浄霊の原理  第四(『神示の医学 』 光号外 昭和24年5月30日⑧)

 ここで、観世音菩薩の由来を書かなければならない、諸仏中ひとり観世音のみは昔から御秘仏とされていた、之は深い神秘があるので、その神秘の全部は未だ時期尚早く発表は出来ないが、何れ神の許しのあり次第発表するつもりである、ここでは浄霊に必要だけの神秘を書く事とする。

 勿論、観世音の御働きは仏教渡来からであるが、その当時から最近まではただ霊のみの御救いであった、勿論人間が祈願する事によって利益を賜わるには賜わったが、それは甚だ微弱であった、その理由として光の原素は火素と水素の密合であるが地素が欠けていた、故に利益を与える場合二元素のみであったから、力が不充分であった訳である、処が霊界に於る大転換の時が迫り来った、聖書中の世の終り、最後の審判の時がそれである、之が為最も強力なる絶対的救済力が必要となった、この力こそ前述の如く火水土の三位一体の力であって、土の力とは物質の原素で、人間の体に当る、光が体を通過する事によって土素が加わり三位一体の力となる、即ち観音力である、之を判り易く言えば観世音菩薩の如意の珠から発揮される光素が、私の体を通じて観音力の発現となり、それが私から信徒の体を通じ浄化力となるのである。

 右の理を例を以て解説してみよう、例えてみれば、昔から病難除去の利益を戴くべく、観世音の画像又は彫像に向って祈願するに対し、今日、本教の信徒が行う浄霊の方が何倍かの利益を挙げ得るのである、それは画像や彫像からの光波では二元素のみで、肝腎の体の力が加わらないからである。

 今一つの理由として、常に私の唱える霊界の大転換である、之は昭和六年六月半ばからでそれ以前の霊界は水素が多く火素が少なかった、しかるにそれ以後水素よりも火素の方が漸次増加しつつある一事である、尤もこの時より数十年以前から転換は始まっているにはたが、それは火素が頗る稀薄であった事である、ここで光の強弱について説明するが、光の強いという事は火素が多いからで、電灯の燭が多い程熱が強いのと同様である。

 今一つの例は、私の腹中には火素の塊があるから、普通人より非常に熱いとよく言われる、私は毎晩のように奉仕者に肩を揉ませるが、誰もが非常に熱いといい、冬でも一、二枚衣服を脱ぐ位である、又私が部屋に暫くいると部屋が熱いとみんなが言う、私は「ストーブの代用になる」と大笑いする事がある、私は入浴後寒中でもタオルの寝衣一枚で、一二時間そのままでいる、而も私は特別のぬる湯好きである、之は火に水を注ぐと反って熱度が増すと同様の原理で、冬晴天の日の方が寒いのもこの理に因るのである。

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