*我と執着(御垂示録4号 昭和26年11月8日③)

《お伺い》我と執着は副霊が起させるもので御座いましょうか。

《御垂示》それが、そうきめる事はできないんです。執着にも、善と悪があるんです。世間の執着は、悪の方がずっと多いんです。私が善で救済する。どうしても、世の中を良い世の中にすると言うのは、良い執着です。毎日朝から晩迄考えているから、大変な執着です。しかし、それは良い執着です。今迄の執着は悪だったから、執着が悪い様になるんです。

《お伺い》布教上、執着が反って障りになる様で御座いますが。

《御垂示》処が、その執着が本当の執着じゃない。小乗なんです。だから、小乗の善は大乗の悪になると言うでしょう。一生懸命で、熱心な人が反って危ない様な事が良くあります。お邪魔になる様な事がね。それは小乗だからね。ちょうど、終戦前の忠君愛国ですね。楠木正成くすのきまさしげ吉田松陰よしだしょういんだとかね――ああ言う祖先の思想を受け継いだ為に戦争を起した。してみるとああ言うのは、小乗の善なんです。そこで私は「世界人たれ」と、論文を出したでしょう。世界の人間皆んなが同じ様に見なければならない。そうすれば、そんな侵略戦争なんか起す必要はない。つまり今迄の戦争や国際間の事は、世界中が小乗の善だったからです。自分の国民だけを仕合せにしょうとした。自分の国民だけと思うから、皆んな喧嘩になった。支那人だって、そう思い、朝鮮人だってそう思う。日本が人口が増えた――拡がっていかなければならないから、支那が広いから入ろうとすると、入っちやいけないと、武力をもって防ぐでしょう。日本は、武力をもって入り込もうとする。これが戦争になる。反対に三国のうちで、人口が増えたら、あなたの方は人口が増えてお困りでしょうから、私の方は空いているから、お入り下さいと言う。それが、本当の大乗の善です。

《お伺い》執着を取ろう取ろうと言うのが、一つの執着になると言う事が。

《御垂示》あります。取ろうと言う事が執着です。なぜなら、取ろうと思っても取れないのは、いかに執着が強いかと言う事です。簡単に取れれば、そう思わなくても良いがね。

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