『文明の創造』発刊について御講話に求める(その1)【御垂示録】

御垂示録3号  昭和二十六年十月一日

 今、どんどんと救われたいと言う人が出来た処で、受けきれないから駄目です。だから私なんかでも随分ぼかしてますが、本当にメシヤ――キリストと言うと、世界中の人が寄って来て仕事が出来ない。『文明の創造』なんか書けない。だから、丁度良い様に神様がやっている。この次はこうなる。その次はこうなる――と言う事は、ちゃんと知らせますから、ちゃんと分かっている。神様は、それは旨くやってます。私は今に世界的の論文を書いて、私はメシヤではない。更に、私の仕事を見て、世界を救うと言うメシヤだけの、実際の効果を見て――そうしたらメシヤにしても良いと書く心算(つも)りです。メシヤだけの働きをすれば、メシヤと言っても良いが、最初から、俺は何だかんだ。と言った処でしょうがないですからね。和光同塵とってね。旨い事を言ったものです。大分近寄って来たですね。来年あたりから、かなり目覚ましい事になりますね。

御垂示録4号  昭和二十六年十一月五日

 だから、土ではなくて根本が分かれば色んな事の間違いが、実に良く分かります。

    無肥料の米を食っていると、肥毒が人間に入らないから、曇りが少ないから毒血が少なくなるから、病気も起らなくなる。けれども薬を服んでは何んにもならないがね。そうすると、人間が非常に平和的になる。そうすると、戦争を好まなくなるから、戦争が無くなる。さっきも論文で言ったが、悪と言うのは必要だったからです。物質文明を発達させるのに必要だったが、もう戦争は必要なくなった。丁度、恐龍やマンモスが地球を踏み固めたが、軟らかかったから踏み固めていたが、固まったから要らなくなって、ああ言うのは無くなった。必要があれば有るので、必要がなければ無くなる。悪も戦争も、今迄は必要があったからだが、もう必要が無くなった。むしろ、無い方が良い。その手段としては、神が有ると言う事を見せなければならない。見せなければならないと言っても、理窟ではいけないから、メシヤ教でやるとどんなに頑固に言っても病気が治るので、頭を下げて来ると言う事になる。その点がはっきり解れば何でもないですね。私がその役割なんだから、病気も農作物でも、実際の証拠を見せてやっているんです。理窟は同じなんだからね。

     「養蚕も非常に骨を折って飼って居りますが、桑に肥料をやらなければ楽だそうです。それに糸質も良くなります。」

   糸質も、そうですね。だから之が分かったら大変なものですよ。日本はひっくり返りますよ。兎に角、日本人は全部頭を下げるよりしょうがないですね。

   『文明の創造』も、大体三分の二か、四分の三位出来ましたからね。今度は「天国篇」ですね。五六七の世の色々な――全ての機構ですね。何しろ新聞、雑誌からお守り書いたり、御神体を書いたり、それから地上天国の指図をしたり、それから美術品を研究し、多少集めたり、色々する。だからして仕事が多過ぎるんですよ。よく八人芸と言うが、私は十人芸位しているんですからね。唯、私は仕事が早いですからね。ですから、この間、京都の博物館で屏風を見ましたがね。六脚の屏風をね。それで五、六本見るのに五分位ですね。

   それから、やっぱり仕事をするにも、人間は急所があるからね。だから急所を発見するのが早くなる。このテーブルを切るのに、何れが急所かを見ると、これだけやれば良いんだからね。急所をやるのに、早く見つける様になれば良いんだからね。だから、身魂を磨くと言う事はそうですからね。それが非常な能率増進になる。病人でもこの病人の急所は何処にあるかと言う、急所の発見だね。そこだけをやれば良い。だが、よく急所をはずれている事が多いので、幾日もかかったりする。

