御教え集32号 昭和二十九年三月六日  ※薬を徹底的に分析

  次に薬を徹底的に分析ブンセキしてみたのです。これは気がつきそうで気のつかない点を書いたのですが、これを読めばどんな人でも“なるほど”と思わないわけにはゆかないと思います。

  そういうような工合で、薬と病とは関係ないわけです。薬で病に対し、科学的にどういう理論で治るかという事は全然分らないのです。それは、病気というものが分らないのだから、分らないはずです。ただ飲んでみてちょっと工合が良いから、これは効くのだ、この薬に限るというように思ってしまっているのです。だから大変科学的のように見えますが、よく考えてみると、薬というものには全然科学性はないのです。浄霊はどんなに考えても科学であり、又実際に効果があるのです。薬というものは、一時痛みが無くなるとか、一時気持が良くなるとかであって、病とは関係ないです。それを科学的に病が治ると思っている事は、全く迷信なので、言わば今の学者というのは実に頭が悪いのです。それが本当に分ると、どうしても今の科学文明というものは根本から立て直さなければならないわけです。それを私がやっているのです。だから本当に薬が科学的に効果があるものなら、何かの病気に一つの薬があればそれで決まってしまうものです。新しい薬が出るわけがないです。

  それから、丁度薬のついでですから言いますが、薬が不幸を生むという事も知らなければならないのです。薬を飲むと血が濁るという事はみんな知ってますが、そうすると霊が曇る。霊が曇ると霊界の地位が低い所になりますから、どうしても地獄になるわけです。だから今の世の中が悪い世の中で、幸福な人は殆んどないです。それからそれへと不幸ですが、不幸だという事は霊的に霊界における階級が低くなるから、そこで嫌な苦しみや災難が来るわけです。その因というのは薬ですから、要するに薬が人類の不幸を作っているわけです。薬によって病気を作るどころではなく、病気以外一切の苦悩を薬が作るわけですから、薬というものは実に恐ろしいのです。そこで人類から薬というものをどうしても無くしなければ良い世界というのは出来るわけがないのです。仮に汚職事件にしても、ああいうずるい人が出るという事は、モトモトは薬です。そういう人間から薬毒を抜けばよいのですが、抜くことはなかなかできないのです。

  大体そういう事をさせるのは動物霊ですが、動物霊は薬のない霊に憑いても働けないから、そういうのには憑かないのです。憑くとなると動物霊も改心しなければならないのです。だから結局薬毒が犯罪を作っているわけです。ところがそれを逆に解して、新聞などでよく、屁のような薬の効き目をデカデカと書いてます。それは例えてみれば、薬の効果が十のものなら、七、八は被い隠して、二か三の効果だけを大いに拡げて出すのです。そこで人間はみんな、なるほど薬はよいと思ってドンドン飲む、飲むから売れるというので、今新聞を見ても売薬の広告が一番多いです。ますます多くなってます。又事業としては売薬が一番売れるのです。如何に売れるかという事は、去年の売上が一番多いのは武田長兵衛で、三十五億で、これが一番です。これは薬屋から聞いたのだから間違いないです。その次は三共もかなりで、二十七億です。ですから非常に儲かるのです。そのために今薬屋が一番恐ろしいのは救世教なのです。又そういうものに恐ろしがられるほどこっちの力が強いというわけですから、これは大いに喜んでよいわけです。プラスでよいわけです。悪人が一番いけないのは善人なのです。ところが今までの善人は弱かったから大した事はなかったが、善人の強い奴が悪人には一番怖いのです。悪人から見れば、善人はみんな悪人なのです。
 しかしこれは小の虫を殺して大の虫を助けるのだから仕方がないのです。そういうようなわけで、薬の害というものを知らせるという事が一番です。それでラジオでこの頃続いて農業講座が出てますから、私は毎晩聞いてますが、肥料の事を言わないのです。一番肝腎な肥料の事を言わないで、他の技術面の事を言ってます。そうすると、日本のああいうジャーナリストは、国民の幸福という事よりも、己れの幸福という事を上にみているのです。実際これでは、日本もよい国になれるわけはないです。本当に国民のためになるという事は、つまり自分で自分を打消しているわけです。そこで、これは悪いと思いながらも、その方が金が儲かるし、自分の利益になる、という事をやっているのだからして実に厄介ヤッカイな世の中です。これに対してはアメリカ人などは、本当に世界人類のためになるという事は、自分の利益を犠牲にしてもそれをやるという、非常に高い、崇高な思想があります。これがアメリカがあれだけの勢力を得、世界をリードするほどの国になった根本理由です。

  結局問題は薬ですが、では神様はどういう訳で、そんな悪い物を作り人間に飲ませるのを許していたかというと、これは又理由があるのです。前に何かで書いた事がありますが、原始時代は人間が非常に健康で、全然病気はないのですが、そうすると文化の発達ができないのです。どうしても人間の体を弱くしなければならないのです。その必要から毒を薬として、薬のように思わして人間にウンと飲ましたのです。これは神様の経綸なのです。人間が健康で、幾ら歩いても草臥クタビれないというのでは、便利な交通機関というものも発達しないし、立派な家も造らないで、つまらない家で“これで沢山だ”という事になります。そこでそういったような意味において、文化を発達させるために人間を弱らせたのです。だからこれは必要だったわけです。神様の経綸というものは人間が考えても到底分らないものであって、実に深いものです。私が薬や医学の方をこういうように言うが、薬や医学のような間違ったものがあるために救世教というものが出て発展するのです。薬をやれば病人が治るし、医者がやればドンドン健康になるというのでは救世教というのは発展しないし、又現われる必要がないのです。そうすると救世教を発展させたものはやっぱり医者や薬なのだから、それを今悪い事を言うという事は非常に矛盾ムジュンしてます。本当言うと大いに感謝して褒めなければならないのです。そういうように考えると、神様の経綸というものは実に深いもので、人間の理窟で簡単に片付けようと思っても駄目なのです。善が悪になり、悪が善になり、という事で、そうして世の中がだんだん進歩発達してゆくのです。しかしてそれを本当に分るにはやっぱり見真実でなければ分らないのです。

 

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