法難

大経綸

御講話(昭和二十五年八月一日)「一厘の種」(再掲)

地方的、国家的のものは争いの元になる。最初から世界的考えでなくてはならぬ。凡ゆるものは世界的、大乗的になってゐる。国家的考えはすでに時代的ズレを生ずる。
御教え集

御教え集1号 昭和二十六年八月二十一日(昭和26年9月20日発行) ※御法難の別の面の救い

私は何もないから――良い弁護士を傭う丈の力があるから思いきつてやる。之も印刷にして、裁判長や検察官に配る積りですが、それは何にも気が咎める事がないから出来る。そうすると、今迄泣寝入りして、罪をつくられた人を助けてやる。それから、日本の裁判の非民主的のやり方を幾分でも良くしなければならないと言う、やはり一つの救いです。救いの別の面のやり方になる。
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御教え集18号 昭和二十八年一月二日② (法難→散花結実) 

丁度覆い被さった黒雲が晴れるという様な気持がします。しかし今度は神様の方から言うとそれが必要だったのです。これは一昨二十五年に散花結実という事を言いましたが、あれで花が散ったわけです。ですから検察庁の役目は、つまり低気圧の役目をしたわけです。