地上天国祭 箱根美術館開館 (御教え集11号 昭和27年6月16日②)

昭和二十七年七月十五日

 美術館も、これから皆さん見られますが、案内書が間に合わないので、私がざっとした案内書の代わりをしますから良く聞いて貰いたい。

 中は六部に別けたんです。入口から入って左の方の広い所を一部、右の方の最初入った所を二部、次に入る所が三部です。二階に上って、右の広い所が四部、それから左の方に最初入った小さい所が五部、その後ろが六部――と、こういう具合に別けましたから、そういう順序でお話をします。これはというものだけの説明をします。

 最初入った一部は屏風と陶器です。屏風は光琳こうりんのものが二つあります。これが見物みものです。光琳の二曲が一つと、つまり一本です。それからもう一つは一双です。二曲が二つになっている。一つの方は極彩色ごくさいしき水浜すいひんの図ですが、岩に水鳥がたくさんいるんです。これは光琳の図録には出てますが、非常な傑作なんです。今パリに行っている佐野繁次郎氏は、光琳ではこれが一番だと言って、自分でも写したりして非常に褒めてます。その隣の白地に金泥きんでいのカスミに秋草を画いてますが、これは淡彩です。去年の博物館の琳派展覧会の時に同じ様な屏風がありましたが、あれは弟子が画いたものです。ちょっと見ると同じ様なものですが、良く見るとずっと出来が悪いです。それから根津美術館にもそれと同じものがありますが、それは偽物の様です。悪いけれども、それを言わなくちゃ、こっちの本物が分からない。こっちが本物です。それは実に良いです。その反対の隣の方が、足利末期の名人ですが、*海北友松かいほくゆうしょうという画家です。これはごく簡単な墨絵ですが、面白いもので有名です。国宝になっているんです。もう一つ、右手の方には現代――明治以後の画家です。その内の代表と言っても良いくらいですが、京都の今尾景年いまおけいねん孔雀くじゃくを画いた金屏風ですが、こは先の山下亀三郎さんが、これ以上ないという屏風を作って、景年にうんと最高の物を画いてくれと言って――非常な力作です。実に――現代画でも、見て値打があります。これは汪精衛おうせいえいが日本に来た時にあの屏風を必ず立てたそうです。御自慢だったんです。あとは陶器ですが、その内で見るべきものは、真ん中に仁清にんせいのものがあります。これは日本の陶工で第一番のものなんです。むしろ、日本陶器の真髄は仁清にありと言っても良いです。というのは日本の他の陶器は、なんでも結局支那の写しです。支那をお手本にしている。柿右衛門でも、支那の明時代の赤絵物あかえものを模したものです。少しは日本的なものがありますが、大体支那の赤絵の模倣と思っていれば良いです。それから、乾山けんざんはそれ程支那の模倣はしてませんが、やはり支那の一部を模倣したのと、オランダの模倣をした。そこに兄の光琳から大いに学んで作ったんです。とにかく乾山は各国の良いところを――朝鮮の風も取り入れてあります。そうして琳派の特色を発揮したというものなんです。ところが仁清に至っては全然外国のものは少しも取り入れてない。独自のものを作っている。そこに素晴しい価値があるんです。そこで私は昔から仁清は好きで、最初から仁清丈をあつめる方針で――だから仁清が一番蒐まっているでしょう。仁清の内の最も傑作を三点部屋の真ん中に飾りました。その真ん中の一つは支那の唐子からこ人形です。それが二人花車を引いている。花の籠の意味を陶器で表わしている。それで二人で引いているんです。置物です。仁清のものは名作と言えば壺ですが、そういった置物はないですよ。恐らく、それ一つじゃないかと思います。その意味において珍器です。珍物なんです。それから左手の方にある水指みじさしですが、これは雲に菊畑が画いてあるんですが、金を多く使って、その具合が非常に仁清の特色を発揮しているんです。仁清の優美な、なんとも言えない美しさが良く表われているんです。右手の方には茶碗が二つあります。茶の湯の茶碗です。