HPタイトルを「岡田茂吉を学ぶ」に変更しました。(旧世界メシヤ教)

「救世(メシヤ)教とは何ぞや 」で岡田茂吉教祖は「この文を書くに当って、前以て断っておきたい事は、我がメシヤ教は純然たる宗教ではないのである。と言っても、一部には宗教も含まれてはいるが、全部でない事は勿論である。では、何故メシヤ教の名を附けたかというと、何しろ有史以来夢想だもしなかった処の劃期的救いの業である以上、止むを得ずそう附けたまでであって、」と述べていらっしゃり、岡田茂吉の思想哲学を一宗教の教えに留めてはいけないという思いからタイトルを変更しました。

『天国の福音書』序文「救世(メシヤ)教とは何ぞや」 ➡️

無機から有機へ (結核の革命的療法  昭和二十六年八月十五日)

前項に述べた如く、病気の本体は霊の曇りであり、此曇りから黴菌は発生するという、其順序を詳しくかいてみるが、初め透明体である人霊に曇りが発生するか、又は濁血の移写によって曇りが出来る訳は、既にかいた通りであるが、然らば曇りから何故病菌が発生するかというと、曇りの濃度化が或程度に達するや、自然に超微粒子が発生する。此原理こそ最高科学であって、一層判り易くする為、反対に考えてみる。
即ち天空の広さを仰ぎ見る時、之は無限大である。としたら今度は小さく考えて見ると、地上の一切は無限小である。というように積極即消極である。としたら此理は人体にも当嵌る。即ち霊の曇りと雖も超極微粒子から成立っている。即ち不断の浄化作用によって濃度化し、個体化した霊に植物性超微粒子が発生するのである。之は何が為かというと、元来曇りとは水素の集合である以上、植物発生には都合がいいからである。そうして之が漸次成育し、遂に有機化して了う。即ち之が黴菌の卵子であって、此卵子が成育して最初の黴菌となるが、此程度では勿論顕微鏡では視る事は出来ない。然し最早生物となった黴菌は、食物が必要となり、互に食い合いを始める。即ち弱肉強食的生物の自然原則である。言うまでもなく生存競争である。勿論黴菌群中にも強者が現われ、弱者は淘汰され、強者は益々太るという訳で、此強者こそ顕微鏡で捕捉される迄になった黴菌であって、此点人間社会と酷似している。
右の如くであるから、病原とは全く最初に発生した霊の曇りであるとすれば、此曇りを解消する以外、根本的治病の方法はあり得ないのである。処が現代医学は再三説明した通り、病原である曇りの発見までには到達していない以上、真の医学とは言えないのである。
最後に、結論として言いたい事は、右の曇りを解消する其方法である。之が可能でなくては、如何に病理の根本が判ったとしても、何等意味をなさないのは勿論であるが、私は此方法を発見したのである。即ち、浄霊法と言って、現に絶大なる効果を挙げつつあるのである。然らば浄霊によって、何故曇りが解消されるかというと、実は此原理こそ最高の科学と言うよりも、最高の宗教原理であって、之を追求すれば神霊の実体に迄到達するのであるが、此著は第三者に読ませるのが目的である以上、出来るだけ科学的に解き、宗教的解説を避けたので、読者は諒せられたいのである。
右のような訳であるから、どうしても徹底しなければ、満足出来ないという人は、本教の信者になって実地に当るのが何よりであるが、それを勧める事は宗教宣伝となるから敢てかかないのである。然し斯ういえばやはり巧妙な宣伝と思うかも知れないが、それは止むを得ないのである。だが何故斯う迄断わらなければならないかというと、一般人は新宗教へ対して非常に疑惑をもっている。勿論原因は新聞雑誌等のデマによるのであろうがそれも無理はない。何しろ如何わしい新宗教が、簇出するからで、之も亦致し方ないのである。然し次に載せてある百に上る実例をみたなら、何人と雖も私の唱える説が、些かの誤りない事を知るであろう。
附録(おかげ話百例)(本文省略)

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