御論文

社会悪は環境か否か(光10号 昭和24年5月25日) 

社会革命の理念とする他動的罪悪感は社会組織を破壊せんが為の目的から罪を自己に帰せずして社会組織に振向けるという理論によって民衆を踊らせるのであるから、人間はこの意味をよく認識し、従来の過誤を清算し新たなる出発をなすべきである。

宗教事業と社会事業(光10号 昭和24年5月25日) 

本教としては、社会事業のごとき消極的救済は他の機関に委せて積極的独自の救済をもって社会改善に役立つべき覚悟である、これを称して宗教事業というのである

社会悪の根源(光9号昭和24年5月14日) 

社会悪絶滅の方法は別に困難ではない、ただ唯物主義思想を打破する事――それだけである、しからばその方法は何か、言うまでもなく唯心主義教育である、即ち神を認める事である、霊を、霊界の存在を信ずる事である、それが宗教本来の貴重なる使命であ

所謂、迷信の解剖  信仰は飽く迄冷静に(光9号昭和24年5月14日) 

本教を解剖してみる時、本教が行っている救の業は、言う処と行う結果とにいささかの矛盾がないばかりか、むしろ言う以上の良果を挙げている以上、迷信の言葉は当らない

現当利益(光9号昭和24年5月14日)

考えてもみるがいい、そもそも宗教の使命は何であるか、言う迄もなく天下万民の苦悩を救い、この土をして安養楽土たらしむるという――それ以外に何があるであらうか。

花による天国化運動(光8号昭和24年5月8日)

人間の居る処必ず花ありというような社会になれば現在の地獄的様相を相当緩和する力となろう。

宗教からみた産制問題(光7号昭和24年4月30日) 

は出産力のない者に妊娠させるというような不手際ふてぎわに人間を造ったはずはない、造物主は人間の考えるような浅薄鈍知ではない事を信ずべきである。

愚かなる者よ!汝の名は悪人なり  (光7号昭和24年4月30日)

信仰上から考えても打算的からいっても割に合はないばかりか、罪悪が暴露するまでの期間常に戦々兢々として枕を高くして寝る事は出来ないのであるから悪事不正をやる人間位愚かな者はない訳である

宗教と医学 (光6号昭和24年4月25日)

吾々の方で奇蹟的に如何に病気が治っても理屈に合わないからいけないというが、それは理屈の方が間違っているからで、実際に治る理屈の方が本当の理屈である。
結核信仰療法

結論(結核信仰療法 昭和27年12月1日)

この様な夢にも等しい世界が如実に生れる其方法こそ、本著の理論を信じ、実行する事であって、私は神の代行者として、この真理を普く人類に伝えんとするのである。
結核信仰療法

医療誤点の種々相(結核信仰療法 昭和27年12月1日)

吾々の方では、凡ゆる病原は一つなりとしている。この証左として本教の療法を見れば分るが、如何なる種類の病気でも、浄霊一本で治して了うのである。処が医学で唱える病理というのは、実は機械的測定の結果を基準とした推理臆測でしかないので、何よりも根本原理が分っているとすれば、其原理通りに治療を行えばそれで治る筈で、敢て動物実験などの必要はない筈である。従ってこの事だけでも私は全世界の医学者に分らせたなら、現代医学は科学的ではなく、推理、機械、実験の三者による苦痛解消手段でしかない
結核信仰療法

事実は雄弁なり (結核信仰療法 昭和27年12月1日) 

若もし真に良心があり医学の真目的を認識しているとすれば進んで研究の態度に出なければならない筈だが、今日迄そういう医師は一人もなかった。という不思議な事実である。之を考えてみると、全く科学的でないからという理由だけであろうが、そうとすれば結果の善悪はどうでもいい、只科学的でありさえすれば、絶対に信ずるというのであるから、恐るべき科学迷信に陥っている
結核信仰療法

栄養 (結核信仰療法 昭和27年12月1日)

 そうして人間を養う為の必要な食物は、地球上至る処に生産されている。穀類、野菜、魚鳥、獣肉等等、地域的、気候的、民族的に、夫々適切な食物を神は配分されているので、それで充分栄養は摂れ、健康は保たれるように出来ているのである
結核信仰療法

結核付随病(結核信仰療法 昭和27年12月1日)

結核に付物とされている症状等についても一々解説してみるが、大体として  ㈠不眠、㈡肥らない 、㈢微熱、㈣食欲不振、  ㈤便秘、㈥下痢、㈦血沈、㈧ 胸痛、㈨息切れ、(十)新薬等で之だけ知ればまずいいであろう
結核信仰療法

肺炎と肋膜炎 (結核信仰療法 昭和27年12月1日)