御垂示録4号  昭和二十六年十一月八日 

     「御守護戴きまして渡米した立松文治さんで御座いますが、最近ノートルダムで、朝鮮に従軍した記者が――」

   ノートルダムと言うと、アメリカですか。私はフランスかと思った。

     「学業の中心地で、ノートルダム大学と言うのがあるそうです。その時戦闘機の写真を現像すると、大空一杯にキリストの霊写真が出たそうで、あちらの方で、キリストの再臨が来たので世界中大変な事になると、評判が立ちましたそうです。何か意味があるものかと言うので御座いますが。」

   それは、大いに意味がありますよ。それは精しく書く訳にはいかないです。仮に、私がキリストの再臨だと言う事が分かったら大変です。世界中の人間が、とても来て――仕事が出来やしない。『文明の創造』なんか、書けやしない。だから、ぼやかしてある訳ですね。ですから、大いに意味がある。それを知らせるのは時期が早いから――そう言う風に書いてやると良い。それから、メシヤ教と大いに関係のある事だと言う事も書き添えて良いですね。その中の新聞に出して良い様なのは――手紙を私に寄こして下さい。阿部さんに出して下さい。

     「又、バハイ教の幹部に会った処が、キリスト、マホメットの予言をしたと言うのは、恐らく明主様だろうと言っているそうです」

 私が予言者ですか。それは一寸違う。まあ、そんな点で結構です。

御垂示録5号  昭和二十六年十二月六日 

この頃印度なんか、気がついて来たんで、大分やり方が変って来たがね。飽く迄、善の方が勝つと言う――抑えつける力があると言う事が本当なんですね。そこで、やはり十字になるんですよ。経は善ですからね。緯の方が悪ですね。どっちに偏ってもいけない。で、つまり経の方が緯よりか一寸長ければね。それで、同じでも霊の方が勝つ――霊主体従だからね――原則になっているから、それで良いには良いがね。それで、私は何時か男女同権論ではいけない。男女合権論と書いたが、そこで男が五分五厘で、女は四分五厘ですね。人間の簡単な事はそれで良いが、本当の大きな事から言うと九分九厘――神は一厘になっている。悪の方が一厘でも勝つとすれば、世界は崩壊している。そこで九分九厘と一厘――或いは神は十全とね。だから、大本教のお筆先に「大本は一厘の仕組であるから、一厘の御魂が出たら世界はひっくり返るぞよ」と言うのがある。一厘で、手の平を返す。で、一厘と言うのは、つまり私なんですよ。之は先にも話した事があるが、或る人から古銭――天保銭を一枚、五十銭銀貨、昔の一厘銭を一枚と、三つ貰った事がある。天保銭は年号は書いてありませんが――大本教の教祖と言うのは天保年間に生まれた人で、聖師様は明治四年に生まれた。そうすると、五十銭銀貨と言うのは、明治四年なんです。私は一厘だから一厘銭を貰った。その時神様は、面白い事を知らされたと思った。だから、大本教の教祖は経の御魂――変性男子(へんじょうなんし)でね。変性女子(へんじょうにょし)は聖師様で、聖師様は緯の御魂であるからとね。経と緯を結んで、真中のポチだね。つまり心棒みたいなものが一厘になる訳です。で、一厘で手の平を返すと言うのは――私がやっている事は、一厘で手の平を返す事になる。今迄の凡ゆる間違った文化ですね――それをはっきりさせる為に――ひっくり返っちゃう。唯、理窟丈じや駄目だから病気は薬を無くして治して健康にしてしまう。それから、食糧でも――作物でも、肥料を使わないで増産する。農業をひっくり返しちゃう。それから、犯罪は魂さえ神様と繋がれば犯罪は無くなる。と、みんな一厘でひっくり返すと言う意味になるんだね。夜の救いが昼の救いになる。つまり、暗が昼間になると言う訳ですね。神様の方は、そう言う風に決っているんだからね。そう言う事も『文明の創造』に書いてある。今『文明の創造』の「天国篇」と言うのを書き始めてね。最初の所を時間があったら読ませる積りだったが、之は非常に面白いんです。今日読ませ様と思ったのは、国際関係とか議会とかね。そう言うものの変り方ですね。然し、何しろ非常な大変りですからね。只この儘で行くなんて、そんな生易(なまやさ)しい事じや、手の平をひっくり返すなんて出来ない。つまり今迄のやり方では、二進も三進(にっちもさっち)もも行かなくなるんですね。病気なんかも非常に増えて、之は今信者の人でも、古い人でも、幹部の人でも非常に浄化が起るがね。それが世の中に――一般にそうなって来るね。医学で――医者が治そうとすると、逆になって来るから、愈々いけないと言う事になる。メシヤ教にすがらなければ助からない――病気は治らないと言う事が段々分かって来る。そこで、一ぺんにひっくりかえっちゃう。

