本人中真の野菜の味を知ってゐる者は幾人あるであらうか、恐らく滅多にないといっても差支えあるまい。勿論農作物は化学肥料と糞尿肥料を施さぬものはあるまいからである。之等の肥料を吸収する野菜は、天与の味はいは逃げて了(シマ)ふのである。それに引換え土自体の栄養を吸収させるようにすれば、野菜それ自体の自然の味わいを発揮するから実に美味である。私は無肥料野菜の味はいを知ってから、人生の幸福感を如何に増した事であらう。而(シカ)も無肥料栽培に於ては肥料費と施肥の節約悪臭の不快からも免れ、あらゆる寄生虫伝播の危険も除かれ、害虫の発生は極めて少く、味もよく量も殖えるのであるから一石七鳥の効果がある訳である。私は斯様な大問題を一刻も黙視しては居られない。速かに天下に発表して此福音を頒ち与えんと思ふものである。

  先づ、実際論から述べてみるが、抑々(ソモソモ)土の性能は如何なるものであるかと言ふに、土壌は土素水素火素の三大元素の密合体による三位一体の力の構成である。勿論植物育成の基本的力は土素であって、水素、火素は客動的力である。故に主動力である土壌そのものゝ素質如何によって植物に良不良の結果を来すのであるから、栽培の場合その根本である土の素質をより良質にすることが主要条件でなければならない。良質の土素ほど好結果を得らるゝからである。

  然らば良土たらしむる方法は如何といふに、それは土質の精力を強化することである。そうするには先づ土質を清浄純粋化しなければならない。それは清浄なる土質ほど植物に対する生育力は旺盛だからである。然るに今日迄の農業の如何に誤ってゐたかは右と反対に土質を極力汚穢に満すのを可(ヨシ)としてゐた。此事の説明に当っては先づ反対理論から説く方が判り易いと思ふ。

  反対理論とは如何なる訳かといふに、昔から農作に肥料は切っても切れない重要事としてゐるが、実は施肥すればする程土を殺して了ふのである。肥料を施せば一時は良成績を挙げ得ても漸次土は肥料中毒に罹り肥料を施さなければ良結果を得られない事になる。随而肥料を施せば施す程逆効果を招来する訳である。何より農民諸君が水田の稲作収穫が不良になると客土をする。客土をすれば一時的収穫が増すからである。此場合彼等は誤って判断を下す。それは年々栽培する事によって土の養分を吸収してしまふから、土の栄養が貧困になったからだと解釈する。実は年々肥料の為土質が弱った事に気がつかないのである。処が肥料分のない新しい土は、土の生活力が旺盛であるから、良成績を挙げ得るといふ訳である。理論はこの位にして兎も角実際上如何に無肥料が有利であるかを  順次説明してみよう。

 先づ第一に挙ぐべきは無肥料栽培の特徴として作物の背丈の低い事である。有肥料に於ては丈が高くなる事、葉伸びが旺盛で葉が大きく繁るから、曩に述べた如く豆類等の実は葉陰になって成育悪く、又花落ちが多いので結実も非常に少く、特に枝豆等は無肥料に於ては二倍の収穫を挙げ得られ、一粒と雖も虫食ひなく、其美味たるや何人も讃歎するのである。勿論豌豆(エンドウ)、空豆等の如きも皮の軟き事無類である。

  そうして無肥料栽培に於ては決して失敗のない事である。よく素人が馬鈴薯などを作る場合芋が小さく且つ少いとか、全然無収穫などの歎声を聞くが、それは肥料の多過ぎる為である事に気付かない結果、反対に成績不良なのは肥料の少き為と誤解し、益々肥料を用ゐるから倍々(マスマス)成績が悪くなる。而も此際指導者又は経験者に質(タズ)ねる場合「その原因は種子の不良や不適期に播くから」とか「土壌の酸性に因る為」などといひ、全く的外れで真の原因に気付く由もないのである。処が無肥料による馬鈴薯は極めて白色で、香気が高く、ネットリと舌触りよく、品種が異ふかと思ふ程の美味である。勿論八ツ頭、里芋等もそうであるが、特に薩摩芋は高畝にし、畝の間隔を広くし、日当りを充分よくすればその容積の巨大なると美味なる事とは驚くの外ないのである。最も農家に於ても薩摩芋は余り施肥をしないようである。

  次に私は玉蜀黍(トウモロコシ)に就て述べてみるが、無肥料に於ける玉蜀黍の良成績は特筆する要がある。但し玉蜀黍は固より凡ての種子も最初は肥毒を含んでゐるから、一、二年は成績が思うようでないが、三年目位から目立って良くなるのである。土に肥毒なく種子にも肥毒のない玉蜀黍は茎は非常に太く、水の垂るゝような葉の青さで、日当り良く水切れのない土地であれば結実はよく、実の棒は長く、粒は隙間のない程密集し、列が正確で口に入れるや柔く甘く、一度口に入れるや忘れ得なくなるのである。大根なども純白色で肌理(キメ)細かく、ねっとりして甘味があり実は美味で太いのである。よく大根にスがあり、又はガリガリするのは肥毒の為である。又無肥料の菜類は香気馥郁として食欲を唆(ソソ)り、色よく軟かく虫喰などは絶対にない。勿論糞尿を用ひないから衛生的である。