この様に猛烈な浄化に対し、強烈な薬剤を用いるので、激しい摩擦が起り、非常な苦しみと共に、高熱、咳嗽、食欲不振等が執拗に続くので、愈々衰弱が加わり生命に迄及ぶのである。又この病気が青壮年に多いのも、浄化力が強いと共に、年齢の関係上薬毒も相当多量に入っているからである。そして全快後も再発し易いとして、医師は大いに注意を与えるが、之なども浄化停止の為古い毒と新しい薬毒とを残すからである。そこで患者は再発を恐れて、出来るだけ大事にするから、再発はしない迄も、緩慢な浄化が常に起っているので、医診を受けると結核初期の疑いを受け
栄光

年頭の辞 (栄光137号 昭和27年1月1日)

経の中心は日本であり、緯の中心はアメリカであって、何れは経と緯が結ばり、それから真の文明が生れるという其説と一致しているではないか、とすればそろそろ米国の有識階級にも、そういう考え方が兆きざして来た事が窺われるのである。この様な訳で段々私の予言している事が、全世界の動きにも現われ、誰が眼にも映る事となるであろう
結核信仰療法

天然痘(結核信仰療法 昭和27年12月1日)

実をいうと種痘によって、天然痘毒素は消滅したのではなく、毒素の浄化力を弱めた迄で、然毒は依然として其儘体内に残存する。之は医学でもいう如く、種痘の効果は或期間だけとしているのは其為である。併しそれだけならいいが、この残存毒素が凡ゆる病原となり、特に感冒の原因ともなるので、間接的には結核の原因とも言えるのである
結核信仰療法

毒素の解剖(結核信仰療法 昭和27年12月1日)   

この世界なるものは、霊界と物質界との構成であるから、人間も同様霊と体とで成立っており、両者密接不離の関係にあって、霊体一致が原則である。という訳で霊の曇りが体に映れば濁血となり、濁血が霊に映れば曇りとなる。之が最も重点である
結核信仰療法

黴菌の発生(結核信仰療法 昭和27年12月1日)再掲

結核菌は、自然発生であるとしたら、では何処どこから如何いかなる過程を経て発生したかを、何人にも理解し易いよう理論物理学的に、理論心理学的にかいてみるが、何しろ見えざる霊を対象とするのであるから容易でない事は、今日迄何人と雖も試みた者のないにみても明らかである
結核信仰療法

結核は感染しない (結核信仰療法 昭和27年12月1日)

結核が医療によって作られる経緯は、前項迄に詳しく記いたが、其原因は結核菌感染によるとは医学の定説となっているが、私の見解によればこの説こそ大変な誤りである。それは彼のパスツールの伝染説を医学は採用したからであろうが、私は其反対に自然発生である事を断言するのである。
結核信仰療法

医学が結核を作る (結核信仰療法 昭和27年12月1日)

感冒とは全く体内にあってはならない汚物の排除作用である。その結果濁血は浄血となり、健康は増すのであるから、感冒とは実に貴重な生理作用であって、神が人間の健康保持の為、与えられた一大恩恵である事は余りにも明かである。
栄光

ビルマ米について(栄光141号昭和27年1月30日)

何故なればビルマ地方は無肥料であるから、多収穫であるのが、日本では人為肥料を多量に施す以上、駄目に決っている。其理由で前記の如く本教農民であるから、無肥料の為多収穫となったのである。
地上天国

時局雑感(地上天国32号昭和27年1月25日)

今後如何なる事態となっても、吾々は些かの心配も要らないのである。而も其結果吾々の理想とする地上天国、ミロク世界の出現が促進されるとしたら、信ずる者は幸いなりのキリストの聖言も、この事でなくて何であろう。
栄光

速度の芸術とピカソについて(栄光140昭27年1月23日)

絵画とは眼から摂取する人間の精神的食物であってみれば、不味まずい物よりも、美味おいしい物を食わすべきで、それが画家としての良心である
栄光

暴力は野蛮時代の遺物なり (栄光139昭27年1月16日)

我浄霊療法は、何等物質を用いず、患部に全然触れる事なくして、完全に病気が治癒されるのであって、苦痛もなく不具者にもならず、元通りの健康体になり、再発の憂いもないとしたら、之程素晴しい理想的療法はあるまい。之こそ全く文化的医学と言わずして何ぞやと言いたいのである。従って何れは世界の医学はこの療法一つになる
栄光

絶対力(栄光139号 昭和27年1月16日)

抑々そもそも宇宙に於ける森羅万象の活動の源泉は、言う迄もなく神の力である。一切の生成流転も力の現われであり、万有を動かすのも、静止させるのも勿論力である。人間始め凡ゆる動物から、黴菌に至る迄力によって生れ、力によって死滅する。要するに力こそ無限絶対なる支配者である
結核信仰療法

