御教え集

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御教え集18号 昭和二十八年一月二日② (法難→散花結実) 

丁度覆い被さった黒雲が晴れるという様な気持がします。しかし今度は神様の方から言うとそれが必要だったのです。これは一昨二十五年に散花結実という事を言いましたが、あれで花が散ったわけです。ですから検察庁の役目は、つまり低気圧の役目をしたわけです。
御教え集18号

御教え集18号 昭和二十八年一月三日 ( 昭和二十八年二月十五日)

凡て順序というものは最初は頭の中です。これは霊界に出来るのです。それでこれを、こうしろああしろという言霊に出て、それから本当に物質が現われる、という順序です。それで今は頭の中の霊界では設計が出来てます。それで四月に行って、今度は言霊の設計をやるのです。そこで言霊というものは非常に重要なものです。それは誰がやる事でもそうです。たとえば、ここならここで思いますが、それは霊界にはすぐに出来てしまうのです。
御教え集18号

御教え集18号 昭和二十八年一月二日 (昭和二十八年二月十五日)

富士山を一名昔から「八スの山」と言うのです。「八が統(ス)べる」というわけです。それで「八」は「五三」ですから伊都能売にもなります。そういう様な訳で、これは日本の将来のあり方を表わしているのです。(中略)そういう様でミロクが開けるという、それが二十八年からになります。それで丁度救世教の経綸も凡てそういう形になりつつあります
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御教え集18号 昭和二十八年一月一日 (昭和二十八年二月十五日)

昭和二十八年一月御教え 一月一日 元日は何時でも“今年は大いに意義のある年だ”とか、“発展する年だ”という様な事をよく言いますが、今私が言う“今年はよい年だ”という事は、御座成(オザナ)り的な事でなくて本当に今年は大きな意味があるのです。...
御教え集5号 

*御聖誕祭/美術館 御教え集5号  昭和26年12月23日 

何う言う訳かと言うと、私は昔――若い時分から薬をうんとやつたんです。此――薬毒を知る迄は殆んど薬づけと言つた様な具合だからね。それが相当なんですからね。それで、始終自分で浄霊している為に、年々それが減つていくので、健康を増していくんですね。
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御教え集16号  昭和二十七年十一月六日   

この事は一番肝腎な事でして、之については色んな神秘があります。乾坤山日本寺ですが、日本寺に行った人は分りますが、山の上に石仏が沢山あります。達磨、観音、釈迦、阿彌陀、釈迦の十大弟子から羅漢と、それは仏教に関係した仏様は全部網羅してあります。それで入口には、お釈迦さんが行をした沙羅双樹(サラソウジユ)――樹下石上と言って、石の上で行をされた。それであそこは日本に於ける仏界の型
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御教え集30号 昭和二十九年一月三日

今まで浮世絵展覧会というと版画が主で、肉筆は殆んど出さなかったくらいですが、今度は肉筆専門ですから、これも初めての企画です。
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御教え集30号 昭和二十九年一月六日

以前はなかなか医学が喧(ヤカマ)しく、政府が言論の自由をなくしていたから、下手にやって酷い目に遭うといけないからと思って、はっきり書かないようにしていた。それがずっと続いて来たので、あまり徹底しなかったのですが、今度、今言ったような訳で書きました
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御教え集32号 昭和二十九年三月十五日

兎に角日本人というものは美的には実に勝れたものです。私はよく仏像を見る場合に、支那の仏と日本の仏とは、こうも違うかと思うくらいです
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御教え集32号 昭和二十九年三月十五日

今のは学校の勉強時間のような話ですが、これが本当に分れば何でもないのです。逆の方の教育を受けたために非常に分り難くなっているわけです。つまり救世教というものは高度の科学を教えるわけです。だから宗教ではないと言う

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御教え集32号 昭和二十九年三月六日  ※薬を徹底的に分析

そういうような工合で、薬と病とは関係ないわけです。薬で病に対し、科学的にどういう理論で治るかという事は全然分らないのです。それは、病気というものが分らないのだから、分らないはずです。ただ飲んでみてちょっと工合が良いから、これは効くのだ、この薬に限るというように思ってしまっているのです
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御教え集32号 昭和二十九年三月六日

悪い事に趣味が起こらない、それで良い事をするのが面白いという魂になると、それが本当の魂です。ですからウッチャラかしておいても悪い事をしないというので、人が見ているから悪い事をしないというのではいけないわけです。そういう人間を作るのが救世教の本筋なのです。しかし無論いきなりそういう立派な人間になれるわけがないから、教義というものも必要です。しかし根本はもっと上の方にあるのだからして、そこで宗教ではないと言うわけです。