ちょっと面白い事を書いてみました。前に幾らか書いた事がありますが、これも変った事も書き足してありますから、参考になると思います。
御論文〔⇒神様と私との関係〕【註 地上天国五十七号】
そういうようなわけで、非常に力も増したし、非常に良いのです。その代り時によると困る事や厄介(ヤツカイ)な事があります。自分のやる事が、いろいろな順序が違ったりすると、神様から気をつけさせられると言いますか、自分の神様が気をつけると言いますか、ちょっと工合の悪い事があります。一昨日お茶の先生が来て――私はお茶を習ってはいないが、お茶を点(タ)てた時飲むだけなのですが――茶席で支度ができたからと案内に来たのです。そうすると、茶道具屋が来ていたのです。家の奥さんが道具屋も一緒にお茶を飲ませようと思って、その部屋に居たわけです。丁度私と並んで、私が先に飲み、その次に道具屋が飲みますが、そうすると私が急に気持が悪くなって、居ても立ってもおられなくなったのです。その時は気がつかなかったのですが、直ぐに立ってその部屋から出たのですが、“そうだ、道具屋と並んで同じお茶を飲んだからだ”という事が分ったわけです。それは霊的にはこんなに違っているのですから……。その時には私の霊が下に下げられるわけです。それで苦しくなるわけです。そういう事が時々あるのです。ウッカリしていると思いもつかない苦しみやいろいろあるのです。家の人もだんだん慣れて来るが、今の事も、奥さんも初めて知って、これから気をつけようという事になったわけです。それから面白い事には、この静岡事件から後は、私は以前のように……以前は事によっては分らない事は神様に伺ってやるのですが、そうすると逆な事を教えられるわけです。それで後でそれが分って神様に伺うと“もう必要がない、そのやり方は間違っている”つまり今までの間接が直接になったわけで、それが分ったので、それからは止めました。そういう事は今までなかったからして、よく神様からお知らせがあったとか、神様にお伺いするという事がいろいろありましたが、それはつまり神様が間接だからです。つまり神人合一という事は、そこに分けられていないわけです。同じになっているわけです。非常に良い点もあるし、慣れるまでは今言ったような事があるのですが、だんだん慣れてゆきます。ですからフッと浮かぶ事でもそれでよいことになるわけです。地上天国でもその他いろいろ造る場合でも、庭なら庭を、どういう形にするとよいという事も直ぐに浮かんで、その情景が見えるのです。見えると言っても、形に見えるのでなくて、霊的に見えるのです。だから非常に簡単なわけです。どっちかというと張合(ハリアイ)がないわけです。前のように考えた方が張合があります。そういうわけですから、今は熱海の地上天国、美術館などもチャンと出来ているのです。部屋の拵え方からみんな出来ているので、張合がないような気がして、次の事を考えているのですが、それでは早すぎるし、妙なわけです。こういう感じの人は、今までおそらく無かったでしょう。