これは重茶碗かさねちゃわんと言って有名なものです。仁清の茶碗のうちでは、これが一番としてある。その意匠たるや非常に新しい――現代の図案の感覚です。それとちっとも違いないです。今の人が作ったような意匠です。三百年前にあれを作ったという仁清の頭というものは、実に大したものです。まだその他のも私は持ってますが、今度出るのはこれだけです。これが大いに注目する価値があると思います。その隣に乾山の鉢が二つ出てます。これも乾山のうちの名作ですから良く見て貰いたい。あとは鍋島なべしま九谷くたにです。その皿が多くありますが、これは世間にもありますから、そう自慢する程の事はない。世間のはとにかく大抵はきずがあります。今度出ているのは毀がない物ばかりですから、その点は誇っても良いと思います。それから壁際に画帖があります。これは現代の物で、取り立てて言う程ではないです。

 次の二部は現代の美術品を飾ったんです。そこで掛物は雅邦がほう栖鳳せいほう大観たいかん玉堂ぎょくどう春草しゅんそうと、この五人のものを出しました。現代としては古径こけいだとか靭彦ゆきひこ清邨せいそん龍子りゅうし――そこいらを出したいんですが、どうもまだもう一息というところがあるのと、それからその人達の傑作が手に入りませんし、場所もないし――いずれ熱海にでも出来た時に飾る様になりますが、今回は今の五人のものを並べたんですが、その内で素晴しいものとしては、栖鳳の竹と雀です。これは私は頭が下ります。この技術に至っては古人に遜色はないです。鯛もなかなか良く出来てますが、鯛の方は可成り写生味が多い為に、もう一息という感じがします。竹に至っては絶品です。殆ど神技かみわざに近い――神技と言っても良い。見れば分かります。それを見ると息が止まりそうですよ。それから、工芸品としては蒔絵の白山松哉しらやましょうさいという人の、あれが昔から一番の名人ですが、この人のが二点出しています。一つは沈箱じんばこと言って香を入れる箱です。あそこに行けば分ります。もう一つは香台と言って香をく台です。これは、陛下が出御しゅつぎょなされる時に香を薫くんです。香を薫いて良い香がしている所に出御するという香台です。これは、素晴しいものです。何しろ香台の裏まで蒔絵の立派なものがついてます。明治以来の名人のはみんな出てます。松哉の次のは、普通の人は知りませんが川之辺一朝かわべのいっちょうという――松哉と並び称されている人です。これは海浜かいひんの図ですから見れば分かります。その次が赤塚自得あかつかじとくというなかなか有名な人ですが、ダリヤの料紙文庫りょうしぶんこすずりがあります。その次が蜀江しょっこうの嫌味のない奥床しいものです。金一色で画いてあります。これも文庫硯です。それから硯が三つありますが、これは模したものです。模したと言っても、贋物を作るという意味じゃない。模したものも非常に名人がある。小川松民おがわしょうみんで、鎌倉時代の有名な政子の硯箱の写しですが、もう一つは光悦の舟橋の硯箱の写しです。これは大正頃の名人の迎田秋悦こうだしゅうえつ作です。それから彫刻の佐藤玄々げんげんという人は昔からの――古今を通じての名人です。入って左手に猫がありますが、この猫たるや実に素晴しいものです。本当の猫を見る様な感じです。それから中の方に入ると、鷹と観音さんと大黒さんと三つありますが、これも大したものです。あとは波山はざんの陶器ですね。楊成の堆朱ついしゅと、そんなところです。次の三部はお茶に関係したものです。その中で面白いのは、支那の無準ぶじゅんという坊さん――有名な坊さんですが、この人ので大きな字で「帰雲」と書いた掛物があります。これは説明すると、面白い由来があるんです。昔、無論徳川初期あたりですが、尾張の陶器の名人で古田織部ふるたおりべという、これは織部焼の元祖です。この人は茶器を焼くのが上手いので、各大名から贔屓ひいきにされていた。そんなこんなでお茶の会を終始開くんです。