神様の番頭
それから、よく熱海や箱根を見て――これはまあ、未信者の人で相当偉い人ですが、先生は丁度秀吉みたいです。と、よく皆言うんです。それで秀吉みたいな点もあるが、根本が丸っきり違う。秀吉があれだけの事をしたのは、元はと言えば殺人強盗の大きいのと同じです。それであれだけの事をしたんです。つまりあの為に人を何人殺したか分らない。ところが私は人を助けてやっているんだから、その点をみて貰わなければならない。と、こう言うんです。成程家康も偉いが、殺人強盗をして物にしたものを、又物にしたんだから、確かに偉い人で功績はあるにはあったが、根本が違うからそれだけ知って貰えば良いという事を時々言うんですが、そんな様な具合で今迄の世の中は、色々英雄とか偉人とか言う人は、相当罪を犯したんですね。そうして立派なものを作ったり、天下に覇権を握ったんです。それから一方、人を助ける――救うという宗教家は、私から言うと意気地がなかったですね。成程教えとかそういう事は中々命懸けで説いて、救おうとしたけれども、結局その時代の――時代も悪かったに違いないが――今日と違ってね。いろんな圧迫をされたり――まあ、お釈迦さんなんかは出が出ですから、それ程でもなかったが、それでも理想に偏って現実的な救いはあんまりやらなかったですね。沢山教えを説いたり、お説教はしましたがね。例えば、病気の原因を知らせるという事はなかった。なかったというよりか、病気の原因が発見出来なかった。それから、農業も、芸術も――これが一番不足したと思うんです。キリスト、釈迦、マホメットでも芸術は無関心だった。で、中にはバラモン的に、そういった美なんて言うのは罪悪の様に思って、粗衣粗食小さな家に住む事を、かえって良いという様な説き方をした者も随分あった。そういう様な点で歴史に残っている人としては聖徳太子だけです。もっとも、やはりああいった位の高い所から出たですから、そういう影響も多分にあった訳ですね。ところが私は本当のどんぞこから出て、そうして美術を大いにやるんですから、この点も大いに変っている訳ですね。そういう様な訳でこれからやる事も――今迄の色んな偉い人は非常に間違っている。そういう点なんかもこれから書こうと思ってますがね。そこで、私がそんな様な、美術でも何でもやるのは、それは私がやるのではなくて、神様がちゃんとそういう案が出来ていて、私がやっている様だが私が指図を受けてやっているんですね。要するに神様の番頭みたいなものです。だからさっき読んだ通り、奇蹟でどんどん出来ていくという訳です。だからその点に於ては非常に楽ですね。今迄何年も苦労した様な事を、私は何でもなくやっていくという訳ですから、そういう点も、それを心得て見なければ見当がとれないという訳ですね。その位にして。
頭の毒素の排泄
それから、赤痢が今年は流行りそうだという事を新聞やラジオで盛んに言ってますが、これは何時かも話した通り、赤痢というのは頭の毒ですからね。後頭部の毒血が出るんです。ところがその原因というものは、今の人は非常に頭を使いますからね。何しろ子供の内から学校で頭を使う。それから社会に出ても頭を使う事ばかりですから――中々農民や労働者でも、今の人は昔と違って中々頭が発達してますよ。私はよくラジオの街頭録音を聞きますが、農村や何かで街頭録音をやっているんですが、百姓をやっている人で、中々上手い理屈を言うんですよ。私は驚いたですね。労働者にしてもね。ラジオで見えないから分からないが、代議士が言うよりもっと気の利いた事を言う人があります。私は感心しますがね。不断から本を読んだり思索をしているという事が分かりますね。だから近代人は頭を使うという事が分かるんです。頭を使うと血が頭に上りますからね。それが、良い血が上るなら良いが、毒血ですからね。それは薬を服み、注射するからね。頭を使うという事は、ここ(前頭部)に血が集まる前に後頭部に集まって来るんです。後頭部を通過して前頭部にいくんです。それで、そこ迄行かない内にここ(後頭部)で固まっちゃう。それから字を書いたり手を使って――神経を使い易いから、ここに集り易い。それが浄化が起って、溶けてお腹に行って、それが肛門から出るんです。それが赤痢なんです。だから赤痢の原因というものは、今言った様なものです。黴菌というのはそれを誘導するのに必要なものです。早く毒血を出さなければならない。それで黴菌が毒血にわくんです。それが伝染していって大勢が浄化するんです。非常に結構なんです。病気の経路は今言うそういう様なものですがね。ところが滑稽なのは今の予防法ですね。「外出して帰ったら手を洗え」「食事の前には手を洗え」それから「暴飲暴食をするな」「生物を食うな」と、そういう様な点ですね。手を洗えというのは、私は一番滑稽だと思う。黴菌が相当大きい――砂か泥位なものなら手を洗えば綺麗になるが、顕微鏡で見る様な小さなものが果して落ちるかどうかですね。落ちても又直ぐついちゃう。本当に気休め程度ですね。それから生物を食うな。生物を食うなという事は、水を危険と思っているらしいです。水が危険としても、井戸はそうかも知れないが、水道はそんな事がないですからね。生物を水道で洗って――そんな事はない訳ですが、下痢し易いんでしょうが、下痢が結構という事は知らないからで、そんな様な訳で他に知らないから、アップアップやっているんですがね。可哀想な滑稽な様な話で、実に情けないと思っている位です。その理屈さえ解れば結構なんです。それが解った信者さんは、その点だけでも幸福者ですね。大変なものですね。さもないと、外から帰って来ても、怖がって一々手を洗って厄介な話ですからね。それで始終ビクビクしてね。それで一寸でも下痢すれば赤痢にでもなったのではないかと心配しますがね。これは何時も言っているから、改めて言う事もないが、何んとかして早く解らせなければならないと思うんですが、どうせ神様がやられている事ですから時期の進むにつれて皆解からなければならないという事になりますから、時を待つというより仕方がないですね。