光新聞

信仰は信用なり(光13号 昭和24年6月18日)

今一歩進んで神様に信用されるという事、之が最も尊いのである、神様から信用されれば何事もうまくゆき歓喜に浸る生活となり得るからである。

悲劇を滅する (光12号 昭和24年6月11日)

この世の中に於て人間が最も厭いとうのは悲劇であらろう、悲劇を全然無くする事は不可能であるが、或程度軽減する事は敢て難事ではない、それについては先ず悲劇なるものの正体を検討してみよう。

宗教は奇蹟なり(光12号 昭和24年6月11日)

蹟とは勿論人間業では不可能とされたものが可能となり理論では絶対解釈が出来得ない事実を眼の前で見せられるとすれば如何なる疑惑も一遍に煙散夢消するのは当然である。

産制問題の別の観方(光12号 昭和24年6月11日)

それにはまず日本人が平和愛好の民族である事を心の底から安心出来得るようにさせる以外に方法のない事は勿論で、断然この政策を実行すべきであろう

日本人の泣寝入癖(光11号 昭和24年5月31日) 

故に日本が民主的明朗なる社会を造らんとすれば正義の蹂躪じゅうりんに対し断乎として屈せざる事で、即ち善が悪に勝たなければならない事である、この風潮が社会に瀰漫びまんするに於て始めて民主日本となるのである。

瑞泉郷の梗概 (光11号 昭和24年5月31日)

熱海の西南、梅園の奥数町の地点に約四万坪の土地を選び、地上天国の模型を造りつつあることは、既に発表した通りであるが、この地を開発するに従い、実に何万年前より神が準備されたという深い仕組が犇々ひしひしと感ぜらるるのである

此事実を何とみる(光11号 昭和24年5月31日)再掲

私は医学者でもなく、医学を学んだ事もないに係わらず、病気に関する一切は神示によって根本的に知り得たのである、それによれば現代医学が如何に邪道に陥っているかが洵に明かである以上、その事の是正こそ人類救済の第一義でなくてはならない、この意味に於いて私というものは病無き世界を造るべき大使命の実行者として神から選ばれた者である以上、その力を十分発揮し、地上天国建設の大理想を実現せんとするのである。

本教は神道か仏教か(光11号 昭和24年5月31日)

恰度諸々の仏霊は本来の神格に復元されつつある大転換の過渡時代であるから、本教に於ては神仏両様の御扱いを実行している所以ゆえんである。

日本観音教団教義/五六七教教義/寸言(光号外 昭和24年5月30日⑨)

まず病気にかかるとする、最初は西洋医学、次は漢方医学、灸点、民間療法、既成宗教、最後に本教浄霊、解決。というのが実際である。

浄霊の原理  第四(『神示の医学 』 光号外 昭和24年5月30日⑧)

ここで、観世音菩薩の由来を書かなければならない、諸仏中ひとり観世音のみは昔から御秘仏とされていた、之は深い神秘があるので、その神秘の全部は未だ時期尚早く発表は出来ないが、何れ神の許しのあり次第発表するつもりである、ここでは浄霊に必要だけの神...

浄霊の原理  第三(『神示の医学 』 光号外 昭和24年5月30日⑦)

私の腹中に平常は直径二寸位の光の玉がある、之は見た人もある、この玉の光の塊から光波は無限に放射されるのである、しからばこの光の玉の其本源はどこにあるかというと、之が霊界に於ける観世音菩薩の如意の玉から、私に向って無限光を供給されるのである、之が即ち観音力であり、不可思議力妙智力とも言はれるものである、如意輪観音が持し給う玉も之である。

浄霊の原理  第二(『神示の医学 』 光号外 昭和24年5月30日⑥)

霊主体従の原理を説いたが之は独り人体ばかりではない、一切万有悉くはこの法則に漏れるものはないのである、したがって浄霊の目的はこの霊の曇を解消するのである、之によって霊の曇は虚脱状態となる、つまり霊の生を死に転換するのである、死んだ曇りは力が零となるから、神経を刺戟しない事になる、無痛苦となるのはそれが為である、

浄霊の原理  第一(『神示の医学 』 光号外 昭和24年5月30日⑤)