ある時その会に、その時分細川の――最初は幽斎ゆうさいですが、その次の人か、とにかく細川の殿様が茶会に行って、「帰雲」がお気に入った。是非譲れと言った。それは譲る事は出来ないと言うと、一字千金というから二字で二千両で売れと言った。駄目だと言っても、俺は気に入ったから貰って行くと言って持って行った。その当時はそれは差し支えない事になっていた。掠奪りょうだつ御免です。むしろ殿様に持って行かれる様に出したくらいです。それも持って行かれるのを誇りと思ったんです。自分も好きなので売らなかったんですが、どうも殿様が持って行くのでは仕方がない。で、二千両でまからなかったから三千両なら承知出来るだろうと、使いの者に三千両届けさせたといういわれがあるんです。ですからいかに気に入ったかという事が分かるんです。私も、そういう事を知らない時に、一目見るなり非常に気に入ったんです。それで後で分かって――そういう記録があります。やっぱり良いものは同じ事だと思いました。その隣に大燈国師だいとうこくし――京都の大徳寺の開祖です。この人の字があります。日本での書では大燈の字が一番良いとしてある。これも名品ですよ。ああいった墨蹟物は細かい字よりも大きな字が良いんです。大きさが丁度良いんです。で、書くのも面白味があるんです――決まらないでね。去年京都に行った時に看読真詮榜かんどくしんせんぼう看経榜かんきぼう]という、あれは後醍醐天皇の罪を仏様に許して貰うという――それで悲愴ひそう味がある。去年の時にも私は良く見ましたが、非常に固いなんとも言えない悲愴――そういった気分を受ける。感じを受けるんです。ところが今美術館に出したのは、そうではない非常に明るい楽しい様な気分が良く出ているんです。非常に字が面白いんです。これも見るべき価値がある。それから一休の像を画いたのを出してありますが、これは一休が生きている時にそれを写生したのです。ですから、想像画じゃないから、成程一休という人はこういう人だなという事が分ります。見れば分ります。なるほど一休らしい感じがします。私は会った事はないが――。あとは大した物はありません。竹の花生はないけがあるんですが、これは利休が小田原に太閤殿下のお供をして来た時、伊豆の韮山にらやまの竹が良いというので、自分で切ってこしらえた花生です。それも出てます。それから白い花瓶がありますが、これは大したものです。支那の定窯ていようと言って――定窯と言うのは大抵皿が多いんです。あの花瓶は世界的のものかも知れないです。実茶碗がありますが、楽茶碗でアヤメというのがあります。これはこの間京都の官休庵かんきゅうあん先生――お茶の方の一人者です。官休庵先生に貸したんですが、非常に面目をほどこしたというんで、非常に厚い礼状を寄越したんですが、それは長次郎の作品の内で、アヤメと早舟はやふねという有名なものがあり、この二つが一番良いとされています。早舟は私も欲しいと思うが、なかなか手に入らないし、早舟は割れているんです。アヤメは割れていないから、長次郎の内では一番良いと思います。実に良いです。誰も褒めない者はないです。それが出てます。楽茶碗です。それからもう一つ鳳凰ほうおうを画いた鼈甲べっこうになってますが、支那の茶碗で玳玻盞たいひさんというんですが、玳玻盞も色々ありますが、このくらい出来の良い、鮮かに出来たのはこれが一番だろうという評判です。これは鴻池こうのいけ家から出たんですが、見るべき価値があります。それから青磁の茶碗があります。金でふちをとった――これは藤田家から出たので、青磁の茶碗としては、日本で一番だと言われています。非常に良いお茶碗です。その他にも名品ばかりですが、一々説明しても切りがないからそのくらいにしておきます。今度は二階に上がって、四部は掛物と蒔絵が主ですが、それから巻物も――大した何はないが、中に「源氏物語」がありますが、そういった大和絵の大家で住吉具慶すみよしぐけいという人の画いたもので、良くその時代の気分が出ているんです。上品で何んとも言えない。