家畜の供養
《お伺い》家畜を食べる場合には、この次には人間に生まれ変わる様にと言うと、功徳になるとの御教え頂いておりますが、その様に変わるものでしょうか。
《御垂示》しかし、お願いする人に資格がなければならない。誰が言ってもと言うのではない。
その資格によって、神様の方で許されるからで、誰が言っても、そうはいかない。
《お伺い》前世には人間であったものでしょうか。
《御垂示》大抵、先に人間だったのです。その場合にそこの系統に飼われる事になるものなんです。
《お伺い》牛を殺している商売ですが、娘が入信しており、両親は反対ではありませんが、入信しておりません。牛の供養をさせて頂きたいと思いますが、何の様に致したら宜敷いでしょうか。
《御垂示》形式ですか。
《お伺い》左様で御座います。
《御垂示》お祀りする時は、白木の位牌か何かの、霊の名前を書く形のものがありますが、「牛の諸霊」として書いて、それを光明如来様の、一段低い所に台を置いて、お盛り物をして、光明如来様にお願いして、牛の霊を救いたいから、御守護をお願いしたいと言う事をよくお断りして、光明如来様より向かって、少し左にはずれた所に置いて、お願いして祝詞と善言賛詞を奏げて――喜びますよ。人間で牛に生まれたものは、どうか再び人間に生まれ変わる様にお願いする。人間が牛になったのと生来の牛と両方とがある。人間が牛になったのは少ないんです。しかし、本来の牛でも、殺されると怨みますからね。怨みも重なると、一つの罪になるから、苦しむ事になる。そうしてやれば両方共救われるから結構です。
家畜を捨てる時は、良くいってやる
《お伺い》明主様の所では家畜類は――小鳥でも飼っておられませんが――。
《御垂示》面倒臭いからね。
《お伺い》よく、犬や猫が沢山子を持ち、捨てたり致しますが、この様な事は如何なものでしょうか。
《御垂示》それはいけないですね。罪になりますね。捨てるのは未だ良いが、殺すのはいけない。罪になります。捨てる場合でも、良く言ってやる。家でも飼ってやりたいが、都合で飼っていけないから、良い所に飼われる様に神様にお願いしてやるから、と言ってやるんですね。そうして光明如来様に、こうこう言う訳で飼えないから、良い飼主が見付かる様に御守護お願いしたいと言う。そうすると、良い飼主の所に行きます。
「牛頭観世音」
《お伺い》牛の件で御座いますが、牧場業の家庭で、牛が沢山死んでいるので「牛頭(ごず)観世音」と書き、祀っておりますが宜敷いでしょうか。
《御垂示》宜敷いです。「馬頭観世音」があるから、「牛頭観世音」で良い。