御教え*話し方(御教え集6号昭和27年1月6日①)

一月六日

【御教え】話をする前にちょっと、今車の中で気のついた事があるので――あまり、滅多に話をしない事を――ちょっと為になる話と思うので、その話を先にしますが――私はよく映画を見ますが、その時に――アメリカ映画ですね。その言葉が字幕に書いてありますね。あの言葉が、実に洗練されているんですよ。日本人の言う言葉よりね。何時も、私は感心するんですが、それを考えて見ると、日本人の言葉がまことに洗練されていないんですね。だから、信仰者として人に話をする場合も、洗練された言葉を使う様に心掛けるんです。これはある程度実現できるんです。と言うのは、洗練されると言いますと、急所を言うんですね。余り無駄とか、ずれた事は言わないんです。実際に事実に良く合っている事柄の表現を、上手うまく言い現わすと言う事ですね。これが法なんです。法に適うとか、法があるとか言うのは、言い換えれば道なんです。道にはずれない様に、道に合う様にと言うのは、それなんです。これは、ひとり言葉だけではない。挙動から態度、考え方、行う事が、みんなそれに、はずれない様にいくんですね。譬えて言えば、人の家に行って格子を開けて、玄関に上がって挨拶をし、それから部屋に座って、そこの家によって――相手によって、座り方も話の仕方も、やはり違わなければいけない。話でも、ばれた場合の態度と話もあるし、それから先方に、こっちの都合で行って話をするのと、それから話の内容ですね。先方に対する言い方から、受け入れさせ方――そう言う事もやはり法があって、でたらめではいけないですね。一番困る事は、自分の言いたい事を言って、先方に喋らせない人がありますが、これが最もいけないですね。話上手より聞き上手――で、相手の話を充分聞いてやって、それに応じてこっちが話をする。そうすると、先方は気持ち良く、話し合える。それから大勢の話の場合に、人が話をしている時に、口を入れる――ひどいのになると、大きな声で、先方の話を打消す様にするんですね。その代表的なものが、日本の議会ですよ。喋っていると、打ち消す様にする。それから、地位のある人の会合ですね。大きな声で、喋っている人の話を打ち消す――ああ言うのは悪いですね。そう言うのは、歩き方にも態度にも、一切法があり道がある。そうして道も――相手によって色々違わなければならない。女は女に、年寄りは年寄りに、インテリはインテリらしく、平凡な人は平凡に、と合わしていく。合っていく――これが応身の働きです。そう言う事がちゃんと――そう理想的にはいきませんがね――中々ね。幾分でもそう言う風に、合っていくと、その人の運命に非常に良くなっていく。人に好かれないとか、人が賛成しないと言うのは、相手の罪ばかりではなく、こっちにもあるんですよ。一番ひどい――いけないのは、嘘をく事でしょうね。嘘を吐くのも、悪意でなく一時的に嘘を吐くのがあります。一時的に嘘を吐くと、相手が喜んだり感心したりしますからね。つい大袈裟に言ったり、大掛りに言ったりする。そうすると、あいつがああ言うんだから、実際はこの位だろうと割引きされる。私なんか、割引きしますよ。だから、たまたま本当言っても、割引きされちゃつて、つまらないですよ。嘘を吐かないんですね。あの人がああ言うんだから本当だ。と、その信用が大変なものです。どうも、人が信用しないとブツブツ言う人がありますが、一人よがりだから、〔他〕人ひとでなく、自分に何処かやり方にいけない所があるので、それを省みて発見しなければならないですね。こんな事は、大して問題にする事もない――つまらない様な事である様で、肝腎な事ですね。それから、愛嬌ですね。からお世辞なんか言うが、あれもいけないですね。信用に関わるんです。あいつはああ言うが、腹の中はどうだか解らない、となる。一つの臭味がつきますね。正直に言う事は、少しは先方を非難する様な事でも、良くとられるものです。私なんかも、随分ひどい事を言う事がありますよ。しかしどっちかと言うと、先方を気持ち良くさせたいと言う気持ちで言うから、滑稽に言う。それで、先方がああと言って反省する。そう言う事になると、難かしくなりますが、結局相手を気持ち良くさせると言う事が肝腎ですね。だから多勢の場合は、中には厭な事や変な事を言って一座を白けさせる人がありますが、ああ言うのは、極くいけないですね。人に快感を与える。つまり、わざとらしくない――また正直に言うと良いものなんです。こう言う話は滅多に話をしないことですからね。一つのお説教的な事ですがね。しかし、ある事によって気がついたんです。こう言う話も一ぺん話して良いと思ってお話するんです。

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