こんにちは、今回はしばらく『御垂示録2号』(昭和26年9月5日の内容を掲載させていただきました。
うっかり『み教え集3号』の掲載に取り掛かるところでしたが、まだ『御垂示録2号』は9月8日の分のお話の掲載が終わっていませんでした。(汗)
このように同じ時期の『御垂示録』、『み教え集』。そして『栄光』、『地上天国』誌、などのご論文を同時に掲載していきたいと思っているのですが、そうなると、とても一月では同じ年の同じ月の分を掲載しきる事はとてもできないなーと思います。ご面会の時の会話式の内容を少しずつまとめて掲載していきたいとは思っているのですが、私の裁量でしてもよいものか、それにしても結構手数がかかるので、抜けがあってはいけないしなどと思案しております。
しかし、今回『御垂示録』も掲載させてもらって、私は大変勉強になりました。岡田茂吉師は大変細かな所までご指導してくださっていた事をよくわからせていただいたように思います。失礼ではありますがご指導の内容をすべて理解していた御先達はいらしたのでしょうか?井上先生は勿論完璧にご理解されていたのでしょうが、当時の先生方も地方でご布教にはげんでいらっしゃり、必ずしも毎月ご面会に聖地に上がられていたわけではないでしょうし。毎月のお祭りも何日も続くのですが、岡田茂吉師の祭典のお話は毎日同じではありませんでした。それでも、ご挨拶の内容は『み教え集』として翌月発表されていたので勉強することはできたと思いますが、『御垂示録』はその日ご参拝された方だけにお渡しされたように聞いています。教師の方は参拝されていなくてもいただけていたのでしょうか?
ご論文の内容や、お聞きしたことがある内容が、具体的にご面会の中でご指導されていることを知って、大変理解を深くさせていただけ感謝にたえません。ここでこんな風に話されていたんだー!。とか、これはこいうことだったんだーとか、理解を深める機会を頂けたと思っています。(いままでに一応全部読ませていただいたつもりなのですが…..)
時代背景が昭和10年から30年までとさかのぼりますので、社会背景は今と随分と違います。み教えはそのまま掲載しておりますので、その辺をご理解いただき、四角四面にそのままとるのではなく、ご質問された方もそれぞれちがいますし、家族背景、因縁など、誰一人として同じではありませんが、岡田茂吉師は一人一人に合わせて、見えない部分も見通しての御垂示ですので、その辺をご考慮いただき、読み進めていただくことをお願いいたします。
こんな掲載のペースでは地上天国建設に間に合わないといわれそうですが、取り敢えずできる範囲で掲載継続させていただきます。よろしくお願いいたします。
八尾屋