此小著は、まだ本教を知らない人の為に、手引としてかいたものであるから之を読んだだけでも、本教の片鱗に触れ、概念だけは得られると思う。何しろ本教は今迄の宗教とは余程異(ことな)っており、既成宗教観念では一寸判り難いと共に其点に本教の大いなる意味を見出すのである。早く言えば、今迄と余り異いがない宗教とすれば、発生の必要はないからである。
そうして、如何なるものでもそうであるように、宗教と雖も其時代は固より未来に渉って迄の、何等かの使命がなくてはならない。成程、真理そのものは未来永劫不変であるが、宗教自体の在り方としては、時代即応でなければならないのみか、寧ろ時代の指導的役割をするのが本当であろう。
此意味に於て、既成文化も既成宗教も、時の推移に従って存在の意義が変転するのは元より、そこに進歩向上があるのである。何よりも今日の如き智的文化人に対(むか)って、仮え原始人を済度し得た宗教を以てしても、其目的を達成する事は到底出来得ないであろう。
本教は、元来神道に非ず仏教にも非ず、勿論キリスト教でもないと共に、本教には神仏基の何れもが包含されているばかりか、科学も本教の中に在って、而も現代科学よりも数段進んでいる。此様に凡ゆる文化は悉く内在しているのが特異性である。そうして本教は一切の誤謬を是正し、よりよき文化たらしめ病貧争絶無の世界たる、地上天国を造らんとするのである。此様な空前の大目標を掲げて、其可能を確信するというのであるから、先づ世紀の驚異といってもよかろう。併し乍ら此様な救世の大事業は、到底人間力で出来るものではない。としたら茲に偉大なる神霊が本教を加護されている事を、信じない訳にはいかないであろう。