「関節炎」(『アメリカを救う』 昭和28年1月1日発行)※御教えと御蔭話

 この病気は曩にかいた如く、薬毒は神経を使う処に集溜するので、手足等は絶えず関節を屈伸させる以上、その部へ集溜する。しかも昔と違って近来何の病気の予防でも、矢鱈に注射をするので、それが原因となって関節炎が起り易いのである。この理によって薬さえ廃止すれば漸次減ってゆくのは勿論である。

絶望の曲がらぬ足二回の浄霊で治る

      鹿児島県    O.I (65)
         

 
 謹みて明主様に御礼を申し上げると共に、全快の喜びを御報告さして戴きます。顧みますれば昭和二十三年四月頃より、ふとしたことから右膝関節が痛み、次第次第に曲らなくなって参りました。早速お灸をし、風呂で温め、毎日毎日くり返し致しましたがはかばかしくなく、注射や塗布薬とありとあらゆる療法を致しましたがなおさら悪化して参りました。御飯を戴くにも座敷に坐って食べる事も出来ず、土間の上り段に腰掛けて足を伸ばしてとり、御客様が来ても見苦しい恰好で、又朝夕神仏に礼拝するにも、足を伸したまま御参りせねばならないまでになって参りました。何とかして元の正座が出来る姿にさせて戴く事は出来ないものかと、又半面年が年であるから治らぬのではなかろうか、と思ったりしてついほろりと致す事もしばしばありました。近来あれだけ医学も発達し、医薬も出来ているのに治し得る事は出来ないのか、と思うと情なくなりました。もうこれ以上は死ななくては治らぬのだと諦めつつ早くも三年が訪れて参りました。私にとって一生涯忘れる事の出来ない春が訪れたのです。昭和二十六年四月十七日、部落のK.S息子T(十三歳)が四、五日間熱が出通しで腹が痛み続け、御飯も何一つ食べず、早速同村(約一里隔ったけわしい山道)の御医者に父母と村人と六人して担架に乗せて連れて行きましたところ、診断の結果「困ったものだ、俺と一緒の病気で急性胆嚢炎だ」と言われて注射二本をされて絶対安静に、との事で死の宣告でもされたごとき思いで、もう駄目だとあきらめつつ、熱は下らず力なく帰途につき、隣部落(上之段)に来た時、S(現在信徒)の妻が「今D支部I先生といって、光明如来様を信仰なされ救いに来ておられるから御願いしては」と聞かされ、早速その足で立寄り御願いしたところ、先生が「座敷に上げなさい」と言われ、恐る恐る重病人を上げたところ「熱は浄化作用で有難いのですよ」又「何十分もしないうちに楽にさして戴けますよ」と言われて、皆様自信たっぷりの言葉にびっくり致しました。三十分の御浄霊にて今まで四十度もあった熱が、見る見る中に取れてらくになったではありませんか。この偉大な御力に感謝致しつつ早速村に来て戴き、御浄霊を頂くように相成りました。私の妻も永年の胃病持で、娘嫁と家内総動員の病気問屋の始末で、村人の大半三、四十人毎日の御浄霊で御座いました。私の足のごときはたった二回の御浄霊にてなんなく曲るようになったので御座います。契驚仰天、足の踏む所を知らぬ有様で御座いました。何と御礼を申し上げて良いのか言葉を知りません。家内一同も村人も次々と数限りなき御守護を戴き、早速D支部のA先生より手厚い親にも勝る御指導の下、五月一日妻、六月八日娘と相ついで入信さして戴き、その後も引続きI先生、B先生とに御浄霊を戴き、八月五日には御屏風観音様迄御奉斎さして戴き、一家益々喜んでおります。一カ月半で十七人の信者も出来、皆一生懸命共々に救いをさして戴いております。毎月D支部に、C先生並びに会長先生が我々のためにわざわざ御指導においで願えます毎に益々大きな御守護を戴き、感謝に堪えません。この上は一日も早く光明如来様を御祀りさして戴き、村内の解らない方々、多くの知らない方々におしらせして、地上天国建設に、感謝報恩の万分の一でも協力さして戴く決心で御座います。明主様有難う御座いました。又各先生の御導き厚く御礼申し上げます。右ありのままを御報告さして頂きます。
               (昭和二十六年九月一日)

全身の関節リューマチ十三年間の病床より救わる

       長野県   K.K (29)


