原子爆弾
それからもう一つは、原子爆弾ですね。原子爆弾を逃れる事が出来るんです。唯、時期の問題です。けれども、もうそろそろそこに来つつあるんです。と言うのは、原子爆弾と言う物は、大体――原理と言うものは、光なんですからね。やはり火素なんです。で、原子爆弾の光と、我々の方は――私の方は霊子爆弾ですね。霊子爆弾の、之も光。どっちが強いか弱いかと言うと、無論霊子爆弾の方がずっと強いんですよ。だから、こっちの方の火素と――向うも火素ですけれども――こっちは霊の火素で、向うは体の火素です。だから、どうしてもこっちの方が勝つに決っている。こっちの火素が段々強くなりつつありますからね。もう原子爆弾には負けない丈に強くなっている筈なんです。で、長崎、広島の原子爆弾の時も、信者の人で助かった人が沢山居るんです。随分、驚くべき奇蹟が、大分あるんですね。今、その当時の記録を集めてますけれども、それが集まって、確実と言う事になれば、それをアメリカの方に――飜訳して――主なる所に送ろうと思ってます。そうすると、原子爆弾を逃がれると言う事になれば之は大変です。やっぱり、戦争を無くすと言う事が可能になるんですね。ですから、病貧争絶無の世界――病気は無論無くする事が出来ますし、それから貧乏は何と言っても、農産物が根本ですよ。まあ、人間食う物丈が足りれば、あとは贅沢なんですからね。生きている丈は、もう間違ないんですからね。だから、米の増産です。今度は争いですね。争いと言った処で、人間同志の喧嘩や――そう言う事は知れたものですからね。その人が信仰にでも入れば、無論無くなりますからね。ただ、一番厄介なのは、戦争ですよ。戦争のうちでも、最も厄介なのは原子爆弾ですね。そこで、原子爆弾ですね。そこで原子爆弾を免れる――そう言う物が出来れば――つまりそれ以上の発明ですね――それは、もう解決はつくんです。だからまず、こっちの霊子爆弾ですね――それによって原子爆弾を免れると言う事が、まず病貧争絶無の世界を造ると言う最後の急所だろうと思うんです。之も段々神様の方でも、火素の力が強くなりますからね。ですから之も時の問題です。無論そう言う事が、向うの方で認識すれば、試験と言う事になります。実験と言う事になり、豚とかそう言った獣に御守をぶら下げて置く。そうして実験してみれば分かるんですからね。或いは人間となれば、死刑囚か何かですね。それを実験して見れば解るんですから、だから難かしい事はないんで、そうなったら、中々面白くなると思います。
それから、今年の仕事としては、大体今の農業と医学ですね。全般的医学の方は、未だ『文明の創造』が出来ないから、最初は結核問題丈を今年やる積りになってます。
美術館
それから、今出来つつある地上天国、特に箱根の美術館ですが、昨日も行って見ましたけれども、大体内部の基礎は出来てます。唯塗る丈ですが、塗るのは、今気候が悪いですから、もう少し暖かくなってから――で、三月からならば塗る事は出来ますからね。それで、ああ言うのは、迦藍堂みたいなものですからね。三月一杯位で塗れますからね。あとは、品物を並べるケースですね。あれ丈ですから、予定の五月迄には、まず間違なく出来ると思って良いんです。それで、中々思ったより形や凡てが良く出来た様に見えます。
それから、熱海の方の地上天国ですね。之は皆さん始終見ているから解るでしょうが、大体地形は出来て、ちゃんとなるには、もう半年位だろうと思いますね。そうすると、建築にかかる積りですけれども、最初メシヤ会館と展望台を一緒にやる積りで居るんですよ。すっかり設計は出来ているんですが――出来ていると言っても、私の頭の中ですから、未だ見せる訳にはいかないんです。で地形なんかも、非常に具合が良いんです。私は色々やっているうちに、実に神様は、よくもこう行届いて準備をされると思ってますね。で、今ツツジの山を拵えてますが、あれ丈出来た丈でも――今年の五月には花が咲きますから、壮観だろうと思います。会館も――敷地が、見らるる通り、随分大きく出来ましたがね――七、八分通りはね。建物は六百三十坪ですね。そこに附属を色々――事務室とか応接間とか、それから神床を、後の方に出っ張らせたりして、何だ彼だ――それから展望台とか――そんなで、七百坪と見なければならないですがね。それで、今年の夏あたりから、やり始める事になるだろうと思ってますがね。大体一年位で造っちゃう予定です。来年の秋ですね。来年の秋に、開館式をやる様にしたいと思ってます。まあ、何しろ神様がやっているんですからね。別に難かしい事はないですね。やる気になったらスラスラと行っちゃうものですね。