*大浄化/予言/行き詰まった時に話を…(御光話録1号 昭和23年10月28日①)

昭和二十三年十、十一月御光話十月二十八日(木)

大浄化

《お伺い》大浄化は来年あたりから急激に来るのでしょうか、または三、四年経ってから急激に来るのでございましょうか。

《御垂示》大浄化はもうよほど前から来つつあるんです。今もそうです。終戦後、特権階級の没落とか、皇族の生活難とかもそうですし、今政界がゴタゴタしているのも大浄化です。そして大浄化は急激には来ないでだんだんに来る。いかなることでも急激に来るということはないのです。

《お伺い》ひところ盛んでした会員の疥癬が最近あまり見られませんが――

《御垂示》疥癬はだんだん出なくなります。浄化が強くなるから疥癬ではなくもっとひどい浄化をする。まあそうなったらたいてい生命はないでしょうね。つまり今後は疥癬が天然痘の形になるとともにそれだけではなく、ほかの病気も加わるから大変です。

《お伺い》その時は急激でしょうか。

《御垂示》ええ急激です。――今はほかの浄化が来てるわけだが、まあ神様がうまくやっておられるんでしょう。

予言はしません

《お伺い》現在世界状勢は非常に険悪になり、第三次大戦の危険もみられますが?

《御垂示》支那の戦線も大変な大浄化ですね。日本のは没落というふうな浄化だが支那のは大変ですね。朝鮮の浄化も大変です。…しかし私はいろんな予言はしませんよ。どうも問題になって困る。私の言った通りならいいが「おまけ」がついて、「今に大審判が来て観音教団の人だけ助かる」なんて言うので、地方の新聞なんかうるさいんです。新しい宗教の予言は世間がやかましくてしかたない。キリスト教で言う「世の終わり」ということなんかはだれもなんとも言わないが――とかく新しい店というものはなんですよ、評判がうるさいものですよ。

行き詰まるところまで行かせた方がよい

《お伺い》御浄霊により肉体的に救われても、精神的に更生される方が少ないのはなぜでございましょうか。

《御垂示》精神的に更生できないというのはどういうわけですか?

《お伺い》例えばいつまでも夫婦喧嘩を続け、いっこう更生したように見えない方がよくございますが…

《御垂示》ところがなかなかそうは変わりませんよ。夫婦喧嘩をしなくなるまで二、三十年はかかりますよ。急激にぼんぼん変わればたいしたものです。――それよりも他人ではない自分です。自分がそう簡単に治るかどうかを考えたらよい。五年かそこらで自分の心が治せたらたいしたものですよ。それから時期ということもありますしね。順序や段階もある。以前私が大本教に入っていた頃、いい宗教だと思っていたがちょっと面白くないこともあり、五年くらい止めて離れていたことがありました。ところがある人からもう一度研究してみるようにと言われたので、またやり直したらやや判り、それから熱心になった。結局私は大本教から別れたがその間はずいぶん熱心にやりました。その時に得たところは非常に多く今でも感謝しています。こういうふうだからただ表面から見ていいとか悪いとかは言えないんですよ。この道に入っても、初め熱心でそれから不熱心になる人もあり、またその逆の人もある。働きのありそうな人でも結果の出ない人もあり千差万別です。また時機によってその人の本当の働きになったりするのです。だから私はたいていのことは何も言わずにやらせる。そうするとうまく行くのです。間違ったことをすればいずれ行き詰まり、自分でビックリして改心することもあります。人間は執着をとることも必要なんだから放っておいた方がよい。行き詰まるところまで行かせた方がよい。坂を転がり落ちる石を途中で止めようとしても無理で、落ちるところまで落ちてしまってから止めたらよい。それと同じで行き詰まった時に話をしてやることが効果があるのですよ。

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