救世

お蔭話

お陰話「毒血を排除せよ 大浄化で安産できる」おかげばなし批判  科学に先行の浄霊(救世50号 昭和25年2月18日)

下記の患者は最初脳膜炎であって激しい嘔吐はその為である、すべて脳に関する病気の重い軽いは嘔吐の回数で判断するのが一番正確である、先まず二、三回位の嘔吐ならいいが、五、六回以上は生命の危険信号と思っていい、この患者などは医療のみをしたら、死はまぬかれなかったであろう、
救世

新宗教に正信はないか(救世50号 昭和25年2月18日)

本教が発揮する神霊の力の如何に画期的なものであるかを知り得るのである、勿論その時期も迫りつつある今日、信者諸士に於ても最後の大活動を期待するので、それには何よりも神書を出来るだけ拝読し、御魂を磨かなければならないのである。
救世

消化に就て (救世50号 昭和25年2月18日)

食物は消化の良い物も悪い物も巧くとり交ぜて食うべく神が造られたのであるから、消化不消化など問題にせず、喰べたい美味い物は何でも喰い、半噛み位にすれば胃の病など絶対起らない事を保証する。
救世

抵抗力(救世50号 昭和25年2月18日)

抵抗力があるから病気に罹るのである、言う迄もなく抵抗力とは浄化作用であるからである
救世

我を去れ (救世50号 昭和25年2月18日)

我を出さない事と、素直にする事と、嘘をつかない事が先まず信仰の妙諦である。
救世

再び借金を論ず (救世50号 昭和25年2月18日)

凡すべての事業は、借金政略で最初から大きくやる事がいけないのである、どこまでも堅実に小さく始めるべきで、どこまでも自力本位である、随而他力を蔑視し彼かの「天は自ら助くるものを助く」という事を信条とし、焦らず撓たゆまずコツコツ主義で努力を重ねるとすれば必ず予想外な好結果を得らるる
救世

救世(メシヤ)教の名について(救世50号 昭和25年2月18日)

いつも言う通り、私は神の啓示によって具体的に表わすのであるから救世(メシヤ)教の名もそうであって、神様から救世教の名の啓示があったのである
救世

善を鼓吹する新聞(救世50号 昭和25年2月18日) 

昔から悪事千里といってどうも悪の方が早くも知れ、拡がりもするのである、新聞記事なども善い記事は読者の興味を引かない、悪い記事程人の目を引く
救世

辛いものを避ける(救世49号 昭和25年2月11日) 

よく医学では唐辛子や辛子、ワサビの類を病気に悪いとして止めるが、之は実に滑稽である、勿論之等も味覚を助け胃の活動を促すに非常に必要なもので、その為神様が造られたものである
救世

輸血(救世49号 昭和25年2月11日)

元来血液とは霊の物質化であるから、出血又は貧血の場合同様霊も稀薄になるので、これを濃度にすれば血液は増量する、かような素晴しい輸血法が甚だ手近に完成している
救世

医者の遁辞(救世49号 昭和25年2月11日) 

医師が「あなたの病気は私には判らない、したがって請合う事も出来ないが、それでよければ診療してみよう」という医師は名医であるそうである、成程かような医師こそ正直で良心的であるからである
救世

霊的には無解決 二十世紀医学の誤謬  ーー「脳外科療法に革命」についてーー(救世49号 昭和25年2月11日)

 吾々は常に言う如く、癲癇や精神病は霊的疾患であるから、霊的に解決しない限り効果はない、この点判り易くいえば、悪戯いたずら小僧がワルサをするからというので、手足を縛っておくようなものである、成程それで一時的悪戯は出来ないが、その代り人間の生活行動も出来ないから、反って困ると同様である。
救世

日本人の依存性(救世55号 昭和25年3月25日) 

この際国民一般から依存心を思いきって除く以外、最善の方法はあるまい事を警告したいのである。
救世

近頃智能犯の増加(救世52号 昭和25年3月4日)

宗教哲学の如き一部の人にだけ理解されて、大衆には理解出来ないようなものでは実際の役に立たない、どうしても奇蹟によって見えざる神の存在を認識させ得る宗教でなくては意義ない事を知るであろう。
救世

安心立命(救世52号 昭和25年3月4日)

本教に於ては階級の如何を問はず、全人類を救うのが目的であるから、現当利益は固もとより、宏遠なる理論も大衆に判り易く説くので信者は満足し、真に安心立命を得らるる
救世

世界救世(メシヤ)教教義 (救世53号 昭和25年3月11日) 再掲

抑々、世界の創造主たる主の大神(ヱホバ)は、此地上に天国を樹立すべく、太初より経綸を行はせ給いつつある事を吾等は信ずるのである
救世

悪人と善人(救世60号昭和25年4月29日)

