宗教の新店と老舗(光3号 昭和24年3月30日)

 つらつら世間を見る時、街の小売商店に二種あり、それは新店と老舗しにせとである、人の知る如く新店は新店で今後大いに発展せんとする気構えから、精気溌剌たるものがあるが、如何せん未だ信用が薄い、というのは客からみれば商品はどの程度優良であるか、値段も適当であるかどうかという事を心配するから自然試しに買うか或は間に合せ程度の買物でしかあるまい、処が老舗となると客としては頭から絶対の信用をおく、何町の何店の何の品なら決して間違いはない、なまじ新店で不安心な思いして買物をするより安心して買えるから少々遠方でもそこへ行って買うし、又まとまったものは猶更買うという訳で、之は全く永年売り込んだ暖簾のれんのおかげである、したがって新店の方は血の出るような勉強をして、老舗へ買いに行く客を幾分でも自分の方へ引つけなければならないというのが実情で、之は誰も知っている処で、今更事新しく言う必要もない。

 処がこれと同じような事が宗教にもあるから面白い、御承知の如く宗教の新店と来ては小売商人処ではない、頭から迷信邪教、インチキ宗教というように決められてしまうので実に噫無情ああむじょうという外はない、成程おっしゃる通りの新宗教も沢山あろうがたまには真物ほんもののある事も知って貰いたい、それについて斯ういう事も考えなくてはならない、即ち老舗である凡ゆる宗教も一番最初は新店であった事に間違いはない、それが段々年数が経って今日の如き老舗となったのであるから、今日の新店と雖も勉強して値も相当で品物も確実でありさえすれば、何時かは老舗になる訳である、故に今日出来たての新店と雖も全部インチキ邪教であるとするのは今述べたような点からみてたしかに間違っている。

 以上述べた理由によって批判の立場にある人々は新宗教を充分検討して、事実白か黒かの判断を下ししかる後筆をとるのが本当の態度ではないかと思うのである。

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