*敦煌の絵/大きい邪神ほど善(御垂示録13号 昭和27年9月1日②)

重要文化財 樹下美人図 中国・唐時代 (8世紀)
MOA美術館所蔵

 それから『日々新聞』に出ましたが、敦煌とんこうの絵を出しましたから見られますから、それだけ知らせて置きます。之は世界一としてありますが、確かに世界一でしょう。今世界に三枚ありますが、その内でここのが一番良いのです。四枚あったのが、一枚はドイツで戦災で焼けてます。それから正倉院にあるそうですが、小さい切れ端だそうです。

《お伺い》みんな大谷さんが持って来たのでしょうか。

《御垂示》そうです。

《お伺い》博物館にあるのも。

《御垂示》博物館のはどうですか。

《お伺い》敦煌というのは何処で御座いますか。

《御垂示》西蔵チベットと支那の丁度中間です。

《お伺い》筆者は誰でしょうか。

《御垂示》分かりません。大抵は仏画なのですが、風俗画というのは珍しいのです。風俗画というのは無いのです。

《お伺い》日本に三点ありますので。

《御垂示》正倉院のは問題にならないから二つでしょう。で、博物館のは男で、ここのは女ですが、両方並べると、恋人同志が逢う絵を画いたのです。だから離れ離れというのは本当は面白く無いのです。

《お伺い》博物館にあるのより値打ちがありますので。

《御垂示》女だからです。女が値打ちがあるのです。浮世絵と言っても、男の浮世絵なんて無い。「湯女」だって女が並んで居るから良いが、あれが野郎が並んで居たら駄目です。男とは倍位違うでしょう。しかし博物館では買い手があろうとは思わなかった。ところで、米国に行こうとしたのですが、その前にメシヤ教は美術館をこしらえたというので一遍話をしょうというので持って来た。私の所に来なければ無論米国に行ったのです。私は何んでもかんでも買おうと買ったのです。ですから私は国家に対して大変な功績をしたのです。米国にやらずに済んだのですから。

《お伺い》埋めてあったのでしわが寄ったのでしょうか。もっとも千何百年も前ですから。

《御垂示》とにかくあれだけに保存されたという事です。いつか見た事があるが、壁画ですから壁土をがして来たので、それを合わせてやっと顔の形をしている位ですが、持主は大変な大自慢なのです。

《お伺い》ここにあるという事がまた評判になります。

《御垂示》評判になりますよ。

《お伺い》博物館にあるのと同じ時に画いたのでしょうか。

《御垂示》そうです。やっぱり神様がやっているのです。

《お伺い》無論国宝になりますので。

《御垂示》無論なります。

《お伺い》博物館のはなっているのでしょうか。

《御垂示》どうですか。なっているでしょう。

悪を善と信じて行う悪が一番恐ろしい。大きい邪神ほど善

《お伺い》この間文化財保護委員会の外郭団体に天理教で三百万円出したから、メシヤ教は五百万円出してくれと。

《御垂示》天理教が三百万ならメシヤ教は三十万で良いです。

《お伺い》百年教の天理教よりメシヤ教を大きく見ているのでしょう。

《御垂示》ですから買いかぶっっているのです。

《お伺い》ですから代議士をこちらからも三人位は出したいと思っておりますが。

《御垂示》しかし、買被らないで、小さくして置いて良いです。私はなるたけ小さく小さくしているのが方針です。そうすると大きくなって行くのです。大きく見せると小さくなって行くのです。逆効果です。ですから私はなるたけ小さく小さくしているのです。で、人のやる事はこっちでやる必要はないのです。政府でやれば良い。しかしこういう美術館は誰もやらないからやったのです。

《お伺い》非常なプラスでしたが、しかし相当に嫉妬心を持っているのもあります。

《御垂示》そうです。それは全部が良いという事はない。こっちを一番憎んでいるのは邪神です。人を救うとか世の中を良くするという事はけしからん野郎だ。何んとかしてやっつけなければならないと、それが今までのこっちの問題だったのです。

《お伺い》しかし邪神ばかりでなく、正神もありますから。

《御垂示》そう、正神の顔をしているのもありますから――。邪神というものは決して悪を標榜していません。みんな善です。それで皆一杯喰うのです。それは大きい邪神ほど善です。医学と同じです。医は仁術なりと言って――ですから私の本に書いてあるでしょう。悪を善と信じて行う悪が一番恐ろしいと、ですから理屈をつけてもっともらしくしますが、非常に良い様に見えて結局は悪なのです。それが邪神のやり方です。

《お伺い》その事で一番上手うまいのは共産党で。

《御垂示》そうです。しかし一番上手いのは医学です。これは一番です。とにかく医学が邪神の一番成功したものです。それを今度は『文明の創造』ですっかり書いてあります。九分九厘と一厘というのはそういうわけです。医学というのは人間の生命を握るのですから、医学に全部生命を握られているのです。それを私が離そうとしているのです。九分九厘を一厘で引っ繰り返そうとするのです。二千年以上かかってこうしたのですが、それを一遍にして引っ繰り返すのですから、驚天動地の場面でしょう。その小手調べとして『結核信仰療法』をやっているのです。その内に『文明の創造』をやるのです。『文明の創造』を世界中に行き渡らせて、それから世界の大破壊となるわけです。病人もありますし、それは大変なものです。そうして、どうしてもメシヤ教にすがらなければ助からないという事になるのです。ですから余程大きな腹を持っていないと呑み込めないわけです。これは大本教のお筆先にもあります。「世界始って以来ない仕組であるから、余程大きなうつわでないと分り兼ねが致さんぞよ」とあります。

《お伺い》最近大本教の教義を調べております。

《御垂示》お筆先を読んで御覧なさい。お筆先だけです。

《お伺い》批判は別として、誰が書いたのか良くまとめてあります。

《御垂示》出口王仁三郎という人です。

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