社会悪は環境か否か(光10号 昭和24年5月25日) 

 昔から「恒産あれば恒心あり」と謂い、人間が物質に不自由しなくなれば言行も良くなるというのである、そうして今日の世相は実に社会悪に満されているが、その原因は物質欠乏のためと解釈している識者の少からずある事である、なるほどそれも一部の真理には違いないが決して根本的のものではない、もしそれが真原因とすれば、物質裕かな者は正しい人間であるはずであるが事実はそうはゆかない、衣食足りていながら不正行為をするものの数もおびしいものがある、時によると貧困者よりも世をみだし害毒を与える方が大きい場合もある、それは金銭の力によって住宅難の今日、多くの邸宅を占有し、殆んど空屋同様にしている事や、金銭の力で多くの婦女子を玩弄物視し道義を乱したり、社会の下積みになっている弱小者を、金力で自由を奪い、ウダツが上がらないようにし、政界を腐敗さし、子女の入学の際教育者を堕落さしたり、その他数え上げれば枚挙にiいとまない程である。

 以上の事実によってみても社会悪増加の原因は物質不足のみではない事は明かである、之等によってみても、社会悪の根源は吾等が常に唱えるごとく、信仰心の欠乏からでそこに真の原因があるのである、故にその原因を解決せざる限り社会悪の根絶は思いもよらない事でそれにはどうしても力ある宗教の出現こそ絶対解決の基本である。

 次に今日の文化人の考え方の非常に間違っている点を指摘してみよう、それは何であるかというと凡ての罪を他に転嫁する癖がある、最もこの考え方の中心をなすものは彼のマルクス思想の影響であろう、彼の社会主義理論が人間不幸の原因を凡て社会の組織機構が悪い為としている事である、なるほど社会の組織も機構も、より良く改革するのは必要であるがさらばといって人間の不幸の原因がそれだけに決めて了う事は大なる誤謬である、いかに理想的組織機構が造られたとしても、個々人の考え方や行動が誤っていれば組織機構の運営がスムーズにゆくはずがない、必ず破綻を生ずる、故にどうしても個々人の心性を善くする事こそ本当の解決法でいわば人間が主で社会組織は、従と見るべきである。

 以上のごとき誤った考え方は全く唯物思想から発生した事はもちろんで、唯物主義においては人間の霊性を認めない、物質理論のみで解決しようとするそこに大きな誤因がある、その結果として何でもかんでも自己の言動を正当づけ罪を他に転嫁しようとする、処が事実は罪の殆んどは自己自身にある事で、その事がしっかり認識さえできれば、謙譲の徳も博愛精神も自ら現れるから、平和な幸福社会が実現するのである、之こそ宗教信仰によるより外方法は決してない。

 社会革命の理念とする他動的罪悪感は社会組織を破壊せんが為の目的から罪を自己に帰せずして社会組織に振向けるという理論によって民衆を踊らせるのであるから、人間はこの意味をよく認識し、従来の過誤を清算し新たなる出発をなすべきである。

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