序文『結核信仰療法 』現代医学の根本的誤謬を正す(昭和27年12月1日)

本著は結核医学に対する原子爆弾であり、医学の革命書であり、天国の福音でもある。何となれば現在迄に於ける医学的結核療法は根本的に誤っているからである。というと何人も驚くであろうが、之が現実である以上そう言わざるを得ないのである。そうして本当の事を言えば、医学が結核を作り、結核患者を増加しているという信じられない程の事実である
栄光

神を見せる宗教(栄光138号 昭和27年1月9日)

それに就て私がいつも言う如く、本教は宗教ではない、超宗教であり、大いなる救いの業である。
地上天国

正直者が馬鹿をみるとは嘘だ (地上天国3号 昭和24年4月20日)

最初に述べた一時的と永遠的との物の観方について注意を促したのである
地上天国

観音信仰(地上天国3号 昭和24年4月20日)

小乗信仰の人は表面が善で、内面は悪になるのである。それに引換へ大乗信仰は人間の自由を尊重するからいつも気持が楽で、明朗で裏表などの必要がない。したがって、虚偽も生れないという訳で、これが本当の観音信仰であり、有難い処である。
地上天国

理論宗教と行動宗教(地上天国3号昭和24年4月20日)

本当に社会同胞を救おうとするには、理論だけでは間に合わない、どうしても直接民衆生活に突入し、信仰即生活というまでに溶け込まなければ駄目である。私はこれを称して行動宗教というのである

本教団の事業(光5号 昭和24年4月18日)

本教団は今三つの事業を企画し、その中二つはすでに着手しており、一つは計画を進めている、それについて解説してみよう。

唯物主義と唯心主義(光4号 昭和24年4月8日)

このような不徳漢の絶えない原因は何処にあるかを大いに検討してみると、この最大原因としては何よりも教育に重大欠陥がある事である。何となれば投書家には青年が頗る多いというにあるからで、それは全く唯物主義一点張りの思想を注入される為である。

 【農業の大革命】 清潔で心から楽しめる  家庭菜園の無肥料栽培(光3号 昭和24年3月30日)

、肥料を用いる結果として土壌本来の生育力は失われ土は死ぬのである、そこで肥料によってそれを補おうとし矢鱈に肥料を施す結果、植物は肥料中毒となる、日本の土は痩土化したといわれるが、勿論肥料の為で、特に近来化学肥料を用いる結果、痩土化に拍車をかけたのである

 宗教の新店と老舗(光3号 昭和24年3月30日)

御承知の如く宗教の新店と来ては小売商人処ではない、頭から迷信邪教、インチキ宗教というように決められてしまうので実に噫無情ああむじょうという外はない、成程おっしゃる通りの新宗教も沢山あろうが偶たまには真物ほんもののある事も知って貰いたい、

  治るんだ(光3号 昭和24年3月30日)

本教に打撃を与えんとする輩は、釈迦に対する提婆とみるの外はなく、昨今彼等が最後の奥の手として用いつつある方法は医師法違反又は医療妨害に引っかけようとして種々の画策を講じている事は明かである

再び、発刊について  (光2号 昭和24年3月20日)

地球上に存する限りの宗教も思想も主義も決して排撃も異端視する事もない、何宗教でも構はないからドシドシ投書なり原稿なりを送って大いに利用してもらいたい。本教を攻撃する記事であっても反対の説でも差支えない。紙面の許す限り出来るだけ満足を与えたいと思うのである

 無信仰と有信仰(光2号 昭和24年3月20日)

無信仰と有信仰というこの有信仰とは無論本教を指すのであって、他の宗教や既成宗教をいうのではない、そうして昔の事はイザ知らず、現在のこの娑婆世界にあって生活している人間を熟々客観してみるに、キリストの曰った「哀れなる仔羊」という言葉がよく当嵌っていると思う。
栄光

地上天国に就て(栄光137号昭和27年1月1日)

一言にしていえば道義の頽廃たいはいであり人間のレベルの如何にも低下している事である。そこで近来識者も、教育家も、其点に関心を持ち始めた。尤も戦後自由思想の行過ぎなどの原因もあるが、差当り教育、道徳、修身等を復活興隆させるより外ないとして、寄々協議中との事だが、此様な場合日本は決して宗教に求めようとしないのは、不思議とさえ思えるのである。
栄光

医学が悲劇を作る(栄光140号昭和27年1月23日)

医療被害者が到る処に満ちており、全国では何万何十万に上るか分からない程であろう。としたら何と悲惨な世の中ではあるまいか、忌憚なく言えば、戦争よりも寧ろ恐ろしい位である。成程戦争の恐るべきは誰も知っているから、世界を挙げて其防止に努力するが、此方は反対に可と信じ切っているのであるから、問題は容易ならぬものがある。