御教え *美による救い(御垂示録9号 昭和27年5月1日③)

《お伺い》京都は大抵御覧になられましたので、もうお楽しみは。

《御垂示》仏像は法隆寺を見ればね。

《お伺い》石山寺に弘法大師の軸が。

《御垂示》怪しいですね。ああいったもので一番集めているのは小泉三申こいずみさんしん――あの人です。あの人は玉石混淆ぎょくせきこんこうですが、中には良いものがあります。

《お伺い》金光庸夫かねみつつねおは。

《御垂示》幾らもないです。新円になる前に金光が何千万円か持っていたんです。一千万円か二千万円を現金で持っていた。それで小林一三こばやしいちぞうに、現金持っていると危ないぞと言われて、物に換えちゃえ。骨董なら俺が一寸ちょっと――目が利く方じゃないが――小林が買わしたんです。もっともその時分には、戦後間もなくで、良いものが安かった。それを買わした。それを持っているんです。

《お伺い》もし良いものがありましたら。

《御垂示》因果経があります。ところが先生、五万円が一文負かっても売らないと威張っているんです。久邇宮くにのみやさんは四万円です。まだ仁清にんせいの壺が金光にありますから、それを私は一ぺん見たいと思ってます。今そんなものですよ。あとは知れたものですね。好きで買ったのではないからね。満洲タバコで儲けたその金があったんです。東京では、何と言っても益田孝ますだたかしが一番持っていたです。まだ良いものが相当ありますよ。始終売ってます。終戦前からボツボツ売ってましたよ。あそこは良いものがありますよ。それは敬服しますね。益田孝というのはそっちの世界でも第一人者でしょうね。昭和の不昧ふまい公ですよ。東京では益田さんで、大阪では鴻池です。

《お伺い》やっぱり売っているので。

《御垂示》それは、何年も前から骨董売って食っているんです。何しろ生活費が一カ月五十万円で、それを売っていて平気なものです。まだ倉に――そうですね、五つの倉くらいあるでしょう。

《お伺い》明智光春あけちみつはるの湖水渡りをした時の茶釜があるそうです。

《御垂示》そういった名品は何でもありますよ。よくも集めたものですね。

《お伺い》趣味はないそうで、ある人に菓子入れの素晴しいのを出したので喜んでおりましたら、それは台所に置いているそうです。

《御垂示》そうですか。まあ、良いものは鴻池でしょう。あの時分に金貸しをしていたんですからね。大名に、品物を抵当にして金を貸していた。その流れですからね。住友は銅器くらいなものです。銅器は別子銅山べっしどうざんなんかやっていたから、そのゆかりで持ってます。

《お伺い》細川護立ほそかわもりたつ候は。

《御垂示》持ってます。しかし、たんとはないです。先生は目が利いてますからね。中々オーソリティです。極く良いものだけは取ってありますが、売りましたね。細川護立候のもので欲しいものが二、三あるんです。浅野候にもあります。浅野は大体宋元時代の絵ですね。他にはこれはというのはないですね。

《お伺い》護立さんが持っている。

《御垂示》しかし護立さんも、持っているのは判ってますね。たんとはないです。護立さんのでこれはというのは五、六点でしょう。浅野さんには支那のが二、三十点でしょう。そんなものでしょう。ところが益田さんや鴻池さんというのはあらゆる方面にわたっている。だから道具屋仲間で、出るというと、今度は何が出るか見当がつかない。

《お伺い》一時危篤で。

《御垂示》骨董屋が益田さんに何人も入ってますからね。それで上中下と別けて、上のものを売る時は一流の道具屋で、中は中くらい、下は下くらいと、それが何軒も入ってますからね。それで、一番値が良く張って、間違ないのが、ずっと続いているんです。やり方が非常に堅いです。

 美術品を集めるというのは中々大変なものですよ。道具屋というのは中々ずるいです。君達は詐欺だと私はいうんです。旨く法律の網にひっかからないだけのものだと。実に、うっかりするとめよう嵌めようとする。そうして目を光らせている。それで相場が中々難しい。又品物も随分良く出来ているものがありますよ。どうしても本物としか分からない。私でも一見分からないんです。それで二、三日貸せといって、掛けておくんです。すると段々いやになって来る。何んだか厭になって来る。これはいけないですね。本当のものは、段々良くなって来る。これが本当です。

《お伺い》東京の方では、掴まされたと言っております。

《御垂示》それはそう思ってます。昔からの有名なものではないですから、突如として出来た宗教家なんて、どうせ本当のものは判りっこないんだから、ああ贋物を掴まされてと思っているんです。それで興味があるんです。しかし一度見た人は驚きますよ。

