御論文

栄光

神を見せる宗教(栄光138号 昭和27年1月9日)

それに就て私がいつも言う如く、本教は宗教ではない、超宗教であり、大いなる救いの業である。
地上天国

正直者が馬鹿をみるとは嘘だ (地上天国3号 昭和24年4月20日)

最初に述べた一時的と永遠的との物の観方について注意を促したのである
地上天国

観音信仰(地上天国3号 昭和24年4月20日)

小乗信仰の人は表面が善で、内面は悪になるのである。それに引換へ大乗信仰は人間の自由を尊重するからいつも気持が楽で、明朗で裏表などの必要がない。したがって、虚偽も生れないという訳で、これが本当の観音信仰であり、有難い処である。
地上天国

理論宗教と行動宗教(地上天国3号昭和24年4月20日)

本当に社会同胞を救おうとするには、理論だけでは間に合わない、どうしても直接民衆生活に突入し、信仰即生活というまでに溶け込まなければ駄目である。私はこれを称して行動宗教というのである

本教団の事業(光5号 昭和24年4月18日)

本教団は今三つの事業を企画し、その中二つはすでに着手しており、一つは計画を進めている、それについて解説してみよう。

唯物主義と唯心主義(光4号 昭和24年4月8日)

このような不徳漢の絶えない原因は何処にあるかを大いに検討してみると、この最大原因としては何よりも教育に重大欠陥がある事である。何となれば投書家には青年が頗る多いというにあるからで、それは全く唯物主義一点張りの思想を注入される為である。

 【農業の大革命】 清潔で心から楽しめる  家庭菜園の無肥料栽培(光3号 昭和24年3月30日)

、肥料を用いる結果として土壌本来の生育力は失われ土は死ぬのである、そこで肥料によってそれを補おうとし矢鱈に肥料を施す結果、植物は肥料中毒となる、日本の土は痩土化したといわれるが、勿論肥料の為で、特に近来化学肥料を用いる結果、痩土化に拍車をかけたのである

 宗教の新店と老舗(光3号 昭和24年3月30日)

御承知の如く宗教の新店と来ては小売商人処ではない、頭から迷信邪教、インチキ宗教というように決められてしまうので実に噫無情ああむじょうという外はない、成程おっしゃる通りの新宗教も沢山あろうが偶たまには真物ほんもののある事も知って貰いたい、

  治るんだ(光3号 昭和24年3月30日)

本教に打撃を与えんとする輩は、釈迦に対する提婆とみるの外はなく、昨今彼等が最後の奥の手として用いつつある方法は医師法違反又は医療妨害に引っかけようとして種々の画策を講じている事は明かである

再び、発刊について  (光2号 昭和24年3月20日)

地球上に存する限りの宗教も思想も主義も決して排撃も異端視する事もない、何宗教でも構はないからドシドシ投書なり原稿なりを送って大いに利用してもらいたい。本教を攻撃する記事であっても反対の説でも差支えない。紙面の許す限り出来るだけ満足を与えたいと思うのである

 無信仰と有信仰(光2号 昭和24年3月20日)

無信仰と有信仰というこの有信仰とは無論本教を指すのであって、他の宗教や既成宗教をいうのではない、そうして昔の事はイザ知らず、現在のこの娑婆世界にあって生活している人間を熟々客観してみるに、キリストの曰った「哀れなる仔羊」という言葉がよく当嵌っていると思う。
栄光

地上天国に就て(栄光137号昭和27年1月1日)

一言にしていえば道義の頽廃たいはいであり人間のレベルの如何にも低下している事である。そこで近来識者も、教育家も、其点に関心を持ち始めた。尤も戦後自由思想の行過ぎなどの原因もあるが、差当り教育、道徳、修身等を復活興隆させるより外ないとして、寄々協議中との事だが、此様な場合日本は決して宗教に求めようとしないのは、不思議とさえ思えるのである。
栄光

医学が悲劇を作る(栄光140号昭和27年1月23日)

医療被害者が到る処に満ちており、全国では何万何十万に上るか分からない程であろう。としたら何と悲惨な世の中ではあるまいか、忌憚なく言えば、戦争よりも寧ろ恐ろしい位である。成程戦争の恐るべきは誰も知っているから、世界を挙げて其防止に努力するが、此方は反対に可と信じ切っているのであるから、問題は容易ならぬものがある。
革命的増産の自然農法解説書

