*禁断の木の実は悪/神通力/活字も光(御垂示録12号 昭和27年8月1日①)

御垂示八月一日

《お伺い》今年に入りまして、今日が一番暑いようで。

《御垂示》そうですか。ここに居ては分かりません。しかし、暑いせいもあるが赤痢が随分増えて来たようです。

《お伺い》毎年レコード破りになるようでございます。

《御垂示》そうです。オリンピックの方は日本はそうはいかないが、伝染病の方は非常に世界的レコードで破ってます。今『文明の創造』を、以前に書いたのを余程訂正して書いてます。病気は、必要があって神様が病気になるようにして、そうして弱らせるようにしたという事を書いてます。で、キリストの言った禁断の木の実は薬の事です。禁断の木の実をもって悪を発生したということが『バイブル』にある。で、薬によって悪を発生したのです。ですから禁断の木の実は悪なのです。もうその時分に、神様はちゃんと知らせてあるのです。だから、人間から悪を無くするには、薬を無くす――悪の発生は薬によるのです。つまり薬毒は霊を曇らせるから、霊が曇るから動物霊が人間を自由にする。こういうわけなのです。悪が必要だったのですから、神様はうまい事をやったのです。神様が人間をだました――だから、神様が瞞すのだから上手うまいに違いない。私は、神様は今まで人間を瞞したのだ、本当はこうだという事を書くのです。そういう悪は不必要だ、だからして悪を無くさなければ本当に幸福な世の中は出来ないという事を知らせる。という事は、そうするとつまり悪というものは、神様に瞞されて出来たものだという事は、今までは知らせてはまずいからで、そこで今度は悪の必要が無くなった、悪があってはかえっていけないという時期になって、初めて知らせるのです。だから今まで、善悪一致だなんて言ったが、それは真理だったのです。そういう事を今すっかり書いています。私も驚いたのですが、書きかけるとドンドン出て来る。共産主義も色々騒いでいるが、共産主義の根本は悪だから、悪がもう少し必要だからそれで共産主義に走っている。しかしもう長い事はない。共産主義というものはもう数年くらいのものです。

 今度の『文明の創造』はつまりエホバの聖書なのです。キリストが作ったのは、自分は天の父の子であるとして『バイブル』を書いた。だからその聖書というのはせがれの『バイブル』です。今度は親父の『バイブル』です。だからだからして善性だけだった。そこで悪の方が解らなかった。親父の方は善と悪と両方作ってあるから、そこでその関係がすっかり分かる訳です。で、親父が悪を作ったのですが、悪があんまりのさばり過ぎるから、少し――ある程度にして置かなくてはいけないというので、それで、伜の――キリストを出して、それで悪ののさばりを防いだわけです。それがキリスト教です。それから娘の方を――お釈迦さんは娘の方みたいですが、それを出して、悪の為に非常に苦しむから大いに慈悲を施すという事をして、人間を慰められた訳です。しかし悪を無くする事は出来ない。どうしてもある程度文化を発達させなければならないから。だから聖書の方は、何をするなかれという非常に厳しい正義を説いている。キリストの内部を説くというと、結局修道院に入るよりしようがなくなる。キリストの極く徹底した人は非常に――清教徒と言って禁欲一点張りです。キリストがそういう――まあキリストの性格です。それでああいう風になったわけです。ところが仏教の方の難行苦行というのはキリスト教の方とは丸っきり違うのです。禁欲主義というのは、あれは先にも書いた通り仏教の建前ではなかった。難行苦行するのはバラモン教の方です。バラモン教によって色んな神通力やそういった事を――そういう一つの能力を生んだ。

