昨年の暮れ、東京千代田区永田町にある日枝神社にご参拝させていただきました。
東京のど真ん中、艶やかな色彩の神社です。日枝神社は丁度年越しの準備中でした。
下調べも十分ではなかったのですが、聖地参拝の後に参拝させてもらいました。
てっきり御祭神は天照皇大御神様とばかりおもっていたのですが、どうも違うようで、素盞嗚尊様の孫の大山咋神(おおやまくいのかみ)様 で、国常立神(くにのとこたちのかみ)様、伊弉冉神(いざなみのかみ)様が祀られていました。
一緒に行った友達も私も・・・??
・・でしたが、「天照皇大御神様」の御神名でお参りさせていただきました。
スッキリと腑に落ちないので、家に帰ってから調べていたのですが、すぐにはわかりませんでした。
観音講座の第六講座で下記のように記されtれいます。
昭和九年六月十五日に私は御神命により、麹町の山王様即ち日枝神社へ三十何人の御供を連れて御参拝しまして、天照皇大御神様を御鎮祭、一同で祝詞を奏上致しました。これは日枝神社へ、天照皇大御神様が御鎮りになられたのでありますが、霊的の事でありますから、神官すら知らん事であります。
観音講座第六講座より
日枝神社は、今迄三柱の神様が御祭りしてあったが、此の三柱の神様は今迄御留守番であったのでありますから、六月十五日の朝、御昇天になられたのであります。是が昼間の世界の第一歩であります。その時に麹町の町名が大変に変わりましたが、これも御経綸の一端でありまして、此の日のお祭りが、今迄のお終いの、又始まりのお祭りに当たるために、盛大なお祭りでありまして・・・ (後略)
留守を預かっていた祭神はその日の朝(昭和9年6月15日)に御昇天になられていたんですね。御神名は「天照皇大御神様」で良かったと思いますが、帰ってから私なりに調べているうちに、今はもう、「天照皇大神様」は、こちらの神社にはやっぱりいらっしゃらないという事もありうると思いました。
『神幽現 三界の御経綸』を読ませてもらうと「三界の御経綸」とは具体的にどういうことを指すのかなどなど、逆に疑問が増えてきました。本当に勉強不足でお恥ずかしい。
”東方の光前編”には昭和5年12月15日早朝に、桜木さんという方の7歳の娘さんの御浄化で電話がありメシヤ様がお宅に訪問されています。その後帰られてから、「観世音菩薩」がこの世に誕生された証である事を感じ取られたと書かれていました。
「善言賛辞」にある「世尊観世音菩此の土に天降らせ給ひ」とはこの事を言われているのではないのでしょうか?。こちらは、霊界の経綸、日枝神社は現界経綸ということですよね。
御事績コーナーに変更を加えなくては・・・・。
メシヤ様は西へ西へと移動されましたが、麹町に一度だけ東に戻ったことを除いて、と何回かお書きになられていますが、日本の中心東京の中心から、現界経綸をお始めになられるために、東にお戻りになられたということだったようです。
さすが東京の中心にある神社です。周りは高いビルばかり!!
写真のように、階段を降りた鳥居の向こうは高いビル!小高い山上にある神社の向こうにそびえ立つビル。普通神社でこのような光景を見ることは稀だと思います。正に大都会東京の中心という感じを受けました。
今回、近くの応神堂跡や、仮本部跡には行っていません。20代の頃に行ったことがあるのですが、その頃はまだ建物が残っていましたが、今はもうないようです。詳しいことを知りたい方は次のブログも参考になると思います。 明主様のみあとしのび かつお式
普通神社は狛犬がありますが、ここは犬でなく猿が置いてあります。また、昭和6年6月15日に鋸山で天照皇大御神様をお迎えし、3年後の昭和9年6月15日に日枝神社に御鎮祭なされた。そして日枝神社の大祭も6月15日で猿の出し物が多いとの事ですが、日にちも猿田彦命との関係もどんな御神縁が含まれているのでしょう・・・。