第五篇『自観随談』

第五篇『自観随談』

大本信者時代の私(自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日) 

教祖出口直子刀自は、経たての教えで小乗的であるに反し、出口王仁三郎師は大乗的緯よこの教えであったからである。
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狂信(自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日)

お筆先の一字一句も見逃さないで、それを直訳的に実行した連中があったから堪らない。
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日本美術とその将来  五、書について(自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日) 

絵画や美術工芸なども、古人の方が優れている事は定説となっているが、書に至っても同様で、私は古筆などを観る毎に感歎するのである。
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日本美術とその将来  四、陶器 (自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日)

元来陶器も絵画と同様支那から、学んだものであるから最初の日本陶器は殆んど支那の模倣であった。
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日本美術とその将来  三、蒔絵(自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日)

次に、美術工芸に就てかいてみるが、之も絵画と同様古人の優秀さは驚くべきものがある。先ず外国にない日本独特の工芸美術としては蒔絵である。因ってそれから書いてみよう。蒔絵は余程古くから発達したもので、天平時代既に立派な作品が出来ている。勿論その...
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日本美術とその将来  二、彫刻 (自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日) 

昔の運慶や左甚五郎等はあまりにも有名であるが、彫刻は絵画と違い、昔から名手は非常に少かった。
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日本美術とその将来  一、絵画 (自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日) 

日本画の現在は危機に臨んでいると言ってもよかろう。事実容易ならぬ事態に直面している事は、斯道に関心を持つものの一致した見解であら
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馬鹿肥りは病的だ (自観叢書第五篇 『自観随談』 昭和24年8月30日)

尿意を催した時、我慢する事を止めるべきで、尿意を我慢するなどという些細の原因から生命を失う結果となる事を考えたら、実に恐ろしい話で大いに注意すべきである。
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湯西川温泉 (自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日) 

無医薬と菜食が如何に健康に好いかという事実で、全く私の説を裏書してをり非常に面白いと思った。
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奥日光から塩原へ(自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日) 

私は四十才頃から山が好きになり、機会ある毎に各所の山に登ったのである。尤も其頃から健康恢復の為もあった。関東附近の主なる山は大抵登った
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アルプス紀行(自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日) 

上高地は千古斧鉞ふえつを入れざる大森林で、山気身に迫り、みた事もない木や草が繁っている状は全く人間界を遠く放れた別世界で、今にも白髪の仙人が忽然と現はれて来そうな気がする。
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二人の盲の話 (自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日) 

私は子供心にも天罰の恐しさをつくづく知ったのである
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映画 (自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日)

最後に邦画に求めたいものは大仕掛けのものと天然色とで之は一日も早く実現せん事である。
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音曲(自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日)

音曲(おんぎょく)についても少し書いてみよう
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尾形光琳 (自観叢書第五篇 昭和24年8月30日)

何といっても光琳は断然傑出している。彼の絵ほど簡略にしてしかもその物の実態を把握し得ているものは類がない。彼は全然物体の形を無視していて、しかも物体の形を忠実に表現している。
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浪花亭愛造 (自観叢書 第五篇 自観随談 昭和24年8月30日)

私は若い時から浪曲が非常に好きであったから茲に書いてみよう。私の浪曲好きは関東節に限る
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団十郎の芸 (自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日)

ある意味において名人が人類に対する功績はすこぶる大きなものがあり、全く我々は名人に感謝すべきであると思う。そうして名人とは天才が努力の結果なるのであって、凡才の努力の結果が上手となるのであろう
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強盗の訴え(自観叢書 第五篇 自観随談 昭和24年8月30日) 

その時つくづく思った事は法律とは変なものだ、自分名義で借り、自分経営の工場へ自分の品物をとりに行って家宅侵入になるというのだから、実に訳が判らないものだと思った。
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逆手の法(自観叢書 第五篇 自観随談 昭和24年8月30日)

問題によってはいくら考慮しても解決策の発見できない事がある。そういう時にこの逆手の法を考えるべきである。その結果非常に好結果を奏する事がある。私はこの逆手の法をよく用いて効果を挙げるのである。
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柔道 (自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日)

それは私の仕事を妨害するものがある場合、それを止めようとしたり、反駁しようとはしない。妨害者のしたいだけの事をさせる、ある場合それを利用する。そうする事が反って妨害者の失敗を早めて解決するのである。
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順序(自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日)

「神は順序なり」という事が昔から謂われているがこれは全くそうであると思う。何事においてもそれが滑らかに運ばないという原因は、全く順序が紊(みだ)れているからで、特に人事においてそうである。
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借金 (自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日)

故大倉喜八郎翁の「長寿の秘訳」という話の中に、人間長生きをしたければ借金をしない事だ、借金位寿命を縮めるものはないと書いてあった。この意味からすれば、私などは恐らく借金の為に縮めた寿命は少々ではあるまい。
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正直と嘘 (自観叢書第五篇  自観随談 昭和24年8月30日)

しかしながら世の中の事はそう単純ではないから正直でなければならない場合もあり、嘘をつかねばならない場合もある。この区別の判り得る人が偉いとか利巧とかいう訳になる
第五篇『自観随談』

はしがき/人が恐ろしい/馬鹿正直 (自観叢書第五篇  自観随談 昭和24年8月30日)

恐らく私ほど異色ある波瀾重畳の境遇を経たものはあまりあるまい。或時は高い山の上に乗せられたかと思うや、忽ちにして谷底へ突落され、そうかと思うと又高い山の上に乗せられるというように、実に千変万化極りなき、数奇の運命を究めた