*応身弥勒、型 御教え集3号 昭和二十六年十月一日④

【御 教 え】

(御論文「弥勒三会」のあとの御教え)

 ここにはわざと書かなかったが、弥勒三会(みろくさんえ)と言うのは、弥勒が三人会うと言う事で、弥勒と言うのは、釈迦、阿弥陀、観音ですからね。それで、大本教の教祖の出口なおと言う方は釈迦になる。つまり稚姫君(わかひめぎみ)尊と言う神様ですね。阿弥陀は法身(ほっしん)の弥勒で、出口王仁三郎先生ですね。聖師様ですね。それで、私が応身(おうしん)の弥勒で、ちょうど三人が会った訳ですね。二十世紀の今日にですね。これが弥勒三会ですね、弥勒三会が済むと、いよいよ五六七(みろく)の世が始まる事になる。これは、大本教でも――誰も知らない。教祖様も聖師様も知らなかったかもしれないですね。

 それについて――こう言う訳なんです。全て、神様は型でやるからして、色々な型がある。ちょうど鋳物(いもの)を鋳るみたいです。世界の型をやる事は、最初は真中ですから、真ん中にちょっと神様がやられる。今のソ連とアメリカですね。世界の二代勢力が、今の処冷めたい戦争をしている――ちょっとあたたかいのは朝鮮だけですがね。そうすると、二大勢力は、最初小さい型があり、それが変化すると、世界的になる。その型を私は神様から見せて貰うばかりでなく、色んな事をやるんです。ですから、小さい事が非常に大きい事になっていくんです。信者さんが、一人々々いますが、この中で、一人で何百万、何千万の型をやっている人がいる。私が最初始めた時、数人の型が集まって、その人達がある民族を代表し、一国を代表し、地方を代表する――何億、何千万の代表をしている。だから、以前に私は、イギリスの型、インドの型と良く言ったものです。その人を救うと、その系統の人の数が、ずっと多くなって救われる。その次に、そのまた一人々々が救われる。そう言う風に世界はできている。神様の経綸と言うものは、そう言う風にやっていくものです。だから、非常に神秘で面白いものですね。東京で最初にやり始める時分には丸の内ですね。丸の内の中央亭と言う西洋料理屋があるが、私があそこで始終やっていた。あれが、霊界で言うと中心になるんです。だから、名前で言っても「マル」の「ウチ」の中央亭でしょう。ですから、ここで喋った事は――言霊で、言霊界に一つの波紋を起すんです。言霊が世界に拡がって、それが具体化して来る。だから、その時に話した通りに実現しつつあるんです。ですから、今私がやっている事も、もっと段々拡がっていって、結局世界的に拡がる。そうして、それが具体化して来る。丸の内でやる前にも、小さくそう言う事をやっている。そう言う事は非常に神秘なんです。

 で、今言う弥勒三会と言う事も、大本教と言うのは、その型をやっているんです。お筆先に「大本教とは世界の型であるから、この中を見て居れば世界は何うなるかと言う事は、見当がつくぞよ」と言うのがある。教祖と言うのは厳格な――経(たて)なんです。東洋は精神文明なんです。ですから、始終ちゃんと座っておられて実に厳格そのものなんですね。だから、皆んなその行いには感心するんです。お筆先に「直は経であるから真直(まっすぐ)であるぞよ」とある。それに引き替え、聖師様は緯(よこ)ですから、年中寝ているんです。ですから、大本教では聖師様の部屋は年中蒲団敷いて、枕をしている。で、そこに入ると直ぐに寝てしまう。何処の部屋にも蒲団敷いているんです。それで、警察が来た時、出口と言うのは、変な――信者の女をそこに寝かせてけしからん。と、変に取られたんですね。『霊界物語』と言う、長い著述をしたが、寝ながらしたんです。教祖様は経、聖師様は緯なんですからね。東洋は経、西洋は緯です。ところが、教祖様はそう言った厳格な為に旨くいかない点が色々あった。それで、聖師様が出ると、緯ですから、非常に発展したが、その為に非常に失敗した。そう言う訳で、経でいけない、緯でいけない。経にあらず、緯にあらず。これが伊都能売になる。五は経で、三は緯ですからね。そこで、教祖さんは経でいけなかったし、聖師さんは緯でいけなかった。その中間ですね。経であり、緯であり。経にあらず、緯にあらず。経緯結んだ真ん中ですね。これが伊都能売です。私が伊都能売で、伊都能売が応身弥勒です。応身弥勒が観音様です。そこで、観音さんと言うのは男であり、女であり。男にあらず、女にあらずと言うんです。応身の弥勒と言うのは、いかなる事でも自由自在――千変万化ですね。

 それが分かると、実に良く解る。先方が堅苦しかったら、堅く。女なら柔らかく。頑固なら頑固に――私はそう言う様に性格に変化があるので、変だなと思っていたが、応身の弥勒の働きが判ると、良く分かります。ですからメシヤ教の凡ゆる事が――決して何んにでも捉われない。宗教の様な処もあるし、それから今私は鉱山をやっているが、金儲けもあるし、芸術もあるし、何でもあるんですね。今迄は、宗教と言えば馬鹿に堅苦しくなっていた。これも伊都能売式なんです。凡ゆる色んな様相を備えているんですね。これによって初めて、一般人類が救われる。民族にも色々ありますからね。ですから凡ゆる病気――肉体の病気も精神の病気も――それから貧乏、経済に関係しますが、経済も政治もあります。政治の事は触れてはいけないと、法務庁から言って来ているので言わないが、本当は言いたい説もあります。無論、論文なんかも私は始終書いている。今は伊都能売の働きなんです。これが本当のものです。真理ですね。ですから常識を尊ぶ。常識と言うのは、偏らない考え方ですからね。ですから、宗教的に非常に厳格な処もあるし、また非常にくだけた点もある。と言う事も、そう言う事なんです。弥勒三会と言うのは、つまりそう言う事なんで、つまり経で失敗し、緯で失敗し。そうして経にあらず緯にあらずと言う――一つの思想ですね。それが出て初めて人類は本当の事を知るんですね。ですから、何うしてもこの考え方――やり方によって本当の世界が生まれると言う訳です。それで、本当の世界と言うのは、何う言うものかと言うと、こう言うものだ。と言うのが今書いている『文明の創造』なんです。だから、今言った事が本当ですからね。それが、本当に腹の底に分かれば、色んな事に対する考え方と言うものが、先ず正しく、間違いなくいく訳です。

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