負惜しみではないが、我々を悪口非難する者もあるが、その度毎に我々は少しも怒る気はしない、むしろいかに自分は悪人の邪魔をしているかという誇りをさえ感ずるからである
救世

痔について(救世60号昭和25年4月29日)

今一つは出血である、これは上半身即ち頭脳、肩等に鬱血うっけつがある場合浄化によって毒血が下降し、肛門から排泄するのであるから、これはある程度排血すればピタリと止まり、その結果頭脳の苦痛は軽快となり、肩の凝りも楽になるのである、痔出血は大抵一、二週間とみればいいので、いささかも心配の必要はないのである。
救世

宗教の観方 (救世60号 昭和25年4月29日)

全人類は一部の例外を除き、何を望んでいるであろうかを検討してみる時、言うまでもなく幸福そのものである、科学の進歩発達も、人類の幸福を目的としたものに外ならないが、悲しい哉、事実はその逆でさえある、とすればその根本を探究する事こそ今日の急務であらねばならないのである
救世

欲張ったヨクのない人(救世49号 昭和25年2月11日)

今茲(ここ)にかく、ヨクナイ人間というのは善くない人間の事ではない、欲ない人間の事であるというと一寸変に思うであろうが、以下の説明によって誰しも成程と思うであろう。
救世

宗教は世界的たれ  (救世 四十九号  昭和二十五年二月十一日) 

今日の如くすべてが世界的となり、国際的になった時代、尚更宗教もそれと歩調を共にすべきが本当である、本教が今回日本の二字を冠していたのを改め、世界救世(メシヤ)教としたのも以上の如き意味に他ならないのである。
救世

世界的名所としての瑞雲郷 (救世48号 昭和25年2月4日)

右の如き建造物を企画した抑々(そもそも)の目的は、私の常に言う、日本の使命は芸術国家であるとして、日本の自然美と人工美とをタイアップした処の渾然たる一大芸術品を造るにある
救世

宗教に自由はあるか (救世48号 昭和25年2月4日)

他人に些(いささ)かでも障害を与えるとすれば気が咎める、不愉快であるから、そこに天空海闊(てんくうかいかつ)的の気持にはなり得ない、どうしても他人に愉快を与える事によって自分も愉快になる、之が真の自由である事を知るべきである。
救世

冷えるという事 (救世48号 昭和25年2月4日)

発汗は誰も知る如く熱の為であるから、夏の暑い時に多量に出るのである、故に寒い時は発汗が少量となるからその分だけ尿量を増す事になる、つまり尿も発汗も同じものであるから、臭気も似ている訳である。
救世

男女合権論 (救世48号 昭和25年2月4日)

      吾等が男女合権論を説くのは、此意味に外ならないのである、合権とは等級を付ける即ち五分と五分ではなく、男六分女四分という事にするのである、というのは大抵は生活上男子の力量の方が勝るからである、然(しか)し世間には女子の力量が勝って男の方が従属的の場合もあるから、そういう夫婦は女六男四でいい訳である、此様にするとすれば大いに争は減り、夫婦生活の幸福は増す事になるのは保証し得よう。
救世

株価値下りの原因と其前途 (救世48号 昭和25年2月4日)

それに就て以前斯ういう事を聞いた事がある、人間は商売でも何んでもそれと心中をしてはいけない、いつでも離れる事の出来るようにしてやる、そうすれば決して失敗する事はないので、実に味がある言葉と思ったのであ
救世

栃木地方の地震の原因  (救世 48号  昭和25年2月4日)

此の地震は気象台でも原因は判らないとしているが、之は判らない筈である、現在の気象学では、今回の如き地震を判る程度には達していないからで、唯物科学の研究だけでは何世紀かかるか判らないのである、処が神霊科学に於ては容易に判るにみても偉大というべきである。
救世

今流行のインフルエンザ (救世48号 昭和25年2月4日)

今回の感冒は、人体の表面の浄化作用であるからいいが、何れは内部に固結している毒素の大浄化作用が起る事である、此時こそ簡単には済まされない、続々重症者、死亡者が出来るであらう
救世

開教の辞 世界救世(メシヤ)教の誕生に就て (救世四十八号 昭和二十五年二月四日)

霊界が昼となる以上、之が現界に移写するに於ては、夜の文化は当然不用なものは滅び有用な物のみが残る事となるのは当然である、それのみではない、長年月に渉る暗黒時代によって人類の罪穢の少なからず堆積せる以上、それの清掃作用が行はれなくてはならない、右の滅ぶべき不用物とは之を指して言うのである、
救世

本紙一年を記念して  自観教主感懐を語る  可能な世界平和  (救世五十三号  昭和二十五 年三月十一日) 

西洋にキリストあり、東洋にメシ ヤあり、この二大勢力が東西相呼応して平和のために全信徒が、真面目にたたかってゆくなら必ず永遠の平和が齎らされるものと思う、いかに無神論国といえども、神の怒りに触るることは嫌だらうからネ、