*メシヤ教信者/芸術(御垂示録4号 昭和26年11月1日⑥)

メシヤ教信者

《お伺い》箱根の旅館の女中が、メシヤ教の方は皆眼が澄み切っていると言うので、当たり前だと言いましたが、またこんなに沢山しかも度々お出でになっているのに、お道の話をしないのは、どういう訳かと言いますので、何の為に九州の端から来るかと言う事だ。そっちで聞かないのが不思議だと言ってやりましたが、やはり、目つきを見れば、他の者にでも分かるので。

《御垂示》私なんか、往来を歩いていて、電車道なんかに、五人や七人は立っていますが、顔を見ると、皆悪相ですね。とにかく、嫌な目つきですね。メシヤ教には、それがないですからね。何処か、皆親しめる様な――違うんですね。感じが良いですね。だから、メシヤ教信者になれば、今迄嫌われていたのが、好かれるとか――好感を持たれるんですね。

《お伺い》お道について、色々話しても、直ぐ入りませんが、それは神様のお許しがないので。

《御垂示》そうです。分からないのを無理に入れようと言うのは、極く悪い。放ったらかして置くんです。すらすらと行って分かるのが一番良い。

美術品の霊

《お伺い》京都で、書画御観覧の時、大燈国師の看読真詮榜かんどくしんせんぼう(看経榜かんきんぼう)の時ですか、疲れる疲れるとおっしゃっておられましたが、大燈国師の高い霊が、明主様の霊と、何と言いますか、相つと言いますか、一つの霊的現象が起こっているのではないかと思っておりますが。

《御垂示》あれはね。文字自体から霊気が出るんですからね。それからの圧力を感じるんです。私の所に宋の青磁があるんです。九百年前のですね。それを見ると疲れるんです。名人の霊が入っているんです。それが、何時迄も入っているんです。だから、それを見ると打たれるんです。それですから、がっかりするんですね。あれは不思議ですね。あれを見ると、私は打たれるんです。陶器ですがね。

《お伺い》大燈国師のなんかも、霊がこもっているので御座いましょうか。

《御垂示》そうです。良い霊――強い霊がですね。私なんか、強く感じます。

《お伺い》真善美が完全に宿ったのかと思いまして。

《御垂示》真善美と言う事は、霊が高いからです。

《お伺い》御観賞しておられます真剣さには、側の者が疲れます。

《御垂示》自然ですね。

《お伺い》鋳物いものの仏像に作者の霊が入っているもので御座いましょうか。

《御垂示》同じ事ですよ。鋳物だって、あとで磨いたり、色々しますからね。

《お伺い》疲れると言う。そう言う場合には「真善美全き」とは言われないのでは御座いませんでしょうか。

《御垂示》それは、疲れ方が違う。変なもの見たって疲れます。良い気持ちに疲れたんですね。喧嘩して殴り合って疲れたと言うのとは違いますよ。

《お伺い》心憎い程の芸をやると同じで。

《御垂示》そうですね。

白鶴美術館

《お伺い》白鶴には中々良いものが。

《御垂示》ありましたね。素晴らしいものですね。

《お伺い》白鶴と言う家には、未だ相当良いものを持っているので御座いましょうか。

《御垂示》この間出ていたものが大部分で、あとは大したものはない。

《お伺い》大変難かしい字が書いてあるんですが。

《御垂示》器物の名前ですね。あれは日本の字がないんですからね。支那の字ですからね。何しろ花生けでも、一字で現わしている。分からないですよ。私はそう言う事は見もしないからね。良い物がありましたね。

《お伺い》宮田と言う人の字はいかがで御座いましょうか。

《御垂示》大したものですね。あれは相当な地位にいって良い字ですね。あれによく似たので、中村不折と言うのがありましたが、不折よりずっと上です。世に出さなかったので、天下に埋もれていたんですね。脱俗的な字で、俗的な臭みがないですね。

《お伺い》私等には全然分かりません。

《御垂示》それは、沢山観て、頭を養わなければね。

ギリシャ芸術

《お伺い》ロシヤの芸術品と言うのは、日本にもありますのでしょうか。

《御垂示》ロシヤと言うのでなく、東洋ですよ。チベットですね。あっちの、何とか言う――ヨーロツパに行かない方ですね。

《お伺い》黒海の北の方で――。

《御垂示》そうそう。

《お伺い》ロシヤには、そう言うものはないので御座いましょうか。

《御垂示》何もないです。ギリシヤの文化で、それから、段々支那、インド――インドはちょっと系統が違うが――支那に行ったんですね。一方は、別に分かれてインドに行ったんですね。結局世界の芸術はギリシヤですね。

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