  無肥料栽培に於て特に推奨したきは茄子(ナス)である。それは皮の柔い事色の好い事、香気満点で食欲をそゝる事夥しく、私の家の家族などは有肥の茄子は食はない位である。又稲作の場合、藁を細かく刻み、水田の土によく混ぜるので藁は熱を吸収するから土が温まる訳である。そうして之はよく知られてゐる事であるが、冷い山水は非常に悪いから出来るだけ溝を浅く長く作り、流水を温める事である。其場合中間に池を作る事は不可で、池は底が深い為水の温まりが悪いからである。

  瓜類や西瓜、南瓜等々何人も経験のない程の優良なるものが出来るのである。

  米麦であるが、麦も米も背丈短く量も質も優良なる事は勿論で、特に米に於ては光沢があり、コクのある事糯米(モチゴメ)の如くで、重量あり美味満点で品質はいつも特等米といはれるのである。

  以上の如く、私は簡単乍ら無肥料栽培の有利なる点を述べたつもりである。特に今日到る処に見る家庭菜園に対し、斯の如き福音はないであらう。兎も角素人が糞尿を扱ふ事は堪えられないほど苦痛であるばかりか、それが反って不良の原因となったり蛔虫の虫といふ有難くもないお客様を腹の中へ招来するといふに於てをやである。知らぬ事とは言ひ乍ら今日迄は骨折って不成績を続けて来た訳である。私など大抵の野菜は種子の播き放しで、ただ時々除草する位の手数で上等の野菜が出来るのであるから、何と有難いではないかと言ひたいのである。

 そうして前述の如く金肥及び人肥は必要としないが、天然堆肥は大いに利用する必要がある。それに就て述べてみよう。凡ゆる植物を成育さす場合最も肝腎な事は、根の末端である。毛細根の伸びを良くする事であって、それには土を固めないようにすることである。堆肥はあまり腐らせ過ぎると固まり易くなるから半腐れ位がいゝ。草葉の堆肥は早く腐触するからよいが、木の葉は繊維や筋が硬いから長期に渉って充分腐触させるべきである。その訳は前述の如く根の尖端が堆肥の葉筋に当り妨害されるからである。近来根に空気を与えるのを良いとしてゐるが、之は一寸的外れである。何となれば空気が流通する位の土であれば根伸びが良いからで、実は空気は関係がないのである。

  今一つ注意すべきは土壌を温める事で、普通の野菜に於ては堆肥は地下の一尺位深さに一尺位の積層即ち床を作るとよい。ただ大根、人参、牛蒡の如き、根が目的のものは、堆肥の深さもそれに準ずべきで、其場合草葉の堆肥を土とよく混ぜ合す事、木の葉の堆肥は右の如く地上の床作りにする事、之れが理想的である。

  近来、土壌の酸性を不可とするが酸性の原因は肥料の為であるから、無肥料なればその憂はないのである。

  今一つ世人の意外とする事がある。それは農業に於ては連作を不可としてゐるが、私は連作主義で好成績を挙げてゐる。而も年を経るに従ひ成績は漸次良くなる事である。之は奇蹟のようであるが、実は立派な理由がある。それは私の曰ふ土を生かし、土の力を強盛にする為には連作するほどその野菜に対し土はその野菜を育むべき適応性が自然に醸成さるゝからである。

  次に害虫も無肥料であれば殆んど皆無でないまでも、現在よりも何分の一に減るであらう。農民諸君も肥料が多過ぎると害虫が湧くといふ事をよく謂はれてゐる。彼の葉巻煙草には最優秀なる原料としてマニラ、ハバナ産を用ゐるが、その葉は虫喰葉がなく、頗る香気が高いが、全く無肥料の為である事を以前専門家から聞いた事がある。又何よりも雑草に虫喰がない事で、春の野の摘草の中にある嫁菜、芹等が特に香気の高いのは無肥料の為であらう。

  茲に注意すべき事がある。今迄有肥料の田畑に対し無肥料栽培を行ふ場合、最初の一、二年は成績が悪いが、それは其処の土が肥料中毒に罹ってゐる為で、恰度人間の場合酒飲みが禁酒をすれば一時はボンヤリしたり、煙草飲みが禁煙をすると活気が無くなり、モヒやコカイン中毒者がやめれば我慢が出来ないと同様の理である。先づ二、三年は辛抱して其後を待つべきであって土及び種子の肥毒が消滅するに従って土は偉力を発揮するのである。

  以上は、無肥料栽培の理論を説いたものであるが、之によって如何に従来の農耕法が誤ってゐたかが判る筈である。勿論、信仰との関練はなく、全然やめ堆肥だけによって劃期的成果を挙げ得るのである。然るにそれに加えて神霊による土の浄化を行ふ事によって、一層の効果を挙げ得るのである事を充分承知すべきである。

  以下幾多の実験報告が證明するであらう。

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