御教え *美術品(御教え集5号昭和26年12月1日③)

【御教え】この間、東京に行ってピカソの展覧会を見たんですが、その感想を書いて見ました。

(御論文「ピカソ展を見て」のあとの御教え)【注  栄光一三五号】

 今読んだ通りで、ピカソの絵なんかを、こう言う風にコキ下した人は、絶対にないと思いますがね。と言うのは、本当から言うと、今の人は解らないんです。未だ、美術を批判する丈の眼ができてない。できてないと言う事は、すぐれた良い物を見る機会がないから――見ないからです。本当に良い物を見れば、頭ができちゃうから、ピカソの絵なんか全然問題にならなくなるんです。ピカソが偉らくなったと言うのは――偉らくなった、と思われる様になったと言うのは、訳があるんです。と言うのは、アメリカの金持が、東洋美術を手に入れ様と思っても、日本は売らないし、日本から買えば、贋物ばかりですから――イギリス、フランス、ドイツも少しありますね。そう言うのを買ったんです。金持は大いに威張っていたが、アメリカには、後々金持ができますからね。後からできた金持は買う物がないんです。しょうがないから、現代の美術家ですね――現代の偉い画家に目を付けた。フランスで一番偉いと言うのは、ピカソかルノーとかね。その人の絵を買おうとね。マチス、ピカソの方でも、絵が――油絵なんか段々変わって来て、印象派以来非常に変わって来たんですね。後期印象派に至っては、偉い――ゴツホとかゴーガンとか出て、良い物を拵えた。処が、あれでも駄目だ、もっと変わった新しい物を作らなければならないと言うので、段々新しく新しくで、結局行き過ぎたんですね。行き過ぎたのが、今ここに書いた轢死れきし者や爆弾で殺された様なかっこうになったり、わけも分からない――丸で子供が書いた様な――あれなら変わってますしね。そうすると、アメリカの新しい金持は、旧式の絵――旧派ですね――持っている富豪に対して――どうだ、俺の方は御前達が持ってない新しいのを得たと、大いに誇ったんです。処が、マチス、ピカソの方は、そう言った営業的な考えはないが、何かアッと言わせる様な新しい物を作ろうとして、あんな事になった。それが金持の考えと一致した訳ですね。そこで、沢山買うんです。注文が沢山あるし――高くしちゃった。ピカソなんか非常に高いですね。大衆は変なもので、ピカソの絵はあんなに高いので、良いに違いない。良いか――と言うと、その良い悪いが解らない。良いんだ、値打ちがあるんだ、とこう思って――お経と同じです。

 お経が、解らないから有難がって奏げるんです。お経が解ったら、有難がるのはずっと減る。何とか言うお経なんですが、翻訳して見ると、男女関係の事を書いてある。実に猥褻わいせつ極まるものです。それを有難がるんですからね。結局人間はあんなものですね。だから、私は逆に、はっきり判る様に書いてますが、だからそう言った意味においては有難がれないんですが、しかし、有難がる、有難がれないと言う事じゃなくて、こっちは人間を――人類を救うんですから、解る事が主ですから、お経や――『バイブル』もあんまり解らないですが、お経よりは良いです。解らない事と言うのも良いが、その為に迷いを生ずる。迷いを生ずるから、仏教でもキリスト教でも、派が沢山できる。だから、人類を本当に救う事はできない。ただ、何となく救われると言うので、徹底しないですね。最も、力と言うものが不足していた点もあるから、今迄としてはあれで良いんです。こちらは、そう言う曖昧あいまいな点などは、はっきりさせると言うんで、これが今迄夜の時代であり、私は昼間の文明の根本をつくるんですね。これは、そうなるのが当然の話です。そんな様な訳ですから、絵にしてもそう言う解らない様な物が大騒ぎをやられると言うんで、それを見た日本の画家は真似始めた。実に面白いですね。だから、これはちょうどブランコと同じで、古いのは行過ぎた為、反動的にこう行って、こう行ったのが、今の油絵ですから、それがやがててまた、こう行くんですね。そうかと言うと、この頃、『源氏物語』が流行って来た。石川五右衛門だとか、これは反動の反動ですね。それで段々行詰まって来て、今度は本当のものが生まれるんです。今迄の文明を見ると、皆んなそう言う系流を通っている訳ですね。それで、今度美術館ができたら、今読んだ通り、西洋のはどうせ敵わないから、全然手を出さない様にしてますがね。