自然栽培について(革命的増産の自然農法解説書 昭和28年5月5日) 

自然栽培と信仰とは別物にする事である。というのは信者にならなくとも予期通り増産されるからである。それが信者でなくてはよく出来ないと誤られると、折角の本農法普及に支障を及ぼすからである
革命的増産の自然農法解説書

農業の大革命  五ヶ年にして米の五割増産は確実(二)(革命的増産の自然農法解説書 昭和28年5月5日)*『栄光』141号

この理を知らない科学は、半面である体だけを対象とする、つまり跛行的学問である。この様な不完全な科学と伝統的考え方の為、肥料によって土を弱らして来たのである。この原理を私は発見し、ここに自然栽培法が生まれたのであるから、これこそ真の科学であり、世界的大発見であろう。
革命的増産の自然農法解説書

農業の大革命  五カ年にして米の五割増産は確実(一)(革命的増産の自然農法解説書 昭和28年5月5日) 

今一つ重要なる一事がある。それは硫安の如き化学肥料は、稲が吸収する以上、その劇毒が仮令微量であっても、人間は一日三度宛腹の中へ入れるのだから、不知不識の内に人体に害を及ぼすのは当然である。近代人の罹病率が多くなったのも、そうした原因もないとは言えないであろう。
革命的増産の自然農法解説書

自然農法解説 “自然栽培の勝利  土の偉力”(革命的増産の自然農法解説書 昭和28年5月5日)

自然農法の原理とは、土の偉力を発揮させる事である。それは今日迄の人間は、土の本質を知らなかった。否知らせられなかったのである。その観念が肥料を使用する事となり、何時しか肥料に頼らなければならない様になってしまった
革命的増産の自然農法解説書

序文 『革命的増産の自然農法解説書』 昭和28年5月5日

本農法は一銭の肥料代も要らないと共に、労力も省け、風水害の被害も軽少で済み、虫害は何分の一に激減する等、一石数鳥の効果があるから、この実行によって農民の経済問題は一掃されると共に、国全体としての利益は、一ヵ年何千億に上るか計り知れないのである
救世

悪人と善人(救世60号昭和25年4月29日)

負惜しみではないが、我々を悪口非難する者もあるが、その度毎に我々は少しも怒る気はしない、むしろいかに自分は悪人の邪魔をしているかという誇りをさえ感ずるからである
救世

痔について(救世60号昭和25年4月29日)

今一つは出血である、これは上半身即ち頭脳、肩等に鬱血うっけつがある場合浄化によって毒血が下降し、肛門から排泄するのであるから、これはある程度排血すればピタリと止まり、その結果頭脳の苦痛は軽快となり、肩の凝りも楽になるのである、痔出血は大抵一、二週間とみればいいので、いささかも心配の必要はないのである。
救世

宗教の観方 (救世60号 昭和25年4月29日)

全人類は一部の例外を除き、何を望んでいるであろうかを検討してみる時、言うまでもなく幸福そのものである、科学の進歩発達も、人類の幸福を目的としたものに外ならないが、悲しい哉、事実はその逆でさえある、とすればその根本を探究する事こそ今日の急務であらねばならないのである
栄光

地上天国を造る  (栄光108号  昭和26年6月13日)*日比谷公会堂講演会原稿

私の喋舌る内容は殆んど今迄の教や説とは変っている。少しばかりの変り方ではない。大いに変っているのであります。処が実をいうと、些かも変っていない、当り前の事なのであります。
第五篇『自観随談』

大本信者時代の私(自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日) 

教祖出口直子刀自は、経たての教えで小乗的であるに反し、出口王仁三郎師は大乗的緯よこの教えであったからである。
第五篇『自観随談』

狂信(自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日)

お筆先の一字一句も見逃さないで、それを直訳的に実行した連中があったから堪らない。
第五篇『自観随談』

日本美術とその将来  五、書について(自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日) 

絵画や美術工芸なども、古人の方が優れている事は定説となっているが、書に至っても同様で、私は古筆などを観る毎に感歎するのである。
第五篇『自観随談』

日本美術とその将来  四、陶器 (自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日)

元来陶器も絵画と同様支那から、学んだものであるから最初の日本陶器は殆んど支那の模倣であった。
第五篇『自観随談』

日本美術とその将来  三、蒔絵(自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日)

