[日々雑感]戦後の御論文、御講話などを中心に掲載していきます。

 岡田茂吉は昭和10年元旦に日本観音教団を発会しました。
 時代背景は中々厳しい状態だったと思いますが、発会後大きく発展していたようです。

 しかし、だんだん弾圧が厳しくなってきたようで、発会翌年の昭和11年からは目に見えて取り締まりが厳しくなり、宣教の内容も徐々に変え教団名も変えていかれました。しかし、いろいろと手を尽くされたにも関わらぜず、世の中は第一次、第二次世界大戦中であり、やむなく休業に追い込まれていきます。

 そんな中で、だんだん取り締まりが目に見えて厳しくなってきだした昭和11年2月に執筆されたのが『新日本医術書』です。「序論」をお読みいただきましたでしょうか?

『新日本医術書』は序論に始まり40数点のご論文から構成されていて、「岡田先生療病術講義録」も10冊執筆されていて、機会がありましたらまた皆さんの参考にアップしたいとは思いますが、厳しい情勢の中発刊された『明日の医術』も、発刊さしとめになるなど。本当に中々きびしい時代だったようです。終戦前のこのようなご論文も紹介させていただきたいのですが、またの機会にして、当面は戦後のご論文ご講話を中心に掲載していくことにしました。ご了承ください。

『み教え集』と同じく幹部にご講話された『御垂示録』、そして機関誌の『地上天国誌』や『光」や『栄光」、『救世』などの新聞に掲載されたご論文等を同時期の物を大体併せて掲載していくようにしようと思ってます。よろしくお願いいたします。

    八尾屋

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