、前述の如き奇蹟は実は吾等からいえば奇蹟ではなく、絶対的根拠があり、顕わるべくして現わるという科学的説明の裏付がある

神懸り宗教(光号外 昭和24年5月30日③)

人事百般完全は望むべくもないが、一歩一歩その理想に近づく努力こそ、人として最尊最貴のものであり、かくのごとき人間こそ生甲斐ある真の幸福者というべきである、もちろん信仰の妙諦もこれにある

健康による天国化(光号外 昭和24年5月30日②)

この様な大発見は現代文化の水準を抜く事あまりにも高い為反って誤解を受ける事さえある、故にただ言葉や文章だけでは受入れ難いのは致し方ないのである、ちょうど地上にある人間が屋根の上にいる人間の頭上が見えないのと同様であろう。

日本再建の指針(光号外 昭和24年5月30日①)

日本の使命を具体的にいえば日本全土を挙げて世界の公園たらしめ、凡ゆる美の源泉地たらしむる事である。

新聞記事と嘘(光10号 昭和24年5月25日) 

日本の新聞記事は嘘が多いという事は以前からよく謂われており、終戦後司令部においても嘘の記事に対し厳しい警告を与えた事実は未だ耳新しい処である。昨年十一月本教が税問題をキッカケとして宗教運動やその他の点にまで各新聞競って虚々実々取混ぜての記事...

社会悪は環境か否か(光10号 昭和24年5月25日) 

社会革命の理念とする他動的罪悪感は社会組織を破壊せんが為の目的から罪を自己に帰せずして社会組織に振向けるという理論によって民衆を踊らせるのであるから、人間はこの意味をよく認識し、従来の過誤を清算し新たなる出発をなすべきである。

宗教事業と社会事業(光10号 昭和24年5月25日) 

本教としては、社会事業のごとき消極的救済は他の機関に委せて積極的独自の救済をもって社会改善に役立つべき覚悟である、これを称して宗教事業というのである

社会悪の根源(光9号昭和24年5月14日) 

社会悪絶滅の方法は別に困難ではない、ただ唯物主義思想を打破する事――それだけである、しからばその方法は何か、言うまでもなく唯心主義教育である、即ち神を認める事である、霊を、霊界の存在を信ずる事である、それが宗教本来の貴重なる使命であ

所謂、迷信の解剖  信仰は飽く迄冷静に(光9号昭和24年5月14日) 

本教を解剖してみる時、本教が行っている救の業は、言う処と行う結果とにいささかの矛盾がないばかりか、むしろ言う以上の良果を挙げている以上、迷信の言葉は当らない

現当利益(光9号昭和24年5月14日)

考えてもみるがいい、そもそも宗教の使命は何であるか、言う迄もなく天下万民の苦悩を救い、この土をして安養楽土たらしむるという――それ以外に何があるであらうか。

花による天国化運動(光8号昭和24年5月8日)

人間の居る処必ず花ありというような社会になれば現在の地獄的様相を相当緩和する力となろう。

宗教からみた産制問題(光7号昭和24年4月30日) 

は出産力のない者に妊娠させるというような不手際ふてぎわに人間を造ったはずはない、造物主は人間の考えるような浅薄鈍知ではない事を信ずべきである。

愚かなる者よ!汝の名は悪人なり  (光7号昭和24年4月30日)

信仰上から考えても打算的からいっても割に合はないばかりか、罪悪が暴露するまでの期間常に戦々兢々として枕を高くして寝る事は出来ないのであるから悪事不正をやる人間位愚かな者はない訳である

宗教と医学 (光6号昭和24年4月25日)

吾々の方で奇蹟的に如何に病気が治っても理屈に合わないからいけないというが、それは理屈の方が間違っているからで、実際に治る理屈の方が本当の理屈である。

本教団の事業(光5号 昭和24年4月18日)

本教団は今三つの事業を企画し、その中二つはすでに着手しており、一つは計画を進めている、それについて解説してみよう。

唯物主義と唯心主義(光4号 昭和24年4月8日)