 謹んで明主様の御救いに御礼申し上げますと共に、入信の喜びを御報告させていただきます。

 今から十三年以前、私が十六歳の時でしたが、突然左足首が痛くなり出し、驚いて医者に診て貰いましたところ、関節リューマチとの事にて手当を受けましたが、何の効果なく、十日間でその痛みは全身に廻り、アッと言う間に床を離れる事が出来なくなってしまいました。手の指一本一本の関節が腫れ曲ってしまい、ひじ、肩、首、腰は勿論、足の指から膝小僧にかけて大きく腫れて、足の甲もこんもりと隆起し、坐る事すら出来なくなってしまいました。少々は歩く事が出来ましたが、それもやっとの事で、自分で自分の身体をどうにもする事が出来なくなってしまいました。

 はじめは世間の例に漏れず医者に頼り、あらゆる注射内服薬と手をつくしましたが、腫れは益々ひどく固まるばかり。薬はもう駄目とあきらめ、鍼、灸、電気治療、マッサージ等母の世話になりながらつづけて見ましたが、どれもこれも癒してくれるものは一つもありません。しかしそのうちに次第に痛みが薄らいで来たかと思うと、翌年は又疼痛が始り、寝込んでしまうという状態でした。「良いからぜひ」とすすめられる信仰もし、祈祷もして貰いましたが何の効果なく、だまされたと思う不快な気持が後に残るだけでした。全身のあらゆる関節は節くれ立って醜い姿に固まってしまったのです。「私の病気は今までの医学や信仰ではとても治らない、一生暗い気持で終るのか」と思い、蒲団の中で幾度泣いたか知れません。体を動かさないためか、胃腸病、心臓病、喘息という重い病もともなって、春秋の農繁期にはただ親兄弟に世話をかけるばかりでした。

 このような毎日を繰返して十三年の歳月が経ち、人の奨めてくれる治療も今は一つも信じられず、自分の病気に対しては治らぬものと半ば諦めておりました。

 ところが本年五月、隣家のSさんが「長年の蓄膿症が治った」と言って、急に私の家へ来て御浄霊の事やこのお道の事に関してこまごまと話してくれましたが、あらゆるものが信じられなくなった今、「そんな簡単な事で治るものか」と思いつつも三日間迷い続け、考えつめたあげく「治らなくとも同じだ、治れば幸だ、一度行って見よう」と決心して、五月二日A様へ案内して貰いました。今考えれば他の治療と同じく断ってしまえばそれまででしたが、よくも決心して行ったものだと、紙一重でお救いいただいた事を沁々と感ずるのであります。B様から全身の御浄霊をいただきまして帰ろうと思い、自転車のベタルを踏んで見ましたところ、来る時には途中休み休みやっと参りました一里の道も、帰りはほとんど苦痛もなく、楽に家へ着くことが出来ました。「不思議だ、不思議だ」何度考えてもよく解りません。ただ身体が楽になった事だけは事実なのです。十数年間いかんともしようのなかった自分の体が、一度の浄霊でこんなに軽くなるとはいくら考えても不思議でなりません。

 翌朝目をさましますと、平常とは違い楽に起上ることが出来ました。十三年間の暗い歳月から初めて光明を見出した喜びに、二日目も喜び勇んでA様まで車を走らせました。三日目はB様宅での月並祭で、N先生に御面会し、色々とお話を聞いては、益々心が明るくなって参りました。又一番驚いた事は集って来られる皆さんはとても元気で朗かです。こんな明るい会は初めてで、これなら病気も吹っ飛んでしまうと思いました。帰りに御丁寧な御浄霊をいただき、軽々と自転車に乗って帰宅いたしました。日一日と軽くなって行く自分の体に、暗い気持はふっとんで、ただ明るい人生への希望が湧いて参りました。この喜びは何とおつたえしたらよいか、教育もない私の筆では到底書き表わす事は出来ません。

 その翌日から、H温泉での教修会で先生のお話を三日間おきき致しました。一日も早く教修を受けさせていただきたい気持で一ぱいでしたが、色々都合もありましたので、ともかく一日も早く体をなおして戴いてからと思い、それから毎日隣のSさんから御浄霊いただき、日増に全身の関節の痛みも減って参りました。御浄霊いただき始めましてから僅か一カ月半の後には、十三年間何もする事の出来なかった身体が、鎌を持ち麦を刈る事が出来るようになりました。以前は鎌を持つ事は出来ても、力を入れる事は全然出来なかったのが、関節はまだ腫れ上って、指も掌も変形してはおりますものの、ギュッと力を入れてザックと刈る事が出来た時は、たとえようのない喜びでした。それからは一生懸命に働き、御教修を受けさせていただく用意も整いましたので、七月下旬、M様宅にての出張教修会に出席致し、待望のお守様を受けさせていただきました。三日間の教修会中に、御浄霊のお光を拝む方、御神体が金色に光るのを拝む方、先生の肩から丸く出る光を拝む方等、次から次へ起る奇跡にただ驚くばかり、最後にお守様を拝受致しました時、全身カッと熱くなり、ただ感謝の涙があふれるばかりでした。

