*原始時代/観音像(御垂示録5号 昭和26年12月1日⑥) 

原始時代の霊視

《お伺い》一昨年、国常立尊が北海道の芦別山からインドにお出でになられた事を霊視し、その後『御教え集』第三号を読ませて頂き、人類の昔の姿に就き――ずっと以前は、半獣半人であったと言う。

《御垂示》今だってそうだ。

《お伺い》そこを読ませて頂きますと、急に眠くなり、二時間程眠りました。翌る朝、霊視により身の丈六尺で、一寸から一寸五分位の毛が生えており、足の甲が非常に厚く、幅が広く、一夜千里と言うが、その比ではない程に早く走れるそうです。左の肩から右の肩に獣の皮の衣を巻き、長い杖をつき、目は大きいそうです。その人は当時の学者であって、文字を工夫して人々に知らせたそうで、二十ばかりの記号の様な文字を書き、当時の穴居の三つの形を霊視したそうです。また、土で焼いた皿と壷がありましたそうです。将来何の様に致しましたらよろしいでしょうか。

《御垂示》それは合ってますがね。将来、どうと言う事は、それは霊の意志にあるんだから、つまりただ単に、自分が先に――神代でもない――原始時代の有様を見せてくれたんですね。しかし、それは意味はない訳じゃないですね。そう言う事を知らせると言う事も良い事ですよ。そう言う事を信者にも知らせたいと言う心持もあるでしょうがね。今後どう言う風にするか、それによって判断をすべき事はするんですが、差当ってどうと言う事はないですね。

《お伺い》一応信じましても。

《御垂示》良いですよ。間違いない。そんな様ですからね――古い時代はね。それでも陶器や何か作ってあるから、極く古くもないですね。

《お伺い》人間が弓矢を持った以前だと言っております。

《御垂示》弓矢を持ったより、ずっと古いですね。

《お伺い》大体何時頃で御座いましょうか。

《御垂示》だから、極く古くはないですが――獣から人間になる間だから、数万年――何万年だね。方々から掘り出した陶器なんか、今ありますが、この間の博物館なんかに沢山あるね。この間の博物館のは、極く原始時代の色んな茶碗、お皿みたいな様な形をした物――段々進んで現在の様な花生けだとかになった。良く分かりますね。私は、先に神憑りになった時――五十万年前だがね。

最初米ができた時、一ぺんに五、六粒位しかなかった。段々進化して沢山作る様になった。だから、米粒は段々増えていくものです。今にもっと増えます。大体150粒位ですが、300粒になり、500粒になる――人口が増えるに従ってね。人間は、粒が今のままと思うから心配するが、粒が増えれば何でもない。日本人が何億になっても大丈夫です。

自然栽培の畳

《お伺い》畳表で御座いますが、非常にコヤシをやらなければならないそうで、また自然栽培で致しますと短くなります。

《御垂示》長くならないのは、やっぱり肥毒の為です。肥毒中毒になっているんです。しかし、強いとか、何か――ずっと有利です。

《お伺い》大量生産ができないと言う事で御座います。

《御垂示》二、三年辛抱したら、素晴らしい物ができますね。やっぱり、神様は色んな事をやるね。しかしそれは大した問題でないからね。結局、食糧が一番の問題です。

観音像

 実に像、この表装(床の間の御神体を御指しになられ)は合っているな。私は、自分で言うのはおかしいが、この位の絵は日本人にはないですね。もっと下手へたなんです――日本人のはね。支那の牧渓もっけい梁楷りょうかいは、約この位ある。観音さんとしては、牧渓のもありますが、之より下手です。これは実際――自分で言っちゃおかしいが――この位良く書けたのはないですね。大体、他の人のはお顔が駄目です。之位の品位を持っているのはないね。

 姿は朝鮮ですね。朝鮮の方が良いですね。スマートですよ。法隆寺の夢殿にありますね。百済観音ですね。東洋一ですね――姿の良いのは。今の人でも、観音様は、あれをモデルにしてますね。

《お伺い》インドのアジャンターの。

《御垂示》あの時代には良い物ができたんですよ。壁画で、有名なものですね。アジャンターよりか、もっと前に観音様とは違うが、仏画がありましたね。仏教は二千六百年だから、観音さんだね。今に手に入るんですが――二千年位前ですが、チベットと支那の間で、絵画としては古いんです。そう言うのがお手本になって、インド辺りに発達したんですね。

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