御教え*御聖誕祭/美術館 (御教え集5号  昭和26年12月23日①) 

      私の年は、丁度今日で満六十九歳です。十二月生れだから、教え年にすると七十になるんですがね。近頃は満になつたので、六十代と言う訳です。それで、健康の方は年々良くなるんですね。何う言う訳かと言うと、私は昔――若い時分から薬をうんとやつたんです。此――薬毒を知る迄は殆んど薬づけと言つた様な具合だからね。それが相当なんですからね。それで、始終自分で浄霊している為に、年々それが減つていくので、健康を増していくんですね。そんな訳で、年を取るのが楽しみな様な位なんですよ。決して負け惜しみじやないんです。大いに長生きをして、仕事を出来る丈やろうと思つてますがね。今の予想でいくと百は大丈夫ですね。それから先は養生法で長生きしようと思つてますがね。養生法と言うのは、現代医学から言えば、不養生法になりますね――うんと粗食するんですからね。長生きしたかつたら、年を取つてから菜食するに限るんですね。之は私の本に書いてありますから、良く解つているでしようけれどもね。で、又仕事の方も、年を取るに連れて段々増えて来て、大きくなるんですから、世の中の人から言うと、逆になるんです。年を取つて隠居するとか、楽をするが、私の方は年をとるに従つて段々増えていくんです。そんな様な訳で之から又、ずつと仕事も大きくなり、面白くもなると思うんです。

 最近の全国の新聞なんかで、美術館の事なんかチヨイチヨイ出ている様ですね。段々注目をされて来るだろうと思つてますけれども――私も今年は、主なる美術館を見たんですが、余りに予期に反して貧弱過ぎるんです。最近鎌倉に出来たと言うので 四、五日前に行つて見たんですが、之はお話にならないです。美術館と言う名前をつけるには惜しい位ですね。なんで、あんな馬鹿々々しい物を造つたかと思つている位で、建築の余りのお粗末と言い、中に陳列してあるものなんかは、てんで問題にならない。二品許り、絵と支那の古い――今戸焼みたいな陶器ですが、支那の黒薬りで―何とか言う陶器ですけれども、之はお話にならないですね。丁度――一部屋見るのに、一分間で沢山です。一寸、部屋の入口で、こうこう見れば、もう分る。私許りではない。誰でもそうです。美術品の内に入らない物許りです。東京の長尾美術館ですね。之は、美術館と言つた処で、個人の家の――洋間を抜いたのと、それから日本間ですね。四間許りで、持つている物を並べたんですが、之は長尾と言う――元「ワカモト」の主人がやつているんですが、之も、まあ――美術館と言う名はつけられないんで、まあ――私は少し古い物を持つてますから、お暇があつたらお出でになつて御覧下さい、と言う位の程度です。それから、東京の根津美術館と言う―之は相当有名ですけれども――陳列館が戦災で焼けて、今はバラツクみたいな処です。私は、この春と秋と、両方見たんですが――去年迄は見なかつたんですが――相当良い物がある様です。毎年違つた物を並べる様な――そう言う方針らしい。この秋なんかも行つて見ましたが、殆んど問題にならないですね。百並んでいる内に、どうやらと言う物は四つか五つ位なものです。後はてんで――それに書画なんかには、殆んど疵物が多いですね。ですから、之も問題にならないです。それから東京の大倉集古館ですね。あれも去年行つて見ましたけれども、品物を売りたいと言うので行つて見ましたが、さて買おうと言うのは幾らもないんです。あと東京の博物館ですが、博物館は私は何時も良く言わないんですが、博物館は仏教的なもので、之は大したものです。然し、それ以外の美術品は――あまり美術品としての値打は、極く乏しいと言う程度です。京都の博物館、大阪の天王寺美術館、兵庫の白鶴美術館――それらを見ましたがね。京都の博物館は、京都のお寺の良い物が相当あります。今の処仏教芸術ですね。仏教芸術は、縦ば外国人が来ても、満足出来る程度はあります。あとは、白鶴美術館の、支那の銅器と陶器ですね。之は立派な物があります。然し、日本美術―即ち、日本人が自慢で見せる様な日本美術は、寔に無いんです。