ですから、随分金なんか沢山要るでしょうけれども、やっぱりそう言う金は、ちゃんと出来ますからね。そう言う事は心配する事はない。箱根の美術館なんかも、去年やっと敷地や何かをやって、一年前の事を考えると、実に早く出来たですね。で、中に並べる美術品も、之も不思議にちゃんと、素晴しく並べられる物が集まる事になってますからね。それで、良く考えて見ると、美術品ですね。美術館が、日本にも方々にありますが、日本の美術館と言うのは一つもないんです。みんな外国の美術館です。たとえて見れば、博物館ですね。上野博物館、京都博物館と言いますが、まず、仏教美術ですよ。仏教に関した物は、之は立派な物です。――大したものです。大体お寺とか、国宝とか御物とかは――そう言う物は、博物館なら集められる訳です。ですから仏教美術は博物館は立派なものです。京都の博物館は、同じ様なものですが、京都の博物館は寺院美術ですね。殆どお寺のものばかりです。それから個人のものでは、ブリヂストンの美術館の物は、油絵ばかりですからね。西洋の美術館ですね。それから、東京の根津美術館ですが、之は大体お茶の陶器ですね。茶器――あとは支那の陶器ですね。日本の美術としての――日本の蒔絵とか――そう言う物は、殆ど見るものがない。ですから之は、むしろ茶器美術館ですね。それから、大倉集古館ですね。あれも、今たいしてやってないが、兎に角相当ありますけれども、支那の物許りです。支那美術館です。それから「ワカモト」の長尾美術館は、この間見たけれども、知れたもので、論ずる価値はないですね。それから、京都の住友美術館も、支那の銅器ばかりですね。ですから、之も支那美術館ですね。それから大阪の白鶴ですね。之は、支那の陶器と銅器ですから、之も支那美術館ですね。この間行った時、天王寺美術館を見ましたけれども、之も支那美術館です。それから、岡山の大原美術館――之は行っては見ないけれども、西洋の油絵が主ですね。やっぱり西洋美術館ですね。こう見て来ると、日本美術館はないですよ。日本人でいて、日本美術を見ようと思っても、見る処がない。実におかしな話です。そんな訳ですから、外人が日本に来て日本美術を見ようと思っても見る事が出来ない。日本美術では誰が上手い。日本美術じゃ光琳が、絵じゃ上手だ――良いと言った処で、光琳は何処にあると言っても、光琳は何処にもない。博物館に富士の墨絵がありますが、私の所に持って来ても買いませんよ。宗達が良いと言って、博物館にしみったれた墨絵がありますが、之もしょうがない。日本中――見ようと思っても、見る所がないですからね。日本は蒔絵が良い。日本の特産だと言って、博物館に行っても茶棚はありますが、他は見る物がないですね。日本陶器は良いと言って、仁清と乾山。柿右衛門はあんまり感心しない。あれは、支那の模倣ですから、私はあんまり重きを置かない。日本陶器としては仁清、乾山、鍋島ですね。この三種類は、私の方で色々集めましたがね。あと瀬戸焼がありますが――唐津だとか、志野だとか、黄瀬戸とか――色んなのがありますが、之は何かと言うと、朝鮮の模倣ですからね。結局朝鮮に習ったんです。そうして見ると、日本独特のものは、絵では琳派ですね。光琳、宗達、乾山、抱一――琳派物。あとは大和絵ですね。土佐派です。狩野派とか――ああ言う物は、支那の絵画の模倣ですからね。陶器と言えば仁清と乾山、鍋島です。あとは蒔絵です。之丈が日本独特の美術です。この日本独特の美術を見る所がないんです。そう言う物を、今度出来る箱根の美術館は、之を主にして並んでますからね。そこで、日本人が一番驚くと思います。日本には、こんな名人が居たのか、こんな立派な物が出来たのかと、之は日本人が驚きます。そう言う点に於て随分評判になるだろうと思います。外国人なんか、それを知ったら見たがって大変です。私が最初、それこそ、自分の気に入った物を買うと、無茶苦茶にやってましたが、神様がみんなそうしたので、今になって見ると、実に良い物を安く買ったものだと思って、今本当に感心しています。終戦後バタバタとやったんですからね。そんな様な訳で、美術館も非常に期待して良いと思いますね。熱海にも美術館を造りますが、之はゆっくりとね。会館と展望台が出来て、一段落着いてからね。熱海の美術館は、之は世界的なものを造ろうと思ってね。機材も――建築――そう言った施設も――そう言う物も、アメリカやイギリスに負けない物を造る積りです。今から考えてますけれどもね。そんな様な訳ですから、今年から非常に表面的に面白くなって、まあ――大いに楽しみにしている訳です。話はこの位にして置いて、お笑い草に寸鉄丈を。