数字

御教え集18号

御教え集18号 昭和二十八年一月二日 ※数字二十

そういう様でミロクが開けるという、それが二十八年からになります。それで丁度救世教の経綸も凡てそういう形になりつつあります。それがよく分ります。
教えの光

御簾の由来、鳥居と賽の河原、珠数『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

      除夜の鐘も百八つ打つが、百八は非常に意味がある。百という字は十を十集めると百すなわち十十で、十十を合わすと井(いげた)の字の形になる。すなわちミロクの世の形になる。また十字架の形にもなり、経緯結んでいづのめという意味である。八は開く形で、無数の数を表わす。
大経綸

御教え集23号 昭和二十八年六月十六日※世界にミロクの世が生まれた (昭和二十八年七月十五日)

昭和六年六月十五日に房州の日本寺が始まりですが、あの時は霊界の奥の方、最奥霊界が黎明になったのです。今度は現界の霊界に日が出たのが一昨々年の私が庵原警察の留置所の中で、日が出たと言えばおかしいですが、非常に神秘があったのです。
御講話など

御講話 昭和11(1936)年1月1日 ※楽に浄められるのと、苦しんで浄められるのとあって、これはその人の想念、信仰などによる

観音会の方でも掃除されてる人もあります。その方は、おデキのできてる人があるが、これは結構なんで浄められるんで、ただ楽に浄められるのと、苦しんで浄められるのとあって、これはその人の想念、信仰などによるんであります。
御講話など

御講話 大日本健康協会発会式 昭和11年5月15日(筆記) ※観音様がやる。三六五日について。

今日までの文化は月と地で、今度日が出て日が加わる。日すなわち日本である。いままでは日が下で地が上になっていた。地がアジア諸民族、アフリカの土民など、白人は月の系統の人種だから、いままでは月の文化と土の文化だった。キリスト教は月の宗教だった
御教え集

御教え集33号 昭和二十九年四月七日※“世界を救う聖者が八人目に出る”

迦が七のミロクになるのです。釈迦は何処までも「七」の数字で支配される人です。だからつまり「地」は「七」ですからして、地のミロクです。私は伊都能売ですから「八」になるのです。伊都能売というのは、数で言うと「五」「三」ですから「八」になるのです。そして「八」という数字は富士山になるわけです。
芸術

御教え集29号 昭和二十八年十二月二十三日 御誕生祭 (御生誕祭) 昭和二十九年一月十五日発行

私は今日で満七十一歳になります。それで今日は皇太子様の御誕生日にもなるので、余程私と因縁があるように思われます。皇太子様は明仁と言って、やはり「明」の字で、私は明主なのですから、これも不思議と思われます。
文明の創造

『文明の創造』天国篇  昭和27年

言わば世界は百八十度の転換であって、実に空前の一大異変である。従って現在の文化形体も一変するのは勿論、其大綱としては、前述の如き大自然の形となる以上、一切の機構も三段階になり、分れて六となり、又分れて九となる、つまり三六九で、之を縮めればミロクとなる。地上天国一名ミロクの世とは此事である
文明の創造

彌勒三会『文明の創造』宗教篇 昭和27年

抑々彌勒三会とは、読んで字の如く三身の彌勒が、一度に会われる意味であって、三身の彌勒とは言う迄もなく釈迦、阿彌陀、観音である。そうして釈迦は報身の彌勒であり、阿彌陀は法身の彌勒であり、観音は応身の彌勒となっている。又釈迦は地の彌勒であり、阿彌陀は月の彌勒であり、観音は日の彌勒である。
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『文明の創造』宗教篇「仏滅と五六七の世」 (昭和二十七年)

一切の欲望は結局一時的煩悩にしか過ぎないのだから、諦める事だ。諦め切って了えば、真の安心立命を得られるのだと説かれたのであって、之が仏教の真髄であるとしたら全く夜の世界の姿をよく物語っている。此意味に於て万事は昼の世界迄の運命でしかない事を、遣憾なく示されている。
文明の創造

『文明の創造』宗教篇「霊界に於ける昼夜の転換」  (昭和二十七年)

誰しも夜と昼は一日の中にあるではないかというであろう。成程それには違いないが、私のいうのは大宇宙のそれであって、此事を知るとしたら、人智では到底想像もつかない程の大神秘を会得する事が出来、それによって今後の世界の動向も分り、未来の見当も略(ほ)ぼつくのである。
御講話など

御講話 昭和10(1935)年10月6日 玉川鄕・・数字

昭和十年十月十日で、十十十で、これはたいへん意味があるんで、十十十と三つ重なると千になる。十が十で百、また十で千であります。つまり十百千になる。すべてそういうふうになるんであります
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御教え集18号 昭和28年1月3日 ① (「二十八」の数字)

今年は二十八年ですが、「二十八」というのは数字から言っても大変いいのです。終戦になったのが昭和二十年ですが、この「二十」という数字は今までにも沢山ありましたが、特に良いという事は「昭和」という年号に対して、その文字に対しての二十というのが大変大きな意味になるのです。「昭」というのは日偏に召すという字ですが、この「召す」という事は「しろしめす」という意味になります。「しろしめす」という事は「統治する」という事です
御教え集18号

御教え集18号 昭和二十八年一月二日 (昭和二十八年二月十五日)

富士山を一名昔から「八スの山」と言うのです。「八が統(ス)べる」というわけです。それで「八」は「五三」ですから伊都能売にもなります。そういう様な訳で、これは日本の将来のあり方を表わしているのです。(中略)そういう様でミロクが開けるという、それが二十八年からになります。それで丁度救世教の経綸も凡てそういう形になりつつあります
観音講座

観音講座 第一講座 「主神の御目的と天地経綸の真相」

これから説く事は世界の大秘密である。それをいよいよ暴露するのであります。今までは夜の世界であった。それ故諸々(もろもろ)の穢(きたな)い事が匿(かく)れて居ったのであるが、観音様がこの世に現れた為に霊的に日が出た事になり、いよいよ秘していたことが目に見えて来た