      今度箱根に出来る美術館は日本美術を主にして、兎に角、成る程日本は、昔からこう言う良い物があつたのかと言う様な物を見せたいと思つて、そうして私は昭和十九年から――熱海に来てからそう言う様な意味で、少しは買つた物もあるんです。そして又、終戦後混乱状態になつたので、相当――日本製の良い物が安く手に入つたんです。神様は旨くそうやつて呉れたものですね。そんな訳で、私の方は広範囲にやろうと思うんです。それから、色々――財閥とか――そう言う方面を調べた結果、何処に何があると言う事は、極く名器名品になると、世間に解つている。で、内々先方の意向を色々探つた結果、出品をされる方も相当ある。売買と言うと、税務署が喧ましいんで、出品なら別に差支えないんです。そう言う物も相当出る積りですからね。何しろ、日本の物でも――絵画――絵画の中でも日本独特のものとしては、琳派ですね。光琳、宗達、光悦、乾山――その四人の者ですね。あとは、浮世絵ですね。浮世絵も、版画の方は外国にも相当行つてますが、肉筆は外国にも行つてないです。今迄見る機会もなかつたから、外人も買わなかつたんですが、私は肉筆を出そうと思つてます。版画より肉筆の方がずつと良いんです。それは――版画は印刷ですらね。肉筆の方が良いに決つているんです。又日本の古書ですね。狩野派――そう言うものは、結局支那がお師匠さんになつてますから、日本独特の物とは言えないが、そう言う物も出すには出します。あとは土佐派ですね。一名大和絵と言う――之も日本独特の物です。それから蒔絵ですね。之は世界にないんですからね。日本丈の物です。次に陶器ですね。陶器も、支那とは全然違う日本の特色の物を出そうと思つてます。あとは銅器ですがね。銅器は日本ではあんまり出来ない。今、日本の特色の物も幾らかはありますが――それから、書ですけれどもね――書は、一つの美術のうちに入ると思いますね。書と云うと、日本独特の物は、歌切れ――仮名物ですね。実に良い物があるんですね。近頃、アメリカの人で、日本の仮名に趣味を持つ人が、ぼつぼつ出ている。非常に高く売れるんです。日本の貫之とか道風とか西行か、それから光悦ですね。ああ言う人の仮名書きですね。馬鹿に高く売れる。アメリカの人が買うんです。ですから、解つて来たんですね。それから、あとは坊さんの字ですね。坊さんにも上手い物がある。日本にも随分あります。然しそこにいくと支那の宋時代の古い書と絵ですね。之は日本よりは一段上です。絵なんか――宋絵と言つて、絵は悲しいかな日本の画家は敵わないですね。ですから、そう言う物も出す積りで居ます。支那の絵ですね。之は何処に何があると言う事は解つてますから、大体そう言う方面に話が出来てますから――アメリカの人なんか、宋時代の絵と言うと幾ら高くても買いたがるんです。それは又、実に上手いんですね。日本の画家は到底敵わないです。ああ云うものを、日本の画家に見せたいと思つている。日本の画家でも、それを真似して成功した人がありますがね。速水御舟と言う人ですね。あの人は宋元の、宋時代の彩色画ですね。それをお手本にしてやつたものですね。日本でも、御舟は実に高いですよ。御舟の一寸良い物になれば、五十万位しますからね。一寸傑作になれば百万位します。日本の新しい画家じや一番高いと言つても良いですね。お手本は支那の宋元にあつたんですからね。宋元の中でも、徽宗皇帝と言う天子で、天皇だけど非常な名人です。徽宗皇帝をお手本にしてます。それから大観あたりでも、宋時代の牧渓と言う人がありますね。馬遠、夏珪、梁楷――そう言う人のを、大いに見習つてます。丁度、大観、春草と言うのは、宋元と光琳ですね。あれに、現代の感覚を入れたと言う様なものでね。そんな訳で、私としては非常に多方面に、その時代の傑作ですね――そう言う物を並べる積りですから、之が世の中に知れたら、非常な評判になつて、見たがる人がうんと出るだろうと思います。又、それがやはり、宗教に対する一つの良い意味で、メシヤ教は――新しい宗教で、迷信的の踊る宗教だとか、爾光尊だとか――そんな様な迷信臭いものではない。一つの権威あるものだ。と言う様な感じを受けるだろうと思いますね。で、特に外国人ですね。外国 人は大いに認めて、本国にも紹介するし、相当のシヨツクを与えるだろうと思つてます。将来外国に宣伝する上に於ても、一つの力になると思うんです。あまり、キリストやマホメツトはやらなかったからね。

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