真健康と擬健康(天国の福音 昭和二十二年二月五日)

 

 私は現在世界人類少くとも文化民族の殆んどは病者であると言い得るのである。ただ既発と未発との相違だけで、即ち現在の病者は既発者であり、現在の健康者は未発者であるまでである。

 既発者に就ては説明の要はないから、未発者に就てのみ茲に説明するが、曩に説た如く未発者とは保有毒素があり乍ら、固結に対し浄化未発生の為である。そうして真の健康とは全く無毒素で浄化発生のない身体の持主であるに引かへ保有毒素があり乍ら、兎も角も健康を維持し得て、立派に日常業務に携わり、労働にも堪へ得るという訳で、誰が眼にも健康に見え、又医診に於ても現在の医学では保有毒素の発見は困難であるから健康者と断定するのである。斯ういう人を私は擬健康という。従而現在爆弾を抱き乱舞している人の如何に多きかを想う時、慄然たらざるを得ないのである。昔から人は病の器という言葉があるが、これは全く擬健康を指したのである。

  又医家のよく謂(い)う言葉であるが、病と寿命とは異(ちが)うとしているが、此言葉などは実に馬鹿馬鹿しいのである。何となれば病気と寿命程切っても切れない密接な関係はないからである。之等も治病無力に対する一種の遁辞(とんじ)でしかない。又近来予防医学などといい、治療医学と別箇のもののように云々するが、之等も理屈に合わない話である。之等も、治病無力を蔽(おお)うべく左様いわざるを得ないのであろう。

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