 今しがたラジオで聞いたが、今度英国の学者が皆寄って一人のインド人を試験した。そのインド人は目隠しして町中を自転車に乗って廻ったというので、そこでそんな事はないというので学者が大勢寄って、目にゴムみたいな物を当ててその上にセメントか何か塗って、その上に布か何かで絶対に見えない様にした。そうすると少しの間坐っていたけれども、間もなく室内を歩き始めて、ドアを開けてドンドン行く、そうして門のところにある自転車に乗って町の中をドンドン十分間廻って、そうして帰って来た。それが科学ではどうしても解らないというのです。そのインド人はまだ若いらしい様だが、聞いて見ると生まれてからそういった目の作用が普通とは違っていた。ところが自分はインドのバラモンの行者で――なんとか言う行者の名前で――そこに行って十年間とか十何年間とか修行してそういう風になったという事を言っている。それはバラモンの行者から修行受けると、そういう風になる訳です。色んな能力がある訳です。しかし、その修行というのは、断食したり山に籠ったりして、色々やる訳です。これはキリスト教の方で言う禁欲生活とは根本的に違う訳です。仏教の方はそういう点は余程ゆるやかなのです。そこでお釈迦さんは「嘘も方便」と言って、ある場合には嘘を吐いても良いと言うが、キリスト教の方では絶対にそういう事はならんと言う。大体釈迦、キリストなんていうのは、そんな様な性質だという事を話した訳です。そこでメシヤ教の方は、そういう意味の事をみんな包含しているのです。そうしてその中心の柱というものが真理なのです。それは、人間なら骨です。メシヤ教が骨とすると、キリスト教なんか筋みたいなものです。そうして仏教が肉と皮膚みたいなものです。それに、今までは夜の世界であったから、それ以上はどうしようもなかった。で、段々昼の世界になりつつある。この頃は著しい奇蹟が多いでしょう。御蔭話なんか読むと、随分素晴しい破天荒のがちょいちょいあります。これは、それだけ霊界が明るくなって来た訳です。治り方も段々良いでしょう。段々良く治るでしょう。今まで一時間かかったのが三十分で同じくらいの結果がある。しかし、その代わり信者や資格者やなにかで浄化が起る人も随分出てきます。昨夜聞いたけれども、信者でもないのですが、ブラジルの方の日本人だと思うが、長い間夜尿症か何かで、私の本を送ってやったが、御神書を読んだだけで夜尿症が治ってしまったというのです。今にそういう風になります。『栄光』でも『地上天国』でも、ああいうのを読んだだけでも大抵の病気は治ってしまう。そうなります。

《お伺い》それにつきましてこういう事がございました。月並祭のとき明主様の御論文を拝読させて戴きましたところ、霊視能力のある方が「霊界が非常に変わる」「どういう風に変わるか」と言うと「言葉で言い表わす事は出来ない程だ」という事で、明主様の御論文を拝読させて戴きますと、その言霊ことたまで変わりますので。

《御垂示》そうです。つまり活字も光を持つのです。光を持つというと変だが、今までは光がごく有るか無しかだったが、段々光が出て来ます。

《お伺い》今の話で、長野の方の布教師が明主様の御論文を拝読させて戴きますと――御浄霊を戴くと咳が出る人が前に坐って居りましたが――拝読中咳が出まして、拝読が終りますと咳も止まりました。

《御垂示》随分騒々しい本だな。それはその人の口から光が出る。論文を読んでいると言葉から光が出るのです。これは、良い言霊を出せば光が出るという事は、私の古い本に書いてあります。だから愚痴だとか怨み事だとか悪口とか怒りとかそういう事を言うと、光の反対の曇り――ススみたいなものが出る。それが霊眼のきく人には見えるのです。

《お伺い》そうして良い方も悪い方も、それが自分に帰ってまいりますので。

《御垂示》そうです。あれは自分に帰ってくる。ちょうど天につばするという、あれです。良い事が帰って来る。だから言霊は良い事を言わなければ――。しかし人の悪口も、どんな事でも滑稽な事笑いになる事は構わない。私は随分人の悪口を言うが、終わりは笑いにするから、それで曇りにはならない。

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