栄養

結核信仰療法

栄養 (結核信仰療法 昭和27年12月1日)

 そうして人間を養う為の必要な食物は、地球上至る処に生産されている。穀類、野菜、魚鳥、獣肉等等、地域的、気候的、民族的に、夫々適切な食物を神は配分されているので、それで充分栄養は摂れ、健康は保たれるように出来ているのである
天国の福音

栄養学 (天国の福音 昭和二十二年二月五日)

れを処理すべき人体機能の研究を等閑に付している。元来人体内の凡ゆる機能の活動は今日の学理を以てしても到底解き得ない程の化学者であって、凡ゆる食物から必要栄養素を自由自在に生産し、変化せしむるのである。
メシヤ講座

[メシヤ講座]依存する事が薬毒の中で一番の問題点 2016年5月⑪ (私たちの学び目からウロコの内容より)

その薬に依存するという事が薬毒の中で問題点なのです。ですから、メシヤ様が薬の問題点については、体内に残留することと同時に依存が付いてしまうことを御指摘されているのです
日々雑感

[日々雑感] 三好ドクターが語る栄養成分の「健康病」酢、乳酸菌、サプリ(その4)

善玉菌とか悪玉菌とか区別することがおかしいのであってどちらが多いかはその人の食生活の結果なのです。間違った食生活をしていて腸内細菌の善玉菌だけを増やそうとしてもそんなことはできません。
東方の光

日本式健康法の提唱(二) 食餌と栄養 (東方の光六号 昭和十年六月)

今日大いに発達せる如くに見ゆる、栄養学が其根本に於て、一大誤謬のあるということは、私は、断言して憚(はばか)らないのである
第十篇「神示の健康法」

栄養の喜劇 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

前述の如く未完成食物を喰ひ、完全栄養素に変化させるその活動こそ人間生活力であるという事を、機械製造工場へ例へてみよう。
第十篇「神示の健康法」

人間は健康の器 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

よく昔から人は病の器などと謂うが、之ほど間違った話はない、吾等はこれを訂正して人は健康の器なりというのである。前項に述べた如く元々人間は健康に造られたものであるからである。処が実は病なるものは人間に附物で、どうしても解決出来ないのが現実で、やむを得ず宿命として諦めて了ったのである
文明の創造

『文明の創造』科学篇「栄養」(昭和二十七年)

人間は食物に関しては栄養などを余り考えないで、只食いたいものを食うという自然がいいのである。其の場合植物性と動物性を都会人は半々位がよく、農村人と病人は植物性七、八割、動物性二、三割が最も適している。食餌を右のようにし、薬を服まないとしたら、人間は決して病気などに罹る筈はないのである。