(御論文「経と緯」のあとの御教)
これは今迄に書いたり言ったりした事ばかりですが、これは『文明の創造』の「宗教篇」に入れるものですから、それで読んだ訳なんです。ただ、急所と言うべきは、人間は全て平凡に見える人が偉いんです。普通偉いと言うと、変わった風ですが、それに誤魔化されるんですよ。ですから、宗教家で、何かと言うと、いやに普通の人とは変わったかっこうをしますがね、頭の毛を長くしたり、鬚をうんと生やしたりしますが、あれは本当に偉くはないんです。ですから、それを頭に置いておくと間違いないですね。ですから、私に初めて会った人は、よく皆んな驚くんです。教主とか何んとか――教祖様なんて、生神様然としているが、私は全然そんな事はないからね。びっくりして――分からない人も、好感を持つんです。そんな様な具合で、要するに、どっちか――経とか、緯とか。右とか、左とかに偏らないとすると、どうしても平凡になっちうんですね。だから、仕事のできる人とか――結果の良い人は、何処が悪いか分からない様で、当たりが極く良いんです。処が世の中は知らないから、変わった人が偉い様に思われる心理状態の為に、偉く見せ様と言う人は、変わった事を工夫してやりますが、一つの間違いですが、それを言いたい為にこれを書いたんです。