今日迄千数百年以来、我国に於て行はれ来りたる医学其ものは、実にみな外国医学にして、即ち人も知る西洋及び漢方医学なり。然るに両医術共、長年月に渉り、あらゆる研究実験を以てしても、其進歩の遅々たる、到底人類が安心して身を托するに足らず。病気の不安より解放さるるの日は、尚前途遼遠の感無くんば非ず。人或は曰 (イ) はん、輓近(バンキン)医学は非常なる進歩をなせしと。されど学理のみに偏して治療方面は更に進歩の跡無きに非ずや。溢るるばかりの病者と病院の満員なるに見ても、證して余りありと謂ふべきなり。
而(シコウ)して人生の幸福は如何なる条件完備するとも、先づ健康にして完(マッタ) かざれば 何等価値無きは論を俟(マ) たず。バイブルに曰く、「爾(ナンジ) 世界を得るとも、生命を失はば奈何(イカン) せんや」と。宜(ムベ)なる哉。此の言や実に永劫の真理なり。然るに余は観世音菩薩の功力と、長年月の研究と相俟って、あらゆる病源と其療法を識り得たり。識るに及んで現在の洋漢孰(イズ)れの医学も、根本に於て大いなる誤謬あるを発見して驚愕せり。此の誤謬を革正するに非ずんば、今後何百年を費すとも真の医学は確立さるる道理なし。是(ココ)に於て余は純日本医学建設の名に於て、此の空前なる大創見を順次発表せんとす。大方の専門家諸彦(ショゲン)虚心宜しく余の真意を汲まれ、熟読 、実験、参考に供せられ、真の医学を完成せられ、人類の不幸を殲滅(センメツ)せられん事を冀(コイネガ)ひて熄(ヤ) まざるものなり。其前提として此の発見の動機と、観世音菩薩との関係等に渉り、茲に述べ置かんとす。