霊光自由無碍 (世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日)

      御守の光に遮蔽されて、レントゲン写真が写らないという例は、この欄(下記掲載1)に載せてあるが、左の御蔭話はそれとは異う点にも奇蹟があったのでこの文を添えたのである。それは御守を外して写した処が胸の中央に四角く御守の形通りが白く現われたことで、つまり御守の光が印画されていたのであるから、驚くべき現象である。次にこのレントゲン撮影が完全に出来ないと職業にありつけない為、神様に御願いした処、今度はチャンと写ったので、希望通りになったということである。これをみても神様の自由無碍な御守護の力の偉大さは言葉にも表わせないのである。

   お守によりレントゲン写真に写らず(下記掲載2)(世奇  昭和二十八年九月十日)

 掲載1
  神力の偉大さレントゲンを透さぬ身体
『栄光』102号、昭和26(1951)年5月2日発行

    神奈川県平塚市平塚
       明成中教会 木内きみ(39)

 『栄光』新聞第八十二号に御発表の明主様の「神霊の実在科学で立証さる」という御論文を拝読し、それに伴なう河野様のおかげ話にて、お守より発する光がレントゲンより強力である事が科学的に実証されております。
 なお、昨年十月十八日熱海へ御参拝させて頂きました折にも親しく御光話を賜わり、本当にお光の有難さを沁々と感じました。ところがそれとほとんど時を同じくして、私の子供も同様の奇蹟を体験させて頂きまして、一層の感激に打たれた次第でございます。次に御報告させて頂きます。
 今年小学校四年の長男久二が十月初旬「レントゲンを撮るのだけれど」と言いにくそうに申します。実は子供は学校で裸になる時、お守様をかけていますので困っていたのです。子供がそれを申しますので、御粗末になってはと思い、当日はお守様を家へお納めして登校しました。半月程してから子供が、「お母さん、今日レントゲンの写真の結果を言われたけれど、僕の前の子などみなはっきり写っているのに僕のは二度とったけど二度とも写らないから君はもういいと言われた」と申します。アッ、やっぱり、とすぐに私は胸に思いました。子供の事ではっきりした状況は得られませんが、とにかく大勢の検査の中で二度共うつらなかったというこの事実。早速会長先生に申し上げましたところ「お守をかけていなくとも霊線によってつながっているからです」との事でした。いついかなる時にも神様はこのようにしっかりと霊線を通じ御守護を下さり奇蹟を現わして下さる広大無辺なる御恵みを思うと、ただただ有難く謹みて御礼申し上げます。神様は色々な奇蹟によって御守の偉力を一日も早く人間に分らせ、信じさせようとされ、そしてお救い下さるのです。お守様をいただき、神様の御袖に抱かれるものにとって、科学の力も原子爆弾の恐怖も何ら驚くに足らないという事はこれによってみても明々白々でありましょう。
 私はじめ家族一同日々限りなき御恵みを頂きお救い頂いて参りました。重ねて又尊い体験を頂き光栄身に余る思いでございます。今後共地上天国御建設の御手足となって精進させて頂きます。右簡単ですが謹みて御報告申し上げます。
                (昭和二十六年二月八日)

掲載2

お守りによりレントゲン写真うつらず   その上就職にも御守護
『栄光』187号、昭和27(1952)年12月17日発行
『世界救世教奇蹟集』昭和28(1953)年9月10日発行

   広島県安佐郡小河内村
      西光中教会 猪田池雄(19)



 明主様謹んで御守護の御礼申し上げます。死を待つ許りでありました母の病気が癒され、父母が入信させて頂き喜んでいる姿を眺め、又『栄光』新聞、『地上天国』等読ませて頂き私もこの有難いお守を早く頂きたいものと念じておりましたところ、二十七年七月二十三日待望の入信させて戴きました。
 今度国鉄に就職のため広島鉄道病院へ身体検査に行きました。そして胸部をレントゲンで写すことになり上半身裸となり、お守は脱いだ上衣の上に安置させて戴き、うつして貰ったのです。ところがどういうことでしょう、一番大切な胸の中央が四角に写らないではありませんか。医師も「おかしい、おかしい」と言いながら二回写し変えました。前後の人達は綺麗に写るのに私のだけはどうしても写らないのです。

 私は原爆の放射光線よりなおお守より発する光が強力であるという話をお聞きしていましたので、ははあ神様が奇蹟を見せて下さったのだなと気がつきましたが病院では黙っておりました。このままでは就職ができず大変ですから駅の方に帰り係の人に写らなかった訳を話しました。すると係の人は「神様で写らなくして貰ったのなら、今度は写るよう神様にお願いしなさい」と言われ、「そうだ、忘れていた」と気がつき、早速教会にお参りして、明主様に御守護を御願い致し、翌日又写して貰いました。今度はどうでしよう、立派に写ったのです。
 そして無事就職する事ができ、毎日元気に勤めております。普通ですと胸部が写らねばその場で不採用となるのだそうですが、翌日再び写真を写して頂いたというのもひとえに御守護の賜物と深く感謝しております。微力ながらこの聖業に尽くさせて戴けますよう念じております。
 明主様有難うございました。(昭和二十七年二月十七日)

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