歌と絵と交互になっているんですが、私が見ても――たまらないです。それから宗達そうたつの巻物と光琳こうりん団扇だんせんです。あとは光悦の書いた楷書かいしょです。楷書というのは珍しいんです。もう一つは仮名書の画帖ですが、光悦の内でも絶品なんです。このくらい良い画帖はないです。その画帖は近衛家の祖先が光悦にかに頼んで画いて貰ったものだそうです。ですから普通見るよりか良いです。見物みものです。掛物での一番は光琳の達磨だるまですが、私は光琳の伊勢物語の双幅そうふくがあるんですが、元の持ち主から出してくれるなというので、その代わり達磨を出しました。これも有名なもので、実に柔らかい内に凛としたところがあるんです。実になんとも言えないものです。もう一つ光琳の秋草の芙蓉ふようを画いた――この掛物の上手さというのはどうしてこんな筆を使うかと思う。今の画家もいずれ見るでしょうが、頭が変らないかと思うくらいです。今の絵は塗抹絵とまつえと言って塗抹するんです。その秋草の絵は一気にパッあたパッと画いてある。あの技術というのは、今の画家では到底逆立ちしても画けないでしょう。それから、あと宗達の物が三幅あります。宗達のさぎの――葉ですが、葦の葉みたいなものですが、それが一気にスーッと画いたものは、出力は素晴しいものです。それから宗達の犬がありますが、宗達の犬の中でもこれが一番だとの評です。私は特に出したというのは、去年博物館の琳派展で、宗達の墨絵の「たらしこみ」というのは、画家の方では、垂涎措すいぜんおあたわざるものがあった。黒犬があったが、安田さんの持っているものです。ところがそれよりか私のところの犬はずっと良いです。あっちは黒犬ですが、こっちはブチなんです。白と黒になっている。それでずっと丁寧に画いてあって、それはなんとも言えないですね。非常に可愛らしい。これは見れば分かりますが、これでも画家は驚くだろうと思います。あとは鶏です。もう一つありますが、これは「たらしこみ」を最も良く表わしている。あとは乾山けんざんの雪松――これは非常に迫力のある、つまりボリューム――それがあるものです。それからもう一つは宮本武蔵の達磨の絵ですね。これを見ては実に驚きます。支那の宋元時代の名画と匹敵するくらいの上手さがあるんです。これは話より見るにかずですから、説明しません。その隣に浮世絵を四、五点出しています。真ん中の大きいのは湯女ゆなと言って昔の湯屋で傭ってある商売女です。これがまた非常に良いんです。それが日本の浮世絵の掛物では一番とされているんです。もう一つ彦根屏風というのがありますが――屏風であって、戦災で屏風から離してまた仕立てたもので、それに屏風というのは掛物より一つ落ちますから、今の湯女は浮世絵でも一番です。これは博物館でも非常に欲しがってましたが、どういう訳か私の方の手に入ったんです。いつか博物館の人が来て非常に口惜しがっていた。その隣に土佐光起とさみつおきの高尾がちょっと横にひじをついて寝そべったところですが、これが堪らなく良いんです。その片っ方のほうが宮川長春みやがわちょうしゅんの双幅ですが、若衆と娘でしょう、その双幅ですが、これがまた実に良いんです。それから蒔絵は色々ありますが、特に真ん中にある一つの手箱ですが、説明書がついてますからそれを見れば分かります。もう一つは印籠箪笥いんろうだんすと印籠掛です。それから印籠です。印籠はまた素晴しいものです。一つだって容易に手に入らないものを十二掛けてあります。これはその道の人が見たらびっくりするだろうと思います。まだあります。硯箱でも、有名な硯箱がちょいちょいあります。これは現品を見て貰うんです。時間がないから、はしょって言います。次が支那陶器、支那の絵ですが、この絵たるや素晴しいものなんです。何が素晴しいと言って、容易に手に入らないものです。なかなか昔から、支那の宋元時代の絵はみんな大事にして大名の宝物みたいになっている。ですからその内の良い絵になると、箱に鍵がかかっている。ですから絵を鍵で開けたりするんです。