御教え *私は許し主(御教え集9号 昭和27年4月6日③)

 それから神憑りについて昨日私は話したが、大変良い話だったと言う人がありましたがね。それと、私は神様は拝まないんですよ。どの宗教でも、今までどんな教祖でも、必ず神様を拝んだものです。それを、私は拝まない。と言うのは、私に憑いている神様は、一番高級だから拝むものがないんです。みんな下ですからね。それからもう一つは、よく神様にお伺いを立てるとか、あるいは神様にお知らせをいただくとかして言うんですが――大変ありがたく思うんですが、私は簡単に、普通の事のように言うんです。うっかりして軽く見るんですね。その為に忘れちゃったり、うっかりして、何かあった時、これは先に明主様に御注意いただいた事がある。お言葉にある。と、気がつく事が、どなたもあるんですがね。私は神様にお伺いして、それをお取次するんでなくて、私の口から出る事は、神様自身が言う――こういう事になるんですね。最高の神様ですからね。だから、私が神様にお願いするとかお伺いするとか、そう言う事はないんですよ。そこで、御守なんか書く時に、普通ならどの宗教の教祖でも、そういう時には、羽織袴で祝詞を奏げるものですがね。私なんかそうでない。夏なんか裸でアグラかいてやりますからね。見る人はありがたく思いませんよ。私はそれで良いんですよ。神様自体が書くんだから、どうしょうもない。こういう事は今まで言わなかった。そういう事も心得て良いですね。

 もう一つたとえて言えば、信者の人で色んな奇蹟をやりますが、奇蹟も、やっぱりキリストがやった位の奇蹟は毎日やってますからね。これは、時間があったら読もうと思ったが、時間がないからしたんですが、キリストの奇蹟以上の奇蹟ですよ。これは全然理屈がつかない程の奇蹟です。

 それから、原子爆弾で助かったお蔭話ですね。これも、7つばかり来ましたからね。私は、それを発表するように言ってあるんです。これも、今度良く説明をつけて、この次あたりに読ませますがね。そんな訳で、私の弟子がキリストくらいの奇蹟をすれば、やはりキリストも私の弟子になるんです。それをはっきり分かっていなければ、キリスト教信者なんか誤解します。というのはもう一つ言っておく事は、キリストは贖罪主しょくざいぬしなんです。贖罪主というのは、一つの会社なら専務ですね。専務みたいなものです。もし会社で色んな過ちがあったりしますと、専務が代表者になって、許してくれと言って社長にお詫びします。贖罪主と言うのは、そう言うものです。万民の罪を御自分が負って、万民になり代わって十字架にかかる。贖罪主とは別に、社長――すなわち、よし許すと言う、許し主がなくてはならない。私は許し主なんです。ですから、そう言う点は非常に――主人と家来程違うんですね。こう言う事も、今までも言いたかったんですが、余りかけ離れているから、誤解されますので言わなかった。明主様は、誇大妄想的な脱線だ。と、未信者は言いますから、言わなかったんですが、もうソロソロ言っても良い時期になったので、言ったんですがね。そういう事も知ると、余計色んな事がはっきり分かる訳ですね。そのくらいにしておきます。

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