このような不徳漢の絶えない原因は何処にあるかを大いに検討してみると、この最大原因としては何よりも教育に重大欠陥がある事である。何となれば投書家には青年が頗る多いというにあるからで、それは全く唯物主義一点張りの思想を注入される為である。

 【農業の大革命】 清潔で心から楽しめる  家庭菜園の無肥料栽培(光3号 昭和24年3月30日)

、肥料を用いる結果として土壌本来の生育力は失われ土は死ぬのである、そこで肥料によってそれを補おうとし矢鱈に肥料を施す結果、植物は肥料中毒となる、日本の土は痩土化したといわれるが、勿論肥料の為で、特に近来化学肥料を用いる結果、痩土化に拍車をかけたのである

 宗教の新店と老舗(光3号 昭和24年3月30日)

御承知の如く宗教の新店と来ては小売商人処ではない、頭から迷信邪教、インチキ宗教というように決められてしまうので実に噫無情ああむじょうという外はない、成程おっしゃる通りの新宗教も沢山あろうが偶たまには真物ほんもののある事も知って貰いたい、

  治るんだ(光3号 昭和24年3月30日)

本教に打撃を与えんとする輩は、釈迦に対する提婆とみるの外はなく、昨今彼等が最後の奥の手として用いつつある方法は医師法違反又は医療妨害に引っかけようとして種々の画策を講じている事は明かである

再び、発刊について  (光2号 昭和24年3月20日)

地球上に存する限りの宗教も思想も主義も決して排撃も異端視する事もない、何宗教でも構はないからドシドシ投書なり原稿なりを送って大いに利用してもらいたい。本教を攻撃する記事であっても反対の説でも差支えない。紙面の許す限り出来るだけ満足を与えたいと思うのである

 無信仰と有信仰(光2号 昭和24年3月20日)

無信仰と有信仰というこの有信仰とは無論本教を指すのであって、他の宗教や既成宗教をいうのではない、そうして昔の事はイザ知らず、現在のこの娑婆世界にあって生活している人間を熟々客観してみるに、キリストの曰った「哀れなる仔羊」という言葉がよく当嵌っていると思う。

金詰りの原因/今日の世相/旭日昇天(光47号 昭和25年1月28日)

金詰りの原因  今の世の中で誰も一番困っているのは金詰りであろう、至る所金詰りの声が充満している、とすれば一体金詰りの原因は何であるかを知る事と、何時まで続くかという事とどうしたら解決出来るかという事とこの点を誰も知りたいであろうからここに...

誠の有るなし(光47号 昭和25年1月28日)

神の信者たる者は約束の厳守、時間の励行を疎かにしてならない、もしその実行ができないとすれば、まず信仰の落第生である、信者たるものよろしく肝に銘じて忘れてはならないのである。

自家中毒(光24号 昭和24年8月27日)

便秘すれば糞便が漸次固結するだけである、したがって便秘は心配する事は少しもない、私が手がけた患者で胃癌で二十八日間便秘して全快した例もあり、また半年便秘した人もあった、

黴菌は根絶出来るか (光24号 昭和24年8月27日)

もし黴菌は有益だといったら狂人としか思うまい、処がだ、人間体内の毒血を浄血にする役目が黴菌なのだ、だから伝染病とは浄血作用で黴菌が体内に入るや、血液中の毒素を食うそれが黴菌の食物なのだ

結核新薬について(光24号 昭和24年8月27日)

するとまた浄化停止の効果ある薬剤を創成しまた駄目となり、また創成するというように繰返しているのが真相である、この根本原理を医学は知ったとすれば人類はいかに救われるであろう。

宗教 教育 政治 (光24号 昭和24年8月27日)

今世の中は誰が見ても、実に社会悪が充満しているといえよう、あちらこちらに忌はしい事が次々起り、人心不安はその極に達している、一体斯んなになった世相は、その原因はどこにあるかという事を深く考えてみなくてはなるまい

いわゆる迷信邪教 『光』1号昭和24年3月8日

彼等は迷信邪教を槍玉に上げ、社会民衆に警告を与える事こそ、彼等操觚者(そうこしゃ)の一大任務であるとしているらしい、この独善的彼等を見る時、われ等は何時も呵呵大笑(かかたいしょう)せざるを得ないのである。