《お伺い》白鶴には一寸負けるという事でございますが。

《御垂示》白鶴は陶器と銅器ですね。しかし日本のものはないんですからね。絵はないんですからね。私の方は、絵は支那のもあるし日本のもあるしね。

《お伺い》白鶴は六十年くらいかかったそうで。

《御垂示》その当時月謝を一千万円払っていたそうです。それだけに白鶴は良いものがあります。世界的のものが随分あります。しかし支那ですからね。私の方は、日本の絵が沢山ある。絵といっても、光琳こうりんもあるし東山水墨もあるし浮世絵があるし、光琳でも――光琳、宗達そうたつ乾山けんざん抱一ホウイツ――その人の有名なものばかりある。だから九月十月は琳派展覧会をやろうと思う。去年博物館でやりましたがそれよりかもっと上をやろうと思う。それよりか良いですよ。博物館なんかてんで問題にならないくらいのものです。だから最初から日本一は勿論ですが、或いは世界一とも言えるでしょう。外人が見ても吃驚びっくりします。この間東京で一流の道具屋に巻物を五、六点見せたんです。二人に見せたんですが、一人はその晩寝れなかったそうです。頭が変になってね。その五、六点のが、私のところにはその五倍くらいありますよ。ですから他のものを全部見せたら気絶しちゃうかもしれない。今仁清の陶器なんかは贋物がうんとあるんです。この間、京都に仁和寺にんなじというのがあったでしょう。塀の長いね。その附近は仁和寺村というんです。今から三百年くらい前ですね。仁和寺前に野々村清兵衛清右衛門という陶器の名人であれは日本一です。支那陶器に負けないのは仁清だけですね。仁清と乾山だけは支那陶器に匹敵して遜色ないです。仁和寺の仁と、清兵衛の清で、俗に仁清と言っているんです。あれは大変な名人ですね。だから仁清のものは一品だって、出れば大変なものです。この頃は出ないですね。けれども私の所なんか二十位あります。

《お伺い》説明書をつけて頂きませんと。

《御垂示》つけるのは――ものによってはつけるがね。

《お伺い》説明が出来ないと思われますので。

《御垂示》そういうものは説明書をつけます。それから、私の所には墨蹟――書ですね。それから歌ですね。西行さいぎょうとか貫之つらゆき道風みちかぜ。墨蹟の中で面白いのがあるんです。支那の無準ぶじゅんという人の書いた、これは有名な掛物ですが、それを、茶会があって、大名は何とか言ったがね。古田織部ふるたおりべという、織部焼の元祖ですが、これは中々有名なものですが、そこで茶会をやった時に、細川が来て是非欲しいというので、売れと言うが、売る訳にいかない。二字です。「帰雲」と書いてあるんですが、一字千金というから、二字で二千両で売ってくれと言う。それでも嫌だと言ったが、昔の大名は気に入ると持って行っちゃうんです。仕方がないそうです。実に封建的ですね。あとで、二字で三千両やろうと届けた。その位細川さんが気に入ったんですね。そういったいわれを書いたのがありますから、それも出します。墨蹟というものをとても好きな人は――私も好きですが、とても憧れるんです。何を犠牲にしても欲しいと思ったら得ようとする。

《お伺い》明主様の所に、そういう好きな人が来て、そういう話ばかりされては、教修の方が。

《御垂示》そのくらいになれば結構です。だからメシヤ教は芸術宗教というんです。地上天国を造るんですからね。天国は芸術の世界です。

《お伺い》美術館をお造りになられます事は、道楽の様に誤解しておりますが、美術の感に打たれて宗教的に徹底するという事になりますので。

《御垂示》結局に於て宗教というのは、その人の魂を向上させれば良いんですからね。昔は難行苦行して山に入ったりして苦しんで魂を磨いたんです。それからお釈迦さんは経文を唱える事によって導いたんです。私は美によってやるんです。

《お伺い》説教だけでは、釈迦もキリストもやっており、やっぱり楽しみながら。

《御垂示》何しろ今迄の頭じや一寸最初は解らないでしょうね。ところがこういう宗教はなかったですからね。そこで私は今迄のは地獄的宗教だ。メシヤ教は天国的宗教だという事を先に書いたんです。

《お伺い》夢を見ながら死んでいくというのが一番幸福だと思います。

《御垂示》それじや麻薬でも飲んだら良い。それでは霊界に行って迷っちゃう。両方ですよ。やっぱりメシヤ教だって、美だけじゃない。やはり教えもあるし、理屈もあるし、それによって魂を救い、要するに目から魂を向上させるのが美ですからね。だから色んな話を聞いたりは耳からする。又真理を知るのは頭でね。

《お伺い》理論丈聞くと哲学的になるので。

《御垂示》そうですよ。それから人によって色々ありますからね。だからメシヤ教は千手観音式で、あらゆる方面からね。

《お伺い》今日集っている資格者の方も、美を愛する事から宗教情操を高めるという事で。

《御垂示》そうです。今私が話した様に説明すれば解りますからね。

 やはり結局人間は希望の多い程良いですからね。だから夢殿は良いですね。聖徳太子は千二百年夢殿に居た。ただ、聖徳太子は芸術を非常に好きであり、力を入れていたというのは異色ですよ。

《お伺い》明主様と。

《御垂示》良く似てますよ。普通の宗教家と違うところです。一番頭が良かったですね。話ばかりになったが、質問は何か。

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