 お守様をいただきましてより、より一層身体も楽にしていただきました。いつかは必ずこのはれも引いて、あきらめておりました体も一人前になれる確信が持てるようになりました。

 入信後三カ月の月日ですが、今は農家の仕事はほとんど出来るようになって参りました。今はただ、出来る限り多くの方にこの御道をおしらせする事に努力致すと共に、美術館の御建設に少しでもお役に立たせていただきたいと日夜微力を尽させていただいております。 喜びのあまり御報告を記させていただきました。
             (昭和二十六年二月二十一日)

リューマチの業病救われ忽ち吾が家は天国楽土に

       岡山県      K.K (43)


 明主様、日々の御守護有難うございます。並々ならぬ御守護の一端をば、ここに謹んで御報告申し上げます。

 私の家は八人家族で御座いますが、丸で病気の問屋のごとく一人が治れば又次の誰かというように、いつも二、三人は寝ておりました。従って毎月の経済もその大半は医療費に当てなければなりませんし、家の中は常に陰気臭く、まるで村中の病貧争を一手に引受けたごとく、さながら生地獄そのものでありました。そこへもって行って、家の中を切り廻して行かねばならぬ私が、リューマチスという業病になってしまいました。どんなにかして早く治そうと焦りに焦り、あらゆる良いという方法を行い、注射や鍼、灸と色々と手を尽しましたが一向に良くならず、益々痛みは烈しくなり、右足頸はとうとう棒のごとくキンと張ったまま曲らなくなってしまいました。足の悪い程辛いものはなく、女手のなくなった家庭はいよいよ暗く大勢の子供は泣き喚くし、洗濯もしてやれず、炊事も出来ず、又一日中汗みどろになって働いて家に帰って来る主人の顔を見れば本当に気の毒で、足さえ良ければこんな切ない思いをさせなくてもよいものをと、私の胸は張りさけるばかりで、複雑な悶々の情は私の頭を撹乱させてしまいそうでありました。騒々しい子供の喧嗅の声の中にも、経済は日々に苦しくなる一方で、陰惨な空気は家族一同の頭の上にずっしりとのしかかって参りました。そうかと言ってどうしようにも手のつけようがないので、ただ己の運のつたなさを、無心の子供をかかえて嘆くのみでありました。

 ところが昨年麦秋の頃でした。御近所のOさんが、「病気を治す先生が来ておられるから、おいでになりませんか」と教えて下さいましたので、藁をも掴む気持で行って見ますと、若い先生が、手をかざして下さいました。頼りないような気持でしたが「必ずよくなるから続けていらっしゃい」と言われましたので、言われるままにひがよいしましたが、別に良い兆は見えませんでした。それにこれという話もして下さらず、何が何だかさっぱり分らず、もうやめようかと思いましたが、Oさんが「もう少し辛抱して見なされ」と言われ、近所の義理もあることながらと、不承不承に先生が来られる毎に行きました。すると一カ月位してから何だか御浄霊を受ける度に、少しずつ足が曲って行くではありませんか。それからはH先生が来られるのが待ち遠しくてならなくなり、浄霊して頂く毎にぐんぐん良くなり、「今日はこれ位曲るようになりました。今度はこれだけ曲るようになりました」と言って先生に見て頂くことが何よりの楽しみとなりました。私の喜びと言ったらたとえようがありませんでした。こうして頂いている中に虫の鳴く頃となり遂に私はきれいに坐って御浄霊をして頂けるようになったではありませんか。まるで天にも昇る心地とはこのことで御座いましょう。痛みもほとんど無くなって、いそがしい秋の取入れも例年と変らず、いやそれ以上に働かせて頂きました。最早山へ行こうが畑へ出ようが、どんなきつい仕事でも平気で出来るようになりました。すっかり治して頂いたので御座います。かくして私は十二月一日、岡山の本部へお参りさせて頂き、会長先生より待望のお守様を授けて頂きました。その頃には病人続出の私の家が、変れば変るもの、無病息災の楽しい家庭となっていたので御座います。

  其頃を顧みすれば恐ろしも闇路杖なく彷ひし吾

 讃へても称へ尽せぬ大御幸筆も言葉も表はす由なき

  明主様誠に有難う御座いました。

           (昭和二十七年八月七日)

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