御教え*無信仰時代/映画(御教え集12号 昭和27年7月15日②)

 次はあんまり固いのはめまして、今度は信仰とは関係ない様なものですが、興味的に映画の事について書き始めてみたのです。その前に一つ。

つまりこれは神様がそんな事をしてはいかん、せという、そういう何です。今考えてみると良く分かるのです。

 まだ、これから相当書くのですが、書けただけを読ませました。

 話のついでですから、映画の一番悪い点を言うと、チャンバラです。今は時代劇が流行ってますが、ヤクザ位の人間が武士を十人以上も相手にして闘うのですが、そうして斬られないのです。それこそ、国定忠次とか子分の日光の円蔵くらいのところがやるのですが、武士さむらいの方が負けるのです。あんなのは馬鹿馬鹿しいです。アメリカなんかは、ピストルなんか射つと死にますが、日本のはなかなか死なないのです。それは、スターが死なないのは仕方がない。死んではそれでお終いだから――。ところが下っ端したっぱが、日本のは死なない。見ていると実に馬鹿馬鹿しいです。それ迄面白がっていたのが、そういう場面でガッカリして見る気がしない。だから観客愚弄映画といって、観客を甘く見過ぎるのです。観客は甘いと――子供とか若い者を中心としている。これは前の大映の所長で永田――あの人なんかの話が、大体映画の観客の目標とするのは二十才前後、精々二十五才迄を目標とする。という事を言ってましたが、それが悪いのです。そういう映画は、当る時は当りますが、やっぱり――深刻などこまでも事実と余り離れない様な映画の方が受けるのです。盆とか正月映画は別ですが、不断から正月映画の方が多く作っているのです。いずれ気がつきますが、気のつき方が遅いのです。それ迄観客はいい犠牲になっているのです。その点においては、イタリア映画が最も良かったです。イタリア映画位金がかからない映画はないです。よくも貧乏臭い物を作ってますが、それでいて観客をきつけてます。日本映画は割合金がかかっていて、中途でガッカリするのが実に多いです。アメリカも最近その点に気がついてきたのか、馬鹿馬鹿しいテーマはないです。実に深刻なものになった。アメリカで馬鹿馬鹿しいのは西部劇ですが、しかしピストルを射って死ぬのです。これは日本のより良いと思う。それから、日本のもう一つの馬鹿馬鹿しいのは、殺されてから死骸が直ぐ無くなってしまうのです。アメリカ映画の方は殺されて、五人も六人も転がっているのです。その方が実感が出ます。日本のは、やられてもやられても斬られに行く奴が減らないのです。という事になると、死んだ奴が起上ってまたやるのでしょう――。実に観客を愚弄している。そんな訳ですから、こういう事を書いて、映画のああいった関係者に配ろうと思ってます

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