次に、美術工芸に就てかいてみるが、之も絵画と同様古人の優秀さは驚くべきものがある。先ず外国にない日本独特の工芸美術としては蒔絵である。因ってそれから書いてみよう。蒔絵は余程古くから発達したもので、天平時代既に立派な作品が出来ている。勿論その...
第五篇『自観随談』

日本美術とその将来  二、彫刻 (自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日) 

昔の運慶や左甚五郎等はあまりにも有名であるが、彫刻は絵画と違い、昔から名手は非常に少かった。
第五篇『自観随談』

日本美術とその将来  一、絵画 (自観叢書第五篇 『自観随談』昭和24年8月30日) 

日本画の現在は危機に臨んでいると言ってもよかろう。事実容易ならぬ事態に直面している事は、斯道に関心を持つものの一致した見解であら
第五篇『自観随談』

馬鹿肥りは病的だ (自観叢書第五篇 『自観随談』 昭和24年8月30日)

尿意を催した時、我慢する事を止めるべきで、尿意を我慢するなどという些細の原因から生命を失う結果となる事を考えたら、実に恐ろしい話で大いに注意すべきである。
栄光

この事実を見よ /お陰話「長い苦しみから救われた数々」(栄光107号昭和26年6月6日) 

折角入信しても、一度信仰を離れるや、神様の御守護がなくなり、災い交々来るという実にいい実例である。又現代医学が如何に無効果である処か、反って悪化させるという事実である。之なども世の中の人は、全然気が付かないのである
栄光

毒結五十年  (栄光107号昭和26年6月6日)

下痢の原因の個所は私が常にいう如く、殆んど頭と背中である、それで其部の毒結が溶けて、一旦腹に集まり下痢する場合と、飲食物の中毒による場合と両方がある、特に頭の浄化による場合は血液が多く出る、其際肛門から出るのを痔出血と言い、それが腹の方へ一旦滞溜してから出るのが赤痢である
栄光

奇蹟の解剖  (栄光107号昭和26年6月6日)

人間には本、正、副の三つの守護神がある、この関係は以前かいた事があるから略すが、右の中の正守護神とは、祖霊の中から選ばれた霊で、危急の場合助けたり、重要な事は夢で知らせたり、又特殊の使命を有つ者は神様(大抵は産土神)がお助けになる事もある
栄光

芸術宗教 (栄光107号昭和26年6月6日)

本教位芸術を重視している宗教は外にはあるまい。否昔からも見なかった、というのは、本教の最後の目的である処の地上天国は、芸術の世界であるからである。勿論地上天国とは病貧争絶無の世界であり、真善美完き世界である
第五篇『自観随談』

湯西川温泉 (自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日) 

無医薬と菜食が如何に健康に好いかという事実で、全く私の説を裏書してをり非常に面白いと思った。
第五篇『自観随談』

奥日光から塩原へ(自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日) 

私は四十才頃から山が好きになり、機会ある毎に各所の山に登ったのである。尤も其頃から健康恢復の為もあった。関東附近の主なる山は大抵登った
第五篇『自観随談』

アルプス紀行(自観叢書第五篇 自観随談 昭和24年8月30日) 

上高地は千古斧鉞ふえつを入れざる大森林で、山気身に迫り、みた事もない木や草が繁っている状は全く人間界を遠く放れた別世界で、今にも白髪の仙人が忽然と現はれて来そうな気がする。
栄光

狐霊でさえ薬毒の害を知ってる(栄光136号昭和26年12月26) 

狐霊が人間の生命を奪とろうとする目的で憑依する場合、無暗矢鱈に薬を服ませたがるものである。故に斯うみてくると、現代科学者よりも、狐霊の認識の方が正確であるという事になる
栄光

悪は何故暴露するか (栄光136号昭和26年12月26) 

悪は人には知れなく共、自分だけは知っているのだから、この点が問題である。何故かというとどんな事でも、人間の肚にあるものは何でも彼んでも、手に取るように分る或恐ろしい処がある。其恐ろしい処とは一体何処どこかというと、之が霊界にあって現界でいえば検察庁のような処で、所謂閻魔いわゆるえんまの庁である
栄光

算盤と能率(栄光136号昭和26年12月26日)

明主様は特別な御方だから、到底真似は出来ないと弱音を吐くが、この考え方が大いに間違っている。勿論私のようにはゆかない迄も、其人の心掛次第では、案外成績を挙げる事が出来るもので、断じて行えば鬼神も避けるという意気込を以て、ウンと行やるべきである。