こんにちは、梅雨の時期に入りましたね。今年は遅かったようですね。
昨年、関西は梅雨時期の雨量が多く、また、そのあとはとても暑くなったのですが、全国的にも農作物は随分打撃を受けたようですね。
気温もここ何年か、全国的に以前は考えられないくらい高い気温が何日も続き、世界的かもしれませんが、クーラーなど全然必要としなかった地域でも、今までは考えられなかったような暑さに、クーラーなしでは過ごしにくい地域も増えてきているのではと思います。
私は明日から、こんな暑さでも、クーラーの必要のなさそうな所へ行ってきます。年齢的に大分体力が落ちてきているので観光に行っても十分歩けるかなど心配なのですが、特に体力を使う観光地には今のうちに行っておかないと、もう一生いけなくなるかもしれないという年齢ですので、動けるうちにいかねばと思い行くことにしました。
ホームページはお休みなく掲載の予定です。
ところで、下記の御垂示録はお読みいただけましたでしょうか?
冒頭の質問
《お伺い》自分で過去を振返って見ましても、むしろ信仰に対して反対する人の方が本当だと考えられます。
をお読みになって
「...?」となりませんでしたか?
私はちょっと「あれ...?」と、思いましたがそのまま載せました。
「むしろ信仰に対して反対する人の方が本当だ」...?
でも、その後、昔の父の事を思い出して、成程と思いました。父以外にもそんな人がたくさいたという事だなと理解いたしました。父の話をした方がこの御垂示は理解しやすいと思ったので、以前も書いたかもしれませんが少し書きますね。
父は戦後、家を継ぐことになり、私の実家、青森の大畑(御教え集2号にでている)に居ました。私の叔母たちが熱心なメシヤ教信者で、父もメシヤ教の信仰を強く勧められていたようで、戦後まもない昭和23年か、22年の12月、カチコチの理数系頭の父は、メシヤ教の話を垣間知り、そんなでっち上げのうそ話はあるはずがないと、姉たちからあまりうるさくメシヤ教を薦められるので、「メシヤ教を潰してやろー!」ぐらいの気持ちで、メシヤ教の話を聞きに行ったらしいです。
”潰してやろー!”ぐらいの気持ちで話を聞きに行った父が、そのまま入信して、次の年のご参拝(その年の暮れの御生誕祭からかもしれません)から毎月のご面会を何年も(死ぬまでだったかも)欠かしたことがありませんでした。本州の最果てから、聖地まで毎月毎月ご面会に上がっていたのですから、教団を毀そうと思って話を聞きに行って、そのまま超熱心な信者になってしまったのですから、”ミイラ取りがミイラになった”とはまさに若き頃の父その物です。22か23歳の頃のことです。
この御垂示録を読んだ時は、最初は変なお伺いだなーと思いましたがそのまま載せました。しかし、よく考えたら、「父みたいな人の事」をいっているんだなと思い出し、納得しました。当時、父の他にもそんな人がメシヤ教にはかなりいらしたんだなと思い、ほほえましく思いました。父は本当に超熱心な信者で、そんな熱い信者が全国に居て、教団は破竹の勢いで発展していったんだろうーなと、お伺いについて納得いたしました。(笑い)
私の解説、ご理解いただけましたでしょうか?
さて、戦後の混乱期からはもう70年以上たち。戦後や高度成長時代とは世の中の考え方も随分変わってきたように思います。
今、混迷するこの時代にこそ、世界のために岡田茂吉師の教えを拡げていけるのか...
私たちに与えられた課題大ですね……。
否、もう、神様に期待されていなかったりして..。
笑い事ではすまされないのですが...(汗)
八尾屋