 それからもう一つは、西洋のも美術的に見て、良ければ私は何とかしますが、本当に美術から言えば、どうしても東洋美術よりも下なんです。これはしょうがないですね。ですから、アメリカ辺りでもイギリス辺りでも、マチス、ピカソの絵よりも、中国の宋時代の絵を、ずっと欲しがって高く買います。なぜなら価値があるんです。西洋の絵でも、なぜいけないかと言うと、第一番の条件が欠けている。品位ですね。美術の最高のものは、品位ですね。人間でもそうです。偉いとか何とか言うが、結局品位ですね。高さですね。高さがなくちゃいけないですね。高さと言う事は、つまり神様に近いんです。一番高いのは神様で、その次が人間で、その次が獣です。人間は、神と獣との間、と何時か書きましたが、西洋の絵は高さがないんです。この間、ピカソの絵を見て――ああ、どうも品格がある、と思えない。品格のある芸術は、天国的芸術です。それを観て、それに引上げられる。そうすると、精神的に天国に引上げられるんですね。それで、美術の価値がある。私が、西洋の美術が下だと言うと、どうかすると、どう言う訳ですかと言うから、品格がないと言うと、それでギャフンと言うんです。ですから、私は美術館に並べる物を、東洋美術のうちの古いのも、新しいのも――それは問わず、名人その時代の名人の傑作品を並べるつもりです。私の買ったのもあるし、そう言う物を持っている人の連絡も、大体ついた事になってますからね。これは神様がやっているから、実に旨くいくんですから、いよいよ美術館ができてみたらびっくりりするだろうと思います。どうしてこう言うものが集まったかと言うよりも、どうしてこんな立派な物が、昔できたかと思うものが沢山ありますね。

 今、私設美術館は殆んど見ましたがね。大阪、京都、東京でも、この間根津美術館、長尾美術館――ワカモトのね。毎年春、秋――長尾の方が二日間、根津の方が五日間ですがね。これはつまり、私設美術館は展覧会を一年に二回は開かなければならんと、つまり財団法人ですからね。財団法人はそう言う義務があるんですね。さもなければ――財産保護の税金をかからない様にすると言うだけに終りますからね。二つ共見ましたが、本当に遠慮なく言えば、殆んどゴミみたいなものです。根津美術館の一番良い物は、私の家の一番悪い物と、ちょうど同じ位なものです。それから、長尾美術館には、有名な藤の壷と言う――これは立派なものですがね。あとは、場末の道具屋でも――私の所に持って来ても全然買いませんね――値段にかかわらずね。実に驚いた。それから、何時も言う通り、博物館の美術品は実にひどすぎます。あれを外国人に見せるのは、実に情けない位ですね。ですから、今度私の方で並べる物は、こんな物が世の中にあるのだろうかと、驚くに違いないですね。外国の人が見たら腰抜かす位に驚きます。それでまた、やっぱり、人間業でないんですからね。神様がやっているから、不思議にすごい物が手に入って来るんです。ですから、奇蹟的に集まって来るんですね。ですから、私の処に来るのは、割合値段も安いんです。大抵、財閥とか言う人達が、急に金が要って、そう言うのがパッと来るんです。私は、今売れば随分儲かるんですがね――そう言う訳にもいかないからね。そう言う場合には、やはり神様がそう言う事を、大いにやられていると言う事が良く分かる。そう言う話になると、つい油がのっちゃってね。

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