🔰霊と体 *私たちは目に見えない衣をまとっている

八尾屋
八尾屋

私はたまに転んで青あざができたり、いつぶつけたのかわからずに青あざを作ったりしている事がたまにあったのですが、数年前から青あざをあまり見なくなりました。家族で熊野古道に行った時、私が孫を追いかけて走り出したら転んでしまい、嫁さんが凄い音がして、目の前から消えたといっていました。60代後半ぐらいの時です。転んでも特に怪我もなく歩き出したのですが、青あざとかも全然できなかったのがとても不思議でした。その2、3年後70歳ぐらいの冬に、駅に行くのにメガネをかけたら、レンズが曇って前が見えなくなり危ないので、道路の端を歩いていたら、建物のコンクートの基礎につまずいてみるも無残にころんでしまいました。起き上がって、カバンから飛び出した物などを拾って、恥ずかしいのですぐ歩き出したのですが、次の信号の前に後ろから男性に呼ばれて振り向いたら、私の携帯を渡してくださいました。転んだ場所の道路を挟んだ向いがスポーツジムでそこでその男性が待っていたら、凄い大きな音がしたので見たら私が転んでいたそうで、歩き出したのはいいけど、携帯が落ちたままになっていたので、道路を渡って私に届けて下さったとのことでした。本当に助かりました。どうして私が転んだぐらいでそんなビックリするような音がしたのか、以前山で転んだ時も嫁さんや娘もすごい大きな音がしたと言っていました。

下記の「霊と体」の御教えを読ませてもらうと、もしかしたら自分の霊衣と地面がぶつかった音だったのではないだろうかと思わずにはいられません。私には大きな音は聞こえなかったように思います。思いっきり転んでも青あざもできなかったという少し不思議な体験です。
「岡田茂吉を学ぶ」のHPをアップし始めて2,3年後ぐらいからの事ですので、多くの方に岡田茂吉の御教えを知っていただきたいというHP作成の思いは正しかったのだと最近思わされます。

霊と体 (世界救世教奇跡集 昭和28年9月10日)

 以上の如く、一切万有は霊主体従が原則であるとしたら、本著にある幾多の奇蹟もこの理が分れば敢えて不思議はないのである。例えば危機に際し間髪を容れず難を免れたり、高所から墜ちてもきず一つ受けず助かったり、博士や大病院から見放された重難症患者でも、難なく治るという事実である。しかながらこれを充分徹底するには、どうしても宗教的解説が必要であるから、読者はそのつもりで読まれたいのである。

 それに就いてまず知っておかねばならない事は、霊界と現界との関係である。というのは人間という者は肉体の着衣と同様、霊も霊衣アウルを着ており、霊衣とは一種のエーテルであって、これは霊から放射される光で朦朧体もうろうたいではあるが、肉眼で見る人もある。そうして霊衣なるものは天気と同様、常に晴れたり曇ったりしている。即ち善を思い善を行えば晴れ悪を思い悪を行えば曇るのである。故に正しい神を信ずれば光を受けて曇りはそれだけ消されるが、邪神を拝めば反って曇りが増すのである。処が普通人は霊的智識がない為神とさえいえばことごとく正神と思うが、これが大変な誤りで、実は邪神の方が多いのである。その証拠には先祖代々熱烈な信仰を続けているにかかわらず、不幸の絶えないという家をよく見かけるが、これは拝む本尊が邪神か又は弱神であるからである。故に正神に帰依し、人を救い善徳を積めば積む程、光は増すから霊衣も厚くなる。この厚さは普通人は一寸(約3㎝)位だが、善徳者になると五寸(約15㎝)から一尺(約30㎝)位に及び、神格を得た高徳者になると数十尺から数哩に及ぶ者さえある。大宗教家などは数国しくは数民族にも及ぶもので、釈迦、キリストの如きはこの種の人である。処が救世主となると人類全体を光に包むという実に驚くべき威力であるが、併し今日まで救世主は未だ世界に現われた事のないのは歴史が示している。以上によっても分る如く、霊衣はその人の心掛次第で厚くもなり薄くもなるので、人間はこの事を信じて大いに善徳を積むべきである。例えば汽車自動車などが衝突しても、霊衣が厚ければ車の霊は霊衣につかえて当らないから助かるが、霊衣が薄かったり無である場合、死んだり重傷者となるのであるから、本教信者が災害を免れるのもこの理によるのである。

 次に運不運も同様であって、この理もザッとかいてみるが、人間の体は現界に属し、霊は霊界に属しており、これが現界、霊界の組織である。そうして霊界は大別して上中下三段階になっており、一段階が六十段で、それが又二十段宛に分れ、総計百八十段になっている。勿論下段は地獄界、中段は中有界といい、現界と同程度の世界であり、上段が天国になっている。そうして一般人の殆んどは中段に位し、その人の善悪によって上にも昇れば下にも降る。即ち善を行えば天国に上り、悪を行えば地獄に堕ちるのである。しかも現界と異って霊界は至公至平にして、わずかの依怙えこもないから悪人には都合が悪いが、この事が信じられる人にして、真の幸福者たり得るのである。勿論地獄界は嫉妬しっと怨恨えんこんねたみ、憎み、貧窮等仏教でいう貪瞋癡とんじんちが渦巻いており、下段に降る程濃厚となり、最下段は根底の国、又は暗黒無明むみょう極寒ごっかん地獄、煉獄れんごくともわれている。といっても死後ばかりではなく、体は現界にある以上、霊そのままが移写されるから、七転八倒しちてんばっとうの苦しみの末、一家心中まで企てる者のあるのは、常に新聞に出ている通りで、人間の運不運は、霊界の地位如何によるのである。勿論その因は善悪の因果律による以上、悪人程愚かな者はない訳である。事実悪で出世をしても一時的で、いつかは必ず転落するのは前記の如く霊界に於ける籍が地獄にあるからである。それに引替え現在如何に不運であっても、その人の善行次第で、霊界の地位が向上する結果、いつかは幸運者となるのは、厳としておかすべからざる神律である。従ってこの理をおしえるのが宗教本来の使命であるにかかわらず、今日まで甚だ徹底しなかったのは経典と説教を主とし、肝腎な実力即ち奇蹟が伴なわなかったからである。

 処が愈々いよいよ時節到来、主神は今や絶対力を発揮され給い、本教を機関として驚くべき奇蹟を現わし、人類の迷妄をますのであるから、如何いかなる人といえども信ぜざるを得ないであろう。

タイトルとURLをコピーしました