はしがき/人が恐ろしい/馬鹿正直 (自観叢書第五篇  自観随談 昭和24年8月30日)

はしがき 

 私は日本流に数えて今年六十八歳となるが今日迄凡ゆる世の中の辛酸は嘗め尽したつもりである。恐らく私ほど異色ある波瀾重畳の境遇を経たものはあまりあるまい。或時は高い山の上に乗せられたかと思うや、忽ちにして谷底へ突落され、そうかと思うと又高い山の上に乗せられるというように、実に千変万化極りなき、数奇の運命を究めたもので、世間並的ではなかった。人よりも面白い事もあったし、又辛い苦しい事もあった。それ等の経験の中から掴み出した、成可(なるべく)興味あり心の滋味となるようなものを、想い出すまま書き綴って一冊の著書としたので、処世上何かに役立てば幸いである。

人が恐ろしい 

 今日、私の仕事をみる人がよくいう言葉に、先生は実に大胆で何をやっても構想が大きいと驚いているが、全くそうであろう。全人類を救い病貧争絶無の世界を造り、現世を天国化するというのであるから、まず普通人から見たら誇大妄想以外の何物でもあるまい。否私自身としても何と大きな事を計画ししかもそれの実現を確信するというのであるから驚いている次第である。

 処が私は若い時分はそんな大それた事は思ってもみなかった。十五歳から二十歳頃までは人並以上の意気地なしで、見知らぬ人に遇うのは何等の意味もなく恐ろしい気がする。特に少し偉いような人と思うと、思うように口が利けない。また若い女の前などに出ると、顔が熱して眼が暈(くら)み、相手の顔さえもロクロク見えず口も利けないという訳で、大いに悲観したものである。随而(したがって)自分のごときは一人前の人間として社会生活を送り得るかという事を随分危んだのである。そんな訳であるから、その頃世間の人を見ると、自分よりみんな利巧で偉いように見えて仕方がなかった。それがどうだ。今と比べてあまりの違いさに、自分ながら不思議に堪えないのである。斯んな事をかくのは世間によくある気の小さい青年に読ませたい為で、この一文を読んだら、いかなる小心翼々者も発奮するであろうと思うからである。

馬鹿正直 

 斯うい事があった。私は二十五才の時に世帯を持ったが、その時親戚の中に苦労人が居た。その人の曰く。「お前のような馬鹿正直の人間は世の中へ出た処で成功しっこない。何故なら、今の世の中で成功する奴は嘘をうまく吐き、三角流でなくては駄目だ。」と散々言われたので、私も成程と思い、独立してから一生懸命嘘を巧くつくように努めてみたがどうもうまくゆかない。そればかりではない。常に心の中は苦しくてならない。其結果「俺という人間は嘘は駄目だ。成功しなくてもいいから本来の正直流でやろう。」と決心し正直流で押し通した。処が之は意外実にうまくゆく、気持がいい、人が信用する、という三拍子揃ってトントン拍子に発展し、終に一文なし同様の小商人から十年位経た頃、当時としては異数の成功者と言われた程で、十数万円の資産家になったのである。それから今日迄正直流で押し通して来た。之も若い人の参考になると思うからかいたのである。

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