何故そうするかというと、絵が一つ無くなると、それこそ首なんです。命懸けなんです。そのくらい大事にした。その時分参勤交代で江戸に行く時は、立派な荷物の籠を作って、交代で担いで行ったんだそうです。そのくらい大事にした。昔はそういった掛物や茶の湯の茶碗は人間の生命よりも大事にしたものです。一々説明すると大変ですから、見て貰いたい。陶器も一品物は特別に飾ってあります。この中で一番値打のあるものは青磁の香炉ですが、これは世界にないです。私は随分イギリス、アメリカ、日本もそうですが、調べてみたがないです。そのくらい良いものはないです。色といい形といい細工といい、いくら見ても欠点がないんです。一番良いところに出てます。あと絶品もありますが、時間がないから説明しません。その隣の六部ですが、ここの名品は何と言っても因果経いんがきょうです。天平てんぴょう因果経と言って天平の初期に出来た。この間の奈良の博物館にも因果経があったが――天平でも末期に出来た。この因果経が出来て、その後に出来たんですからずっと落ちるんです。美術学校の所蔵になってます。私のところに出ているのは――日本に色んな巻物がありますが、その最高のものが因果経なんです。その内の――三種か四種かありますが、その内一番良いのが天平因果経です。それは実に良いんです。美術学校のものは、その内十五行がアメリカに行ったんですが、とても珍重して、もっと欲しいというのがどのくらいあるか分らない。是非見ずんばあるものかです。これだけ見に来るのも随分あります。一行か二行で掛物になっているのがあります。最初は二百三十行あったのがバラバラになって私の処と久邇宮くにのみやさんの心と元の大臣の金光庸夫かねみつつねお氏のところで、後は分散しているんです。それで一行で売り物になってます。三行位になると取り合いです。そんな様なわけで非常に珍重されているものなんです。それから今度は仏が四体あります。黒いのが三つと、金色したのが一つあります。金色したのは民間にあるのでは最高のものです。推古時代にみんなで四十九体出来たので、その内四十八体は法隆寺の橘寺たちばなでらにあったんです。橘姫というのが――法隆寺に御厨子がありますが、それが皇室に献上したんです。四十八体の御物では最後のものでしょう。その内の一体残っていたのが手に入ったんです。これは神様がしたんですね。推古仏すいこぶつですから一番最初のものです。千三百年前ですね。黒いのは白鳳はくほうで、これはあります。もう一つは三尺位の大きな布が壁にありますが、それは持統天皇――奈良朝時代ですから千二、三百年経ってます。その時分の錦の御旗みはたです。これは古くなってボロボロになってますが、まだ見るだけのものは残ってますから、珍しいので見る価値があります。あとは仏画で、三幅対さんぷくついで――真ん中は不動明王。両側に矜羯羅こんがら童子、制多迦せいたか童子がある。宗達そうたつが画いたので、よく宗達の味が出てます。端の方にある曼陀羅まんだらですが、私の方に幾つもあるし世間にもいくらでもあります。しかし曼陀羅というものは汚ないのが多いですが、これは珍しく馬鹿に綺麗なんです。足利時代の作なんです。ですから美術的に見て価値があると思って出したんです。あとは他にもある様な仏画ですから説明の要はないんです。ただ一つ、仏像で鎌倉時代の立った阿彌陀あみださんです。それがありますが、それは木彫です。これは切金きりかねと言って金を細かく切って置いたもので、鎌倉時代に流行はやったものなんです。切金細工の代表とも言うべきもので、それもやっぱり見る価値があります。それで終わりにしておきます。細かく言ったらきりがないから話はそれだけにしておきます。本当は浄霊はしないつもりだったんだが、希望の方がたくさんあるというので、どうも頼まれると断われないという性分でね。

*海北友松...作者の国宝の作品はないようです。

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