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私と映画(未発表『私物語』昭和27年執筆)

私の映画の好きな事は、信者はよく知っているが、何しろ今でも隔日には必ず観る事にしている。そこで私が映画に親しむようになった最初からの経路をかいてみる
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無信仰時代Ⅱ(未発表『私物語』昭和27年執筆)

以上の事を今日考えてみると、神は私の使命に対し、そういう事業に手を出してはいけないとして、止められた事はよく分るのである。
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無信仰時代Ⅰ(未発表『私物語』昭和27年執筆)

 この時の私も全然無信仰で、唯物主義のカンカンでありながら、丸で信仰者のような考え方なんだから、表面は無信仰でも、肚の底はすでに信仰者になっていた訳である。
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私は神か人か(未発表『私物語』昭和27年執筆)

何しろ驚くべき奇蹟が次から次へと出て来るので、ここに心機一転百八十度の転換となったのは勿論、日の経つに従い益々奇蹟続出、ついには私の過去、現在、未来にわたる運命についての霊的啓示をも受けると共に、自分は超人的力を与えられ、人類救済の大使命を荷になう事が判然としたのである。そうしてその頃洵まことに不思議な現象と思ったのは、偉大なる何者かが私を自由自在に操あやつり、一歩一歩神の世界の実在を、奇蹟をもって会得えとくさせた事で、その際込上げて来る歓喜をどうする事も出来なかった程である。この気持たるや幽幻至妙言葉では現わせない心境であった。しかも相変らず奇蹟続出で、興味津々しんしんたるものがあった。一日の内に何度心が躍おどったかは分らない。その中での最も大きな奇蹟は、大正天皇崩御ほうぎょの年、すなわち大正十五年十二月の事であった
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私の神秘(未発表『私物語』昭和27年執筆)

私はいつも思っている事は、私程不思議な人間は世界肇はじまって以来一人もない事を信じている。実に何から何まで不思議だ。自分でさえそう思っているのだから、他の人としたら私という者の実体を想像してみても、結局群盲的であろう。というのは神秘性が余りに多いからである。ところが面白い事には人間の意欲の中で、最も興味を惹ひくものとしては、何といっても神秘性であろう
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『私物語』序文 (未発表 昭和27年執筆)

私というものの一切を、縦横無尽に晒さらけ出し、思いのまますべてを記かいてみたいからである。そうして文中不可解な点もあるだろうし、虚々実々、大小、明暗、有限無限等々で、興味津々しんしんたるものがあるであろうから、味わいつつ人生を覚り得ると共に、揺がさる魂の持主となるのは断じて間違いないと思うのである。
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御講話(未発表)昭和26年9月21日 速記録〔再掲〕

これでまだいろいろおもしろいことがあるが、ちょっと書けないことがそうとうあるのですから、そういうのは話をするかしようと思っている
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恐怖時代 (未発表、昭和23(1948)年4月28日)

世界が夜から昼に転換する結果として、人類に対しいかなる変化が起こるかという事である。それは現界の昼夜と等しく「暗黒は全く消滅し、明々白々たる世界となるのである」――という事は、霊界における火素の大増量である
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邪神というもの (昭和26年10月1日 未発表)

世の中の一般の人は神といえばただ有難いもの、人間以上の尊いものと思い込んで一途(いちず)に礼拝し崇めているが、こういう人達に知らせたい事は、単に神といっても彼の本居宣長のいわれた通り狐、狸、天狗、龍神等もあり、むしろ邪神の方が多いくらいであり、その証拠には世の中には善人よりも悪人の方がずっと多いのが何よりの証拠であり、つまり神界と人間界と並行しているのが世の中の実相である