六、初期小乗仏教時代 自観叢書第7篇『基仏と観音教』

昭和24(1949)年10月25日発行 観音教団編纂部

 初期小乗仏教時代というのは、地理的に言うと、インド本土の中央部でありまして、それは仏教が初めて興起したガンジス河流域を出なかったのであります。また時代的に言いますと、釈迦がカピラ城に生誕し仏教を創唱してから後の約四、五百年の問ということになるのでありまして、所謂初期時代の仏教として、後代の仏教徒から小乗仏教と呼ばれる宗教がインドの内地を主として流行していた時代を指すのであります。それはまた西歴紀元前四、五世紀から紀元後第一世紀に至る約六百年間のことを指して言うものもあります。

 釈迦が入滅してから約三百年後に世に現われました有名なアショーカ王の時代が来るのでありますが、その頃までの仏教が伝播した範囲はガンジス河の流域を出ておりませんでした。しかしこのアショーカ王の時代になってから仏教は非常に大きな発展を遂げたのであります。それまでは釈迦が入滅して後、一般僧衆の中に自由と保守の二派が分れて、お互に対立しておったのであります。

 小乗仏教は、あるいは部派仏教とか、あるいはまた出家仏教とか呼ばれてもおります。つまり家を捨て、また憂き世の繋縛(ケイバク)を脱けでて、専門に仏教を修行しようとするものなのであります。でありますからその修行の方法はどこまでも徹底的に釈迦が到達しましたあの成道そのままの方法に依ろうとするのであります。自分は現在どうしてこのように種々の苦厄に悩まされなければならないのか、その理由を自分で省察したり、またその原因を探索したりして、その原因を取り除こうとする道を自分で知るのであります。そしてそれを通して涅槃(ねはん)の境地を自分で発見してゆこうとするところに、小乗仏教の本領があるのであります。

 従ってここに面倒な四諦とか、十二因縁法だとか、あるいは三十七道品などというものが説かれなければならなくなってくるわけであります。アショーカ王が世に出てから仏教に帰依して大いにその宣教に努めた結果として、仏教はインドの内外に伝播してゆきました。ところが紀元前第一世紀の初め頃に孔雀王朝が滅亡してしまってからと言うものは、あのシュンガ王家が行った廃仏の結果として、仏教がその発祥地であるインドの中央部から追出されてしまいました。そしてその地方には全然仏教が無くなってしまったのであります。

 そしてアショーカ王の時代に、王が布教師を派遣して宣教させておいたところの南部と北部の両地点に伝播しておった仏教だけが引続いて流行していたのであります。つまり南方に伝ったものはアンドラ王朝の保護を受けましてその後数世紀の間その面目を保っておったのであります。又北方に這入っていたものはガンダーラとカシミールを中心として残ったのであります。



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