御垂示録12号  昭和二十七年八月一日 

   今『文明の創造』を、以前に書いたのを余程訂正して書いてます。病気は、必要があって神様が病気になる様にして、そうして弱らせる様にしたという事を書いてます。で、キリストの言った「禁断の木の実」は薬の事です。禁断の木の実をもって悪を発生したということが『バイブル』にある。で、薬によって悪を発生したのです。ですから禁断の木の実は悪なのです。もうその時分に、神様はちゃんと知らせてあるのです。だから、人間から悪を無くするには、薬を無くす――悪の発生は薬によるのです。つまり薬毒は霊を曇らせるから、霊が曇るから動物霊が人間を自由にする。こういう訳なのです。悪が必要だったのですから、神様は旨い事をやったのです。神様が人間を瞞(だま)した――だから、神様が瞞すのだから上手いに違いない。私は、神様は今迄人間を瞞したのだ、本当はこうだという事を書くのです。そういう悪は不必要だ。だからして悪を無くさなければ本当に幸福な世の中は出来ないという事を知らせる。という事は、そうするとつまり悪というものは、神様に瞞されて出来たものだという事は、今迄は知らせてはまずいからで、そこで今度は悪の必要が無くなった、悪があってはかえっていけないという時期になって、初めて知らせるのです。だから今迄、善悪一致だなんて言ったが、それは真理だったのです。そういう事を今すっかり書いて居ます。私も驚いたのですが、書きかけるとドンドン出て来る。共産主義も色々騒いで居るが、共産主義の根本は悪だから、悪がもう少し必要だから、それで共産主義に走っている。然しもう長い事はない。共産主義というものはもう数年位のものです。

   今度の『文明の創造』はつまりエホバの『聖書』なのです。キリストが作ったのは、自分は天の父の子であるとして『バイブル』を書いた。だからその『聖書』というのは伜のバイブルです。今度は親父のバイブルです。だから伜だからして善性だけだった。そこで悪の方が解らなかった。親父の方は善と悪と両方作ってあるから、そこでその関係がすっかり分かる訳です。で、親父が悪を作ったのですが、悪があんまりのさばり過ぎるから、少し――或程度にしておかなくてはいけないというので、それで、伜の――キリストを出して(後略)

御垂示録13号 昭和二十七年九月一日

そうです。然し一番上手いのは医学です。之は一番です。兎に角医学が邪神の一番成功したものです。それを今度は『文明の創造』ですっかり書いてあります。九分九厘と一厘というのはそういうわけです。医学というのは人間の生命を握るのですから、医学に全部生命を握られているのです。それを私が離そうとしているのです。九分九厘を一厘で引っ繰り返そうとするのです。二千年以上かゝってこうしたのですが、それを一遍にして引っ繰り返すのですから、驚天動地の場面でしょう。その小手調べとして『結核信仰療法』をやっているのです。その内に『文明の創造』をやるのです。『文明の創造』を世界中に行き渡らせて、それから世界の大破壊となるわけです。病人もありますし、それは大変なものです。そうして、どうしてもメシヤ教に縋らなければ助からないという事になるのです。ですから余程大きな腹を持っていないと呑み込めないわけです。之は大本教のお筆先にもあります。「世界始って以来ない仕組であるから、余程大きな器(うつわ)でないと分かり兼ねが致さんぞよ」とあります。

『文明の創造』発刊について(その4)/

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