*禅宗 御教え集3号 昭和26年10月25日⑦

【御 教 え】
(御論文「仏教における大乗小乗」のあとの御教え」
この仏教などに、よく「自力と他力」と言う事を言いますが、今書いた様に小乗仏教が自力なんで、大乗仏教が他力と言う訳ですから、日蓮宗の人なんか、非常に熱心で、カンカンになって――余り熱心になると気違いじみた様になって来ますね。これは霊に偏る為ですね。それから、他力の方は南無阿弥陀仏を称えていれば、救われる――阿弥陀さんの側に行ける。と、全然自分の力と言うのを無視して、ただ、阿弥陀さんに頼ると言う精神一点張りなんですね。仏教のうちでも、どっちかに偏っているんですね。だから、どうしても――つまり伊都能売(いづのめ)式にはなっていなかった。そう言う事は知らなかったんですね。それで、そう言う事を、仏教の方では同じ様に思っていて、禅宗なんか今言う通り、仏教よりバラモン教なんです。それを知らなかったんですね。だから、仏教が堕落したと言う――どうしても、今の坊さんはいけないと言うが、禅宗の坊さんは割合にそうではないですね。今日でも割合修業がやかましくて、禅宗寺なんかは、実に坊さんの修業なんかは――粗衣粗食で、今から言うと、カロリーも何もない様なものを食べている。冬でもタビもはかず、中には火にあたらないのも居る。そうして修業している。これは純然たるバラモンのやり方で、仏教のやり方ではない。

 墨染めの衣――あれは非常に良い感じがしてね。洋服に袈裟かけている坊さんより見良いですね。洋服に袈裟と言うのは、余り見てが良くないです。全く禅宗の坊さんはある程度偉いところがあるんですね。今も書いてある通り、禅宗の坊さんの書いた書ですが、実に良い処がある。書は大して上手(うま)くなくても、それから受ける感じが、邪念――そう言う処がなく気持ちが良いですね。以前にはそう関心持たなかったが、近来色々研究してみると中々値打ちがありますね。今の美術館ができたら、そう言うものも集めるつもりですがね。大体書の良いものは日本では大徳寺ですね。あの代々ですね。今度京都に行ったら、大徳寺の真珠庵と言う、大徳寺末寺ですが、大燈の書かれたものがあるので、そこに行ってみたいと思っている。官休庵と言うお茶の先生が懇意にしている。中々やかましくて、普通は見られないそうですが、今度見せてくれるそうです。昔の通りで、二階に上がるのに猿梯子(さるばしご)だそうです。危ない位だそうです。まっすぐになっていてね。それも昔の通りで変えないんですね。そこに大燈国師の書が一番あるそうです。そんな訳で、中々今でも禅宗はちょっと面白い処があるそうですね。この前京都に行った時、大徳寺であそこに茶碗で日本一の喜佐衛門井戸と言うのがあり、見せて貰ったが、別に変わった茶碗でなかったが、有名な茶碗です。そこに行った。お寺の生活状態を見ると実に